第6話 理不尽。


 働き疲れて借りてるお部屋に帰って寝巻きに着替え。

 ぎゅーっと伸びてからお布団にダイブする。

 四畳半くらいな広さの狭い部屋。ベッドとカビ臭いお布団、部屋に備え付けの小さなクローゼットが最初からついていた。

 マロンさんに教えて貰った近所のアパートメントで、お手洗いも共用で当然お風呂は無し。

 キッチンも共用だけどお湯沸かし程度しか使えないってそんなところだけど格安で。

 まあほんと働いて寝に帰るだけのお部屋って感じ?


 この辺りのお店の売り子のお給金はだいたい1日働いて銀貨一枚くらい。日給約三千円くらいが相場らしい。

 三十日働いてやっと金貨三枚、三百オンス。約九万円くらいね。

 旅人の宿屋が通常一泊銀貨二枚、六千円くらいはかかる。ああ、カーテンで仕切っただけの実質雑魚寝の最安は探せばあるらしいけど流石にちょっとごめんなさいだしね? 

 売り子のお給料で宿屋なんか泊まれないって話しかな。

 まあこの辺は日本でも安いビジネスホテルでもそれくらいは掛かったから、しょうがないのかも。

 でもってちょっと普通に生活できるだけのアパートメントは、最低でも一月金貨一枚は掛かる。宿よりはもちろん安いけど、家族向けだと金貨二枚はかかるところ。

 ここはちょっとボロいけど最安で、月あたり銀貨五枚で借りられたのだ。一万五千円くらいね。

 食事が一食だいたい二オンス、銅貨二枚は掛かるから(飲み物代を入れたらもっと?)、一月に食費だけで5〜6万円は掛かる計算。ほんとこれじゃぁ若い女性の一人暮らしなんて無理がある。

 家族で暮らして自炊できる環境なのなら少しは余裕が出るかもしれないけど、ほんと平民の暮らしは楽じゃないのがわかるよね。なんてったってパン一個でも銅貨一枚掛かるのだから。一般の平民がそう気軽に食べられるものでも無かったのだ。

 ドーナツだってそう。

 一個三百円って、安いようでお高い。初日に飲んだミルクティーも三百円なんだけど、これは日本の喫茶店感覚なら安めの価格だけど、それでも庶民にはやっぱり贅沢なのだ。


 だから、ミスターマロンの客層は少しばかり裕福な方、ってことになる。

 貴族のお屋敷で雇われている侍女さんのたまの贅沢、とか。

 商家のお嬢様とか。奥様、とか。

 もしくは夜のお店で働くお金に余裕のあるお姉さん、とか。

 女性ばっかりあげたのは、どうしてもこうした甘いものを好むのは男性よりも女性だったりするからだけど、男性のお客さんの場合はお家へのお土産とか彼女さんと一緒に食べるのだとかそういうのがやっぱり多いかな。

 王都の貴族のお茶会ではまだみたことが無かったから、この先はそっちにも需要があるかもしれないけどね。



 どちらにしてもあたしの考えがすこしばっかり甘かったのは否めない。

 働く場所さえあれば女一人生きていける、だなんて。

 よっぽどの幸運でもないと難しいことだったんだなぁ。って。

 ちょっと反省して。




 身支度をしてお店に向かう。

 あたしは清浄魔法で身綺麗にできるけど、普通の人はそれも大変なんだろうなぁ。

 基本アパートメントにお風呂は無い。

 お湯で身体を拭くくらいしかしないみたいだけど、お風呂って文化が下町にないわけでも無いの。

 銭湯、っていうか、公共浴場はちゃんとある。

 それもこの地がまだ帝国の属州だった頃に当時の総督が費用を出して作らせたという石造りの公共浴場が、今もちゃんと残っているの。

 入浴料は銅貨三枚。九百円くらい。

 週に一度はそっちに入りに行くかなぁ、って、今画策中。

 マロンさんに話したら週末に行くつもりっていうから同行させてもらう予定。

 ちょっと楽しみなんだ。

 あ、もちろん自分でお金払うつもりだよ?

 まだ最初に持ってきていたお金ほとんど手はつけていないもの。

 そこまで甘えるのもどうかって、そんなふうにも思うしね。


「おはようございます」


「ああセレナちゃんおはよう。今日は昨日教えて貰ったローストナッツトッピングをお店にだそうと思ってね」


「はう。アランさんったらいつ寝てるんですかー? 根詰めすぎると倒れちゃいますよ」


 どうやら早朝から追加のドーナツを作っていたらしいアランさん。一仕事終えたような格好になっている。

 アランさんは基本夜のお店のコックさんもしてるから、閉店までぶっ通しで働いている。

 朝並べる分のドーナツやマフィンはそんな夜のうちについでに作っておくがルーチンだったのに。


「はは。早くお客さんに新しいドーナツを試してもらいたくてね。朝市でナッツをいっぱい仕入れてきたんだよ。まあオレは体だけは丈夫だからね、大丈夫さ」


 そう言って笑うアランさん。本当ならお店オープンしてから本格的にドーナツを作り始める時間なのに、疲れちゃってたら困るのに。


 ほんともう。頑張りすぎだよ。


 こんなにも頑張ってるアランさんだもの、報われてほしいなって、そう願ってる。

 うん。少しでも役に立つよう、あたしも頑張らなきゃ。


 店頭にドーナツを並べてお店を開ける。朝のこの時間はお仕事前に軽くお茶を飲んでってくれる男の人もいたりする。ドーナツはお土産? お茶とついでにマフィンを朝食がわりにする人もいる感じ。お昼には軽食も出していたりするけど、まだこの時間では受け付けてない。流石にアランさんの手が回らないからね。

 だからドーナツは最小限しか並んでいないわけ、だけど……。


「おい、店員。そこにあるドーナツを全てくれ」


 え?


 見知らぬ男の人。初めて見る?

 そんな数人の男性をひきつれたお客さんが、ドーナツを指差しそう言った。


 全て? 全部?

 確かに今お店に並んでいるのは100個くらいしかないけど、それでも全部?

 調理場ではアランさんがドーナツを作ってる最中だけど、まだ完成までは小一時間かかるだろう。


「あの、ここのドーナツを全て、ですか? マフィンを除いて?」


「ああ、そうだ。早くしろ!」


 うーん。

 すごく横柄な感じのお客さんだけど、売れるのはまあ良いことだし。


「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」


 あたしはそう言うとドーナツを数えながら袋に詰め始めた。


「ありがとうございます。ちょうど100個ありましたので100オンスになりますね」


 あたしはそう笑顔でドーナツの入った袋を渡した。

 大きい袋で全部で5袋。

 重みで潰れちゃったらいけないし持ち手はいっぱいあるみたいだからちょっとわけてある。


「ふむ。これでたったの金貨一枚か。まあいい。アランに言っておけ。これはお前の借金から引いておくと」


 え? どういうこと?


「そんな。どういうことですか?」


「ふむ。お前、なかなかかわいい顔をしているな。よかったらうちの店で働かないか? こんなすぐ潰れるような店じゃなくてな」


「そんな! 潰れません! ミスターマロンは今大人気なんですもの!」


「はは。時間の問題だな。お前のところのドーナツは今後私がすべて買い占める。もちろん貸してる金に充当させて貰うことになるがな」


「そんなことしてどうなるっていうんですか!!」


「なに。少しでも借金を減らしてやろうという親心じゃぁないか。私の名はジャン・ロック。モーリス・ロックの孫だよ」


 ロック商会!?

 じゃぁこれが悪い人の親玉!?


 あたしの大声に気がついてアランさんが厨房から飛び出してきた。


「おや、先輩。お久しぶりです。貴方のドーナツ、私がいただくことにしましたから」


「ジャン! どういう事だ!?」


「帝都のシャルールメゾンで修行している頃から私は貴方の腕は買っていたんですよ。それなのに、私の王都で出店する店に何度もお誘いしたにも関わらず首を縦に振ってくださらなかった。ですからこれは意趣返しです。ああ、せめて貴方のドーナツは私がちゃんと売ってあげますからね。倍値ですが」


「倍値、だと!?」


「ええ、王都までの輸送費がかかりますからね。それでもすぐに売り切れるでしょう。なんと言っても私のブランドで店に並べますから。帝都帰りの有名パティシエって、今王都で名を売っている最中なのです。宣伝にも力を入れていますからね」


「お前には、売らん!」


「それがそういうわけにもいかないんですよ。ほらこれ。王都の法務局から書類、貰ってきました。現物差し押さえ許可の令状です」


 そう言って一枚の魔法紙を広げてみせるジャン。


「まあそれでもです。マフィンはうちの店の方が人気があるものを作れているのでわざわざ買いませんけどね。貴方は今後うちの人間が取り立てにきた場合、拒否はできないんですよ」


 カッカッカと高笑いするジャン・ロック。


「くっ!!」


 そう悔しそうに漏らしたあと黙り込んだアランさん。


「まあなんなら、今からでも王都の私の店で働いてもらっても構わないんですよ。借金も返せるこの店も残せる。悪い話じゃないと思うんですけどね? まあこの店の営業は夜だけになるかもしれませんが、なーに、厨房に一人コックを雇う金よりは貴方に支払う給金の方が高くなりますからね、そこまで負担にはならないはずです」


 う。

 話だけ聞いてるとそんなに悪い話でもないことない?

 この人、もしかしてそんなに悪い人じゃなかった?

 でも、なんか引っかかる。


 って、ダメダメ、危うく騙されるところだった。

 もともとの借金の原因だってロック商会なんだもん。

 悪い人には違いない。だったら……。


「じゃぁ私は帰ります。今から王都に向かわなければいけませんからね。今後は定期的にうちの人間をよこします。いいですか、その時に商品を隠したり渡さなかったりしたらどうなるか。現物差押えに応じなかったとして、今度こそこの店ごと接収しますからね」



 ♢ ♢ ♢



 油で揚げるドーナツというお菓子は、もともと小麦粉にふくらし粉と砂糖を入れ練った生地を型抜きして高温の油に落とし一気に揚げることで、生地の中の水分と油を交換し出来上がる。

 あの独特のサクッとしてしんなりする食感は、中に取り込んだ油のおかげなのだ。

 だから、いい油を使わないと美味しいドーナツは出来ないし、油は酸化すると味が落ちるから、作ってから一日、せいぜい二日で食べきってもらうことを前提に販売している。

 衛生観念が前世の日本よりはゆるいこの国でも、アランさんは極力その日のうちに作ったドーナツを食べて貰おうと、朝並べてある昨夜作ったドーナツはお昼すぎには捨てて、朝から作ったドーナツは閉店するときには捨てていた。

 もったいないけどそれが帝国で学んだお菓子作りの流儀なのだとアランさん。

 もちろん捨てるっていっても、乾燥させ砕いて家畜の餌に混ぜるそう。そうやって飲食店の残飯を買い集める業者もちゃんとこの街には居たから。


 ふくらし粉もアランさんの独自製法。帝国で学んだレシピに色々加えて、美味しいドーナツになるよう創意工夫を欠かさなかったって。


 王都からこの街ガウディまでは駅馬車でほんの数刻。朝家出をしてきたあたしがお昼にはこの街に着いたくらいの距離。

 早馬で飛ばせば刻一つほどしかかからない、一時間くらいの話ではある。それくらいの距離の隣街。

 果物の入ったマフィンだと傷みやすいけど、ドーナツだったらまあ作りたてよりは味が落ちるよねといったところ。


 買われていったドーナツは、シュガーが20個ハニーが30個、そして朝から頑張ったローストナッツが50個。

 うーん。ローストナッツはMr.マロンでお披露目する前に持っていかれちゃったから、ちょっと残念だったけど。


「アランさん……」


 肩を落として怒りに震えているアランさん。

 どうしよう。なんて声をかけてあげればいいんだろう。


 そういえばあたし、ここのところ怒ってばっかりだった。

 前世のあたしって理不尽なことがけっこう大っ嫌いだったせいか、この世界でセリーヌが理不尽な目に遭ってるのが許せなくって。

 美味しいドーナツ屋さんが理不尽に潰されるような真似も、許せなくって。

 そんな怒りが原動力になってここまできたわけだけど。

 さっきの話だとアランさんがあれのお店で働けば高給を出すしそれで借金も返せるだろうという提案。このお店は残せるし、通勤時間はかかるけど冒険者だったアランさんなら馬くらい乗れるだろう。

 契約書をちゃんと読んで居なくって、騙されて高値でお砂糖を大量につかまされたのは酷いと思ったけど、借金自体は頑張って返そうとドーナツたくさん作っていたわけで、それを正規の値段で借金の代わりに持っていくっていうのはそこまで悪辣な行為ではなかったりする。

 王都で働かなくってもここでドーナツを頑張って作ったらすべて買い上げ借金と相殺してくれるなら、それもそんなに悪い条件じゃない。

 お金で返すだけじゃなく、逆に、労働の価値まで上乗せしてくれるわけだ。

 正直卸としてその分値引きしろと言われないだけましかもしれない。

 食べてほしい人に届かないのは残念だけど、それもこのトラブルが終わるまでの話。

 借金を返し終えたら元通りのお店になれるなら、そんなふうに思っちゃって。

 このお話だけだとどうもあたしの理不尽メーターが働かない。


 うん。でも。さっきの話にアランさんがここまで怒っているっていうのは、まだ他に何かあるんだろうなぁ。

 そんな気がする。

 あたしが気が付かないだけかもしれないし。


「おはようセレナ。どうしたの。今朝はなにか深刻な顔をしてるね。なにかあったのかい?」


 ふんわり、ほんとにふんわりといった表現が似合う、そんな金色の騎士様がいつのまにかそこに立っていた。


「ギディオンさま……」


「なんだか二人とも暗いね。そういえばドーナツ、無いの? また三十個ほどほしいんだけどな」


 気を紛らすようになのか、そんな感じで明るく話すギディオン様。

 彼のその優しい物腰は周囲の人を癒す効果もあるのかな。

 ちょっとだけ心が軽くなった気がして。


「おう、ちょっと待っておくれな。大急ぎで作るから。っていうか隊長さん今日はどっちだい?」


「じゃぁハニーグレーズで。あの甘さはほんとうに疲れた身体に効くんだよね。仕事の合間についつい手が出る旨さだよ」


「了解! 座ってまってておくれ! セレナちゃん! 隊長さんにお茶お出ししとくれ」


「あ、はい! わかりました!」


 お茶は、アランさんの心ばかりのサービスなのだろう。席に座って待っているギディオン様に、あたしは温かい紅茶をトレイに載せてもっていく。

 ぽちゃん。

 空中で生み出した甘々なポーションも一滴落とす。

 これはあたしからのサービスだ。ハニーグレーズの味を好きだと言ってくれた彼なら、きっと気に入ってくれるはず。


「ギディオン様どうそ。甘々に仕上げてありますから疲れも吹っ飛びますよ」


「はは。ありがとう。うん。いい香りだ」


 気持ちのいい笑顔で受け取ってくれたギディオン様。カップにそっと口をつけた。


「ああ、美味しいね。なんだか身体の底から力が湧いてくるようだ」


 そう、微笑んで。


 あたしもつられて笑顔になる。


「しかし……。君は不思議な子だね。君のそばにいるだけで、幸せな気分になるよ」


 え?

 一瞬固まるあたし。


「はは。困らせるつもりはなかったんだけどな」


「いえ、そういうわけでは無いのですけど……」


 ちょっとびっくりしただけ。ちょこっとだけ、心が温かくなって。嬉しかったから。


 あたしなんて、誰にも必要とされないんだと、そう思っていたから。

(だから、誰かの役に立ちたくてしょうがなかった)

 あたしなんて、蔑ろにされても当たり前だった、から。

(だから、理不尽を許せなかった)

 あたしなんて、愛してくれる人なんてもう居ないんだ、って、そう感じていた、から。

(だから……ほんとうは一人が寂しかった。お店のために、そう思って頑張ってたけど、アランさんやマロンさんが親しくしてくれるのが嬉しかったから。だからよけいに頑張れた。頑張らなきゃと思えたの)


 たぶんギディオン様にしてみたらほんの何気ない一言だったのだろう。

 それでも。


 あたしの心の中にはギディオン様の言葉が沁みていく。

 ああ、ダメ。泣いちゃいそうだ。


「ああ、ごめん。本当に困らせるつもりじゃなかったんだよ。君のそばにいると自然に笑顔になれるっていうか、優しい気持ちになれるっていうか、そういうの? 幸せな感情ってこういうものなんだろうなって。嘘じゃないよ? 本当にそう思っただけだから。ああ、ごめん。泣かせるつもりはなかったんだけど……」


 彼が、困った顔をしてあたしのあたまを撫でてくれた。

 もう。子供扱いして。

 そう軽口をたたきたかったけど、セリフが出てこなかった。

 涙が溢れて、もうちゃんと喋れなかったから。




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