第17話 【アラン】セレナ、君の力を……。

 オレが初めて嬢ちゃんに会ったのは、そろそろ夏も終わるかといった頃だったろうか。

 昼頃ふらっと店に現れた彼女は、割とラフな格好をしていたけれど顔立ちも整っていて、一目でオレらと同じ平民じゃなさそうだってわかった。

 まあでも店にくるのは誰でも客だ。

 帝都では本物の貴族にもオレの菓子の味は通用した。うまいものに身分の違いなんてない。

 この街でだってお忍びで貴族がきてもおかしくはない。

 そうは思っていたんだがなんだかその子は様子が違った。


「いらっしゃい! 食べてくかね? 持ち帰りかね?」


 いつものように声をかける。うちにくる客は食べていくのが半分、持ち帰るのが半分。

 でも食べてく客でもみやげに持ち帰るのも多い。

 うまいドーナツを食ってまったりしてもらえればなんだっていいんだけどな。


「じゃぁこの葡萄のマフィンとミルクティーを頂こうかしら?」


「はは。見かけによらず上品なんだなお嬢ちゃん。じゃぁ用意するから好きな席に座って待ってておくれ」


 言い方がやっぱり少しすましてて、思わず揶揄ってしまう。

 平民を装ってるだけのどこかの貴族の関係者か?

 そんな雰囲気が拭いきれない。


「はい、お待ち」


「ありがとうございます」


 そう言って微笑む彼女。素直にこうしてお礼を言われたことに驚くとともに気恥ずかしくなって思わず笑顔になっていた。


「美味しい!」


 ミルクティーを一口飲み満面の笑みでそう言う彼女。

 そんな微笑ましいゆったりとした午後の静寂は、奴等によって破られる。



「オヤジ! いるか!」


 と、大声をあげ乱暴にハネ扉を押し開けて、数人の男達がドカドカと店に入ってきた。


 冒険者くずれのならず者集団、バックラングのメンバー達だ。

 ロック商会のモーリス・ロックのじいさんに雇われこうして毎日のように嫌がらせに押し寄せてくる。


 あのじいさん、よっぽどオレに店を畳んで自分の元に戻ってきて欲しいらしい。

 こんな搦手でくるのは腹立たしいが、そんな手に乗ってたまるかよ。


 しかし、こいつらも昔はちゃんとした冒険者だったんだろうが怪我やなんらかで引退し、食い扶持に困って地下に落ちていった連中だ。どうせ碌な実力があるわけじゃねえ。

 多勢に無勢とはいえまだまだこんな奴らには負けねえよ!

 そういっていつも力ずくで追い払ってきた。


 奴らにしても、今まではそこまで手荒な真似はしてこなかった。

 今日はちょっとイキった手下も連れてきているようだが……。



「はは! いつみてもしけてんな。客なんか一人しかいねーじゃねーか。いいかげんこんな店は閉めちまって、この場所開け渡してくんねんかなぁ?」


「あんたらが! あんたらがそうやって乗り込んでくるようになったからお客さんも避けるようになっちまったんだろうが! 従業員もみんな怖がって辞めちまうし! どうしてくれんだ!」


「そりゃぁそうだろうよ。そうなるように仕組んでるんだもんなぁ? なあお前たち」


「だからこんな店、さっさと畳んじまえばいいんだよ!」


「そーだそーだ!」


 後ろの手下供がそう声を荒げジリジリ近づいてくる。

 負けじと睨み返してやったら、後ろの男の一人が手に持っていたチェーンをむちのように地面に叩きつけた。

 床が弾け、タイルが跳ね上がる。


 クソ! 直すのが面倒なんだぞ床は!


「なんてことを!」


「なあオヤジ、お前の頭もこうなりたいか!?」


 そのイキった手下の男、ニタニタふざけた顔をしながらもう一度チェーンを持った手を振り上げた!


 ちくしょうあの角度だとショーケースがやられそうだ。

 冒険者稼業で培った技で砕け飛ぶガラスを弾き返すことも考えたが、今それをすると下手したら店内にいるお客の嬢ちゃんに被害が及びかねないと判断したオレは、素早く避け受け身を取る態勢に移行した、その時だった。



 光が弾けた。

 ハッと見ると、その光がオレに抱きついてくる。


「嬢ちゃん!?」


「ごめんなさい、だけど見てらんなくて」


 神々しいまでに輝いてはいたが、それはあの嬢ちゃんだった。

 天使のように光り輝き、オレの周囲に結界を張って。


 オレはそのまま受け身を取って、嬢ちゃんに怪我をさせないように気をつけつつ床に倒れ込む。


 肝心の嬢ちゃんはオレに抱きついたまま、気絶してしまったようだったが。



 この世界の人間は貴族じゃなくたって多かれ少なかれ魔力を持って生まれてくる。

 お貴族様のような強力な魔法は使えなくたって、誰でも多少の生活魔法は使えるのが当たり前だ。

 そもそも身の回りにある魔道具を起動させるためにも魔力が必要なのだから、全く魔力がゼロだなんてのは見たこともない。

 オレだって冒険者をやってた頃は身体強化魔法や武器強化魔法を使っていた。

 そうして魔獣と闘ってきたおかげで多種多様な魔石を手に入れたことが今こうしてドーナツを作ったりするのにも役立っていたりする。

 炎の魔石、氷の魔石。水の魔石。

 ラードを溶かし高温で尚且つ一定の温度を保つ揚げ鍋。

 常に食品を冷やしておける冷蔵庫。

 お湯の温度も自由自在に操れる洗い場。

 そういったものも全てオレが魔石を使って自作した。

 生地をこねる動力にも魔力を使っている。

 そういう意味でも、オレは一旦冒険者として過ごしたことは無駄にはなっていない。

 全てを金で解決しようと思ったら、とんでもない初期投資が必要になっただろうから。


 そんなオレにもわかったのは、この嬢ちゃんはかなりの魔力を秘めているのだろうということだった。

 あの天使のような輝きをオレは忘れることができないだろう。

 身近に感じたオレだからこそわかる。あれは守り石の輝きなんかじゃない。

 彼女の内から溢れ出た膨大なマナそのものだったと。



 オレは冒険者として旅立つ前は、パン職人、菓子職人を目指していた。

 幼い頃両親と死別したオレを拾ってくれたモーリスのじいさんへの恩返しの意味もあったが、そうやって何かを作る仕事が好きだったのも大きい。

 大工仕事だろうが彫金だろうが一度見てしまえばたいてい作ることができたオレ。

 それでも菓子は、そんなふうに見ただけではうまいものは作れない。

 だからこそのめり込んだ。

 そんなオレを見ていたモーリスのじいさんは、オレに帝国の首都へ行って菓子の修行をしてくるといい、と、勧めてくれたのだ。

 嬉しかった。

 いつかこの恩は返さなきゃなんねえ。

 腕をあげ、モックパンの店に還元しなきゃなんねえ。

 そう誓ったものだ。


 そんなオレの気持ちが揺らいだのは、ジャンがオレを追いかけて帝都までやってきた時。


 オレを兄さんと呼んで慕ってくれていたジャン。

 奴の嫉妬に狂った目を見てしまったから、だった。


 ああ、だめだ。

 こいつにこんな目をさせたくってこんな帝都にまできたんじゃない。

 オレは、ジャンの手助けがしたかった。

 モーリスじいさんに恩返しがしたかった。

 一緒にモックパンを盛り上げていけたらそれでよかったのに。って。


 それをそのままジャンに話したこともある。

 だけれど。

 奴はそれを信じてはくれなかった。


 それよりも、オレの才能に嫉妬して、もう手がつけられないようになっていた。


 だから、オレは身を引いた。

 きっかけは奴がオレのレシピを盗んだことだったけれど、いい機会だと思った。

 オレは、奴を殴って、そのまま奴の前から逃げたのだ。


 その時はそれしかないとそう思っていた。

 それが間違いだったと気がついた時にはもう遅かったが。




 ジャンはオレがいなくなった後、すぐに帝都の修行は辞めてこの街に帰ってきたのだという。

 自分とのトラブルのせいで居づらくなっしまったかと最初はそれにも同情してしまったが、どうやらそれだけでもない様子。

 まともに修行をするそぶりもなく、地下組織のチンピラどもと遊び回っているっていう噂もあった。


 数年の冒険者仕事で経験を積み金も貯め、オレが自分の店を出すことにしたときにはモーリスじいさんのところにも一応挨拶に行った。

「俺はお前にこの店を継いで貰いたかった」

 そういうモーリス。

 矍鑠として見えるがだいぶ気が弱っているのか?

 こんな顔、するじいさんじゃなかったのに。

 その時はそう思った。

「ジャンがいるだろう」

 オレのその声に、

「ああ、そうだな……」

 と、力無く答えるモーリス。

 そんなじいさんを見ると少し悲しくはなったけれど、こうして近くにいれば何かと力になれることもあるはず。

 だから。




 店のメインの商品はモックパンと被らないようドーナツにすることにした。

 マフィンは多少被るけれどモックパンではあまり力を入れていない。ならそこまでじいさんの店に迷惑かけることもないだろう。

 そう考えたのだ。


 妻のマロンと二人で頑張って、やっと店員も雇って順風満帆となった頃。

 国内の砂糖が不足し値段が高騰した時があった。

 オレだけではどうにもならなかったところにじいさんが輸入砂糖を世話してくれた。

 代金も貸してくれるという。

 もしかしたらこれもモーリスじいさんのロック商会にとっては儲けの出る商売なのかもしれない。そう思ったオレは、恩返しの意味も含めて必要以上に砂糖を仕入れることにした。

 なに、多少高めの砂糖ではあるけれど、今の店の状態なら充分代金の金も返していける。そう算段もつけて。

 それがまさか罠だったとはその時には考えもしなかった。


 ジャンの入れ知恵か? モーリスじいさんの差金か?

 それはもうどうだって良かった。

 やつらはこの店を潰したいのだ。

 そう理解したら、なんとしてでも抗ってやらなきゃ気が済まなくなった。


 オレはジャンの為にと身を引いたのに。

 それをわかって貰えていなかったと思うとやるせない気持ちになる。

 帝都で見ていたジャンのあの目。

 狂気にも見えたあのあからさまな嫉妬。

 あんなこと、もう繰り返したくは無いっていうのに。


 このままオレが店を畳んだとしてもあいつらの元には帰る事はない。

 そんな事もわからないモーリスじいさんに腹が立ち。


 こんな事で潰されそうになっている事が悔しくってやるせない。


 もうやめてどこか遠くの街に行ってしまおうか、そう諦めかけたこともあった。

 それでも。

 一緒に頑張ってきてくれた妻マロンのことを想うと、どうしても諦めきれない。

 悔しくて、もう少しだけでも抗いたい。

 そう思っていた時に彼女は言ったのだ。

 天使のようなかわいらしいその顔を真剣な怒りに変え。



「あたし、昼間のドーナツ屋さんを手伝いたいんです! ちゃんと儲からなきゃお給金は要りません! あんなわるいやつらのせいでこのお店が潰れちゃうの、許せないんです!!」


 と。



 金はいらないだなんて最初はどこの貴族の道楽だよって思わないわけでもなかった。

 それでも、この彼女の真剣な怒り、それを信じることにしたオレ。

 オレを庇おうとしてくれた時のあの勇気と、あの時の女神のような輝きに惹かれた。


「申し訳ねえ嬢ちゃん。オレは悔しいんだ。なんとかあのジジイを見返してやりたいけどこのままじゃジリ貧になるばっかりで……。あんたが手伝ってくれたからってどうとなるものでもないかも知れないが、もう少しだけでもあがきたい。チカラを貸してくれるのかい? ほんとうに申し訳ねえ……」


 気がついたら泣いていた。悔しかったのと、申し訳ない思いと、そして、嬉しかったことに。

 オレの悔しさに同調するようにこの嬢ちゃんが怒ってくれたことに。


 この子が手伝ってくれたからってどうともなるものじゃないかもしれない。

 そうは思うものの、それでも。

 彼女の心に報いたい。そうも思ってしまったのだった。



 セレナと名乗った少女の知識は信じられないものだった。

 オレが帝都で修行した内容はどうやら網羅しているようだ。

 おまけにドーナツに砂糖菓子の技術を使うだなんて、オレには思いつけなかった。

 いや、今まで新しい味をと模索してきてはいたはずだったけれど、どちらかと言ったら庶民的な味に固執していたのかもしれない。

 これ以上原材料に値をかけることに、知らず知らずのうちに歯止めをかけていたのか。

 砂糖をふんだんに使ったグレーズを熱々のドーナツにかけることで、その表面が綺麗にコーティングされ見た目も宝石のように光り輝く。

 セレナ嬢ちゃんのあの結界のように。


 砂糖の使用を渋るオレに、

「今使わないでどうするっていうんですか!? お砂糖の山残したまま潰されちゃったら元も子もないじゃないですかー」

 と詰め寄る彼女。

 確かに。確かにそうだと納得し、オレはこの新商品にかけることにした。


 策は当たった。

「ミスターマロンのドーナツは美味い」

 そんな噂が広まり客も増えた。


 不思議なことにチンピラどもの嫌がらせも無くなった。これはあの騎士団の隊長の旦那のおかげか。

 そしてもう一つ。

「ミスターマロンのドーナツを食べると元気になる。体調もよくなる」

 とそんな話も出回っているらしい。

 こちらについてはきっとセレナ嬢ちゃんの魔法の力のおかげかもしれない。


 賄いはずっとオレが作っていたのだけれど、嬢ちゃんがたまには自分で作りたいというので任せてみると……。

 信じられないような美味い飯を作る彼女。

 味わったことのないようなそんな料理で、おまけになぜかその飯を食うと力が湧く。

 冒険者時代に仲間にしていた魔法使いが使うバフよりももっと高い効果があるその飯に、オレは随分と助けられた。

 朝早くから夜遅くまで働き疲れ切った体が彼女の賄いを食うと回復するのだ。

 体力には自信があったオレだったけれど、流石に歳には勝てないと思い始めていたところだったから余計に助かった。

 まあセレナは貴族であることを隠そうとしているようだったし、何か事情があるのだろうと思い直接聞くのは憚られたけれど、心の中でずっと感謝していたよ。


 オレたちの前に現れたこの天使の少女。

 マロンもオレも、いつしかセレナのことを自分たちの娘のように大事に思うようになっていた。




 ジャンの更なる嫌がらせに対抗するためにセレナが作り出した新商品。ふわふわリングとクリームドーナツは大人気となった。

 普通のドーナツはジャンに買い占められてしまう。捨てられてしまうとわかっていて手放すのはやるせないが、今はなんとか新商品の方がお客さんにも受け入れられているからと我慢して。

 それと、ジャンの代理で買い占めにくる手下連中はドーナツのことなんかには興味がないのか、プレーンなドーナツでも構わない様子だ。そちらにはあまり手間暇かけず、パン生地のドーナツに力を入れることでなんとか昼間の店も利益が出るようになった。


 これなら店を潰さなくてもすみそうだ。そんなふうに安堵できるようになった頃。

 きな臭い話が聞こえるようになってきたのだった。


 王都にあるジャンの店はかなりの赤字を出しているという。

 そのせいでモックパン本店の経営にもかなりの影響が出始めている、というのだ。


 これはモックパンに勤める昔の同僚から聞いた話だから、ほぼ間違いはなさそうだった。


 うちがパンのドーナツを売り始めたせいでモックパンの客が減ったのか? 最初聞いた時はそう心配をしてしまったが、どうやらそういう話でもない様子で。

 逆に、うちが人気になるにつれモックパンの菓子パンの売れ行きも上がっているというその同僚。

 問題は、ジャンの店への資金の持ち出しが巨額になってしまい、モックパンの利益をくってしまっているという話だったのだ。


 ジャンの店は古くなったドーナツを廃棄するといった考えがないらしい。

 三日も四日も同じ商品がショーケースに並んでいる。

 そんな話も聞いた。

 油で揚げたドーナツはそう簡単には腐らない。それでも古くなった油は味も落ちるし劣化したものを食べれば腹も壊すだろう。見た目はあまり変わらなくても、味や食感はかなり落ちるからそこで判断ができるけれど。


 これは。

 だめだ。


 オレは元々ジャンのために良かれと思って身を引いたつもりだった。

 だけれど、奴はそんなオレの気持ちを理解するどころか、商人としても職人としても最低な状態に転げ落ちて行ってしまった。

 オレはそんなジャンのことを、オレのせいでそうなってしまったのかだなんて思ってやるほどお人好しじゃぁないけれど、それでも少しは心が傷む。


 モーリスのじいさんに会いに行こう。

 ジャンにガツンと言ってもらわなきゃダメだ。

 いくら孫可愛さに目が眩んでいるのだとしても、これじゃぁほんとにジャンはダメになってしまう。


 オレにはそれが許せなかった。



 ♢ ♢ ♢



「アランか……、よく来たな」


「親父さん、あんた、からだ悪いのか? 顔色が良くない。大丈夫なのか?」


 訪ねて行ったら通されたのはモーリスの寝室だった。

 弱々しくベッドに横になるモーリス。

 そう、普段は知り合いに話す時でもモーリスじいさんと呼んでいるけれど、二人きりの時には親愛を込めて「親父さん」と呼んでいたオレ。


 ああ、そうだ。

 モーリスはオレにとって親の代わりのようなもの。

 オレがそう思っているだけでなく、親父さんの方だってオレのことを気にかけてくれていた。

 それは本当は充分わかっていたんだ。


 オレだって、本当の事をいうとジャンに嫉妬していた。

 実の孫であるジャンの方がかわいいんだろ? そう、やけにもなっていた。

 だから逃げたんだ。

 ジャンのため、モーリスのため、モックパンのため。

 そう言い訳をして、愛されたかった自分から無理やりに逃げた。

 自分がジャンに嫉妬しているって事実を認めたくはなかった。

 自分がジャンに嫉妬しているって事実が許せなかった。

 オレにはジャンにもモーリスにも愛される資格なんかない。

 本当は愛されたかったのに。

 それを認めたく無かった。嫉妬しているって罪悪感で押しつぶされて、逃げ出したんだ。


「なに、俺も歳には勝てないってこった。もう長くはないかもしれん」


「なに弱気になってんだよ。親父さんがいなきゃロック商会はどうなるんだよ。モックパンだってそうだ。ジャンのことだって……」


「ああ、アラン。ジャンの父親母親は事故で早死にしちまったからなぁ。子供の頃にはあいつにも寂しい思いをさせちまって、その分甘やかしてしまったって後悔してるよ。お前にはあれの親や兄の役目をさせてしまっていたな。すまないことをした」


「いや、オレのことなんていいんだ。オレはあんたには感謝してる。あんたに拾われて幸せだったよ……」


「なあ、アラン。一度だけでいい。子供の頃のように「父さん」って呼んでくれないか。俺はもうそれだけで満足だ。頼む、アラン……」


「バカ言ってんじゃないよ。ほんとに、どうしようもないな……。父さん、あんたにはもっともっと元気でいてもらわなきゃ困るんだ。そうだ、これ。あんたが好きだったミルクティーとミスターマロンの最新作のシナモンリングだよ。絶対、父さん好みの味だから。食べてみてくれないか」


 オレは土産にと持ってきていた紙袋から水筒とドーナツを取り出してベッドの上に置いた。

 親父にオレが作ったパンのドーナツを食べてもらいたくて持ってきていたのだけれど、でも。


「ああ、ありがとう。身体を起こしてくれるか、アラン」


「ああ、無理するなよ。ゆっくり起きてくれ」


 身体を支えて座らせてやる。ちくしょう。こんなに骨と皮ばっかりになってやがる。

 年齢から来るものなのか、病気なのかはわからない。けれど。

 見た目よりもたぶんずっと衰弱しているんだろうということはわかる。


 なら、でも、だったら。


「ああ、うまいな」


 ゆっくりと噛み締めるようにオレのドーナツを食う親父。

 そしてミルクティーを飲み干して。


「ああ、ばあさんの味だ。お前も子供の頃からこの味が好きだったよな」


 そう言って、こちらをみて笑った。


「そうだよ。今でもオレの店の看板メニューだ。美味くてとうぜんだな」


 オレも、そう笑みを返す。



 そうだよ。まだまだ長生きして貰わないと困るんだ。

 ジャンを説得して店を建て直せるのは親父だけなんだから。


 そうだ。これからは毎日オレがドーナツとミルクティーを届けよう。

 この女神の恩寵が宿ったドーナツを食べて、どうか元気になってくれ。

 頼む神様。

 どうか、父さんを長生きさせてくれ。


 お願いだ、セレナ。君の力を貸してくれ。


 そう、祈った。

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