一人歩き

見鳥望/greed green

「曲だけが印象的で、メンバーの事が記憶に残らないみたいな、そんなふうにはなりたくないよね」


 ボーカルの果歩はいつも通りの陰鬱としたオーラを纏いながらぼそりと呟いた。


「曲だけが一人歩きして、私達の事なんて誰の記憶にも残らないみたいな」

「いやまず曲も売れてねえから俺達」


 ギターの真也はいつも通り辛辣で現実的な言葉を彼女に叩きつける。


「……どうせ才能なんてないしね」


 そう言い残してまだ練習時間を30分も残して彼女はスタジオから消えてしまった。


「ちゃんと後で謝っとけよ真也」

「いちいちこんな事で謝ってたらやってらんねえって」


 ドラムの裕也を軽くいなして彼女の存在ごと掻き消すように真也はギターをかき鳴らした。





「……え、何これ?」


 そんなやり取りはいつも通りなのでこんな事で僕達は活動を止めなかった。この一件があった後、僕らは新曲を録音した。録音やミックスといった録音したものを音源用に整える作業が必要となり、こういったものをスタジオスタッフに任せるバンドも多いが僕達は全て自分達で行う。その中でミックス作業は果歩が行っていた。今日その完成した音源を僕達は集まって聞いていた。


「これが才能のない私なりの答え」


 彼女の意図がまだ僕達には分からなかった。ただ聞き終えた素直な感想としては、”ふざけるな”だった。


「てめぇ、どういうつもりだ」


 予想通り一番頭にきているのは真也のようだった。温厚な裕也ですら顔をしかめている。それだけ彼女の行為はひどかった。冒涜と言ってもいい。


「一人歩きさせるの」


 いよいよ僕達は終わりかもしれない。本気でそう思った。

 僕達が聞かされたものは僕らなりに誠意を込めて演奏した一曲だった。これで売れるかどうかは分からない。でも売れようと頑張って作った皆の曲だった。

 

 ”助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて”


 ラスサビ直前の静かなアルペジオだけのパートの後ろで、明らかに場違いで不穏な女の声が録音されていた。

 こんなものは録音時点ではなかったし、歌詞にも存在していない。演出で入れるにしても明るい曲調と歌詞の世界観にも全くマッチしていない異物でしかなかった。


 心霊サウンド。変な声や音が録音されているいわく付き音源というものがある。

 これはまさにそれだ。

 いや正確には違う。これは意図的にそうしたやらせサウンドだ。


「普通の曲を普通に聴くだけなんてもう終わり。突拍子もない、まさかそんな事しないよねって事でもすればいいのよ。才能がない私に出来る事なんてこんな事ぐらいよ」


 ネガティブな彼女に僕達はここまで付いてきた。それはひとえに彼女の魅力的な歌声があったからだ。だから少しの事は我慢してきた。面倒だと思いながらも慣れてしまえばどうって事はなかった。だが、これはさすがに駄目だ。


「帰るわ」


 本当なら罵詈雑言を吐き散らしたかっただろう。だがそれすらせずに一言だけ残して真也は先に帰ってしまった。それほどまでに彼の怒りは激しいものだった。

 僕も裕也も真也に続いた。全てが興醒めだった。

 その日を境に、僕達は解散を口にする事もなく集まるのを止めた。





 それから一か月が経った頃、果歩と偶然出くわした。吹っ切れたのか、妙に垢ぬけて明るい雰囲気になっていた事もあり、何となく素通りする事も出来ず「久しぶり」とぎくしゃくした声が出た。


「助けられなかったね」

「は?」


 だが彼女からは全く想定していなかった意味不明な言葉が返ってきた。


「気持ち悪いねオカルトって。姿形も命もないやつにあんな事本当に出来るんだね」

「……何言ってんの?」

「一人歩きなんて苦しい言い訳したけど、あれは私も本当にびっくりした」

「ずっと何言ってんだよ。意味分かんないよお前」

「お前ってどっちに言ってる? もう私しかいないよ?」


 駄目だ。こいつ、完全におかしくなってる。

「お前のくだらないあの音源のせいでうんざりしてたけど、どこかでお前の歌の才能だけには後悔が残ってた。だけどもういい。お前みたいな奴に関わるんじゃなかった」

「あの声だけがホンモノだったのにね」

「え?」


 彼女はもう歩き出していた。何事もなかったかのように、今まで一切の関わりがなかった他人のように雑踏に消えていった。




 それから一年も経たない内に、彼女はシンガーソングライターとして頭角を現し瞬く間に売れていった。

 一方自分達の音楽への情熱を失った僕だったが、全ての炎が消えたわけではなかった。結局音楽業界から離れる事は出来ず、バンドスタジオのスタッフとして日々を過ごしていた。


“あの声だけがホンモノだったのにね”


 彼女の言葉の意味。

 僕達はずっと一緒にいたのに、彼女の事を何も知らなかったのかもしれない。


”助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて”


 そんなオカルトあるわけない。

 でももしあれが彼女の言う通り、あれこそが僕達が初めて聞いた唯一の彼女の声だったとしたら。


“一人歩きさせるの”


 あれからもずっと、頭の片隅で無駄な事を考え続けていた。いくつもの馬鹿げた空想の中で、咄嗟に出たと言っていたあの言葉も、本当の彼女が関わってるんじゃないかと思った。

 僕達が見ていた果歩は、ホンモノから生み出された別の生き物で、それこそまさに手を離れて一人歩きしている結果なんじゃないか。


“助けて”


 だとしても、僕はもう彼女に関わりたくなんかない。

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