第19話 前世の記憶。
前世の記憶。
あたしには日本人松本芹那として生きた記憶がある。
決定的にそれを思い出したのは、あのパトリック様と妹マリアンネの浮気を目撃したあの日だったけれど、多分それ以前にも自分のことを普通とは違うって意識があったんだろうと思う。
あの日。
セリーヌとして育った記憶と芹那として生きた記憶が融合し、なんだかよくわからないうちに今のあたしの意識が出来上がったと思っていたけど、その前のセリーヌの記憶に残る自分の違和感だってちゃんとその時に感じていた記憶と共に存在していた。
あたしが、自分のことを「あたし」と自称するのもそのうちの一つかもしれない。
この世界の言葉は日本語ではないことくらい、理解している。
文字だって、アルファベットでもひらがなでも漢字でもない。この世界独特のものだ。
それでも。
なぜかあたしは日本語のイメージで言葉を感じているらしい。
頭の中ではずっと日本語が渦巻いていて、言葉に出してみるとそれがこの世界の言葉になっている? そんな感覚だ。
貴族の娘は子供の頃からの教育で、自分のことは「わたくし」と自称する。
「あたし」というのはどちらかと言ったら平民の、それも少女のうちに口にする自称のひとつだということだった。
あたしが自分の頭の中で自分のことを日本語の「あたし」と自称するとすると、口から出る言葉もこの世界の「あたし」となる。
小さい頃はよく怒られたっけ。
教育係のマイヤーさんに、
「お嬢様がそのような粗野な言葉遣いをなさいますと、私がご主人様に叱られます。どうか貴族らしい綺麗な言葉でおはなし下さいませ」
と、耳にタコができるほど何度も何度もお小言を言われたのは今にしたら良い思い出だけど、その度になんだかなぁって違和感を覚えていた。
まあでもそのおかげで外ではちゃんとお貴族様らしくできてたのでそこはそれで良かったかなって思うのだけど。
そういえば。
冬はやっぱり甘いものが食べたくなるよね。
世間が寒くなれば寒くなるほどミスターマロンは忙しくなっていった。
あたしが日本人だった時、たぶんまだハイティーンだった頃にアルバイトで働いてたのがドーナツ屋さんだった。
実はもう当時の細かい記憶ははっきりと思い出せなくなっている。
っていうか、あたしっていったいどうやって死んだのかとか、いったいいくつまで生きていたのか、とか、そういう部分はけっこう曖昧にしか覚えていない。
二十歳過ぎまでは生きていたのかな。漠然とそんな覚え。
まあでもその時もたぶん夏より冬の方がお店は忙しかった気がする。
気がするだけで根拠はどこにもないんだけれど。
お店には結局新しい売り子さんが二人入り、あたしはちゃっかり先輩として二人を指導する立場になっていた。
アランさんの借金の話もなんだか有耶無耶になったっぽくて、最近は返済がどうこうっていう話は聞かなくなった。
マロンさんにはよかったら夜も手伝ってくれない? って言われたりもするんだけど、やっぱり夜はギディオンさまと一緒にご飯が食べたいからごめんなさいしてる。
アランさんはあたしの作った賄いが楽しみらしく、お昼ごはんは頑張ってつくってる。
お昼時のピークが終わってからのちょっと遅めのお昼ご飯になるんだけど、アランさんマロンさん、そしてジャンに新しい売り子さんミリアとレコアの分も作るから六人分になる。
みんな美味しいって言ってくれるから作り甲斐があって嬉しい。
ギディオンさまに作るご飯の練習にもなるから、いろんなお料理を試してる。
この世界のお米は主に米粉用のパサついたお米だったけど、そのぶん小麦よりもお安い感じ。
ちゃんと美味しく炊けるようにバアルにお願いして。
ほっかほかのご飯が炊けた時はちょっと感動してしまった。これで美味しいご飯がなんでも作れるって。
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