Basaraology

まは

第一章 風は荻の葉 -鎌倉幕府滅亡まで-

第1話 風は荻の葉 -斜陽の鎌倉幕府-

 婆娑羅ばさら。それは華美で豪快、常識を逸脱した南北朝期の武士たちの行動を揶揄した言葉である。嘆きと怨嗟に満ちたこの時代を、息を弾ませて駆けた婆娑羅たちの姿があった--


 一三三一年十一月、最末期の鎌倉幕府は至って平和だった。紅葉が散り始めた若宮大路で人々は噂話にさざめいている。

「後醍醐先帝のご謀反もようやく鎮められたようで何よりですな」

「帝は近々隠岐の島に流されるとか……。おいたわしいですが自業自得かと」

「ほんにほんに。先日の遠征のせいで馬を補充せねばならず、いい迷惑です。補助を幕府に申請したいのだが通るかどうか」

「そういうことならば、あの方に相談してみては?」

「あの方とは?」

「幕府へのお願いごとなら、彼に相談すれば間違いなし。思慮分別があり、人脈広大、上の方々の覚えもめでたく、我々のような下っ端の相談にも乗ってくださる親切な方でして」

「あ、噂をすれば!」

「佐々木道誉殿!」


 呼びかけられた武士が足を止めて振り向く。三十代半ばか、頭を丸めて墨染めの衣を着た長身痩躯。細面に鷲鼻、切れ長の瞳がこちらに向かって柔和に細められた。

「これは皆様お揃いで。いかがされました?」

「いや、先の戦の影響で馬を補充したいのですが、認められるか不安でして」

「成程。であれば真正面からよりもまず、予算を受け持つ中原殿に運用を相談してみてください。幕府重鎮の長崎様のお口添えもあれば盤石です。両人には私が先に話を通しておきましょう」

「おお、ありがとうございます!」

「では失礼致します」

 柔らかく頭を下げて、佐々木道誉は御所に向かって歩いて行った。墨染の袖の間にチラリと菊のような黄色が見えた気がして、武士は目を瞬いた。


 道誉は御所に入ると早速予算部署へと向かった。文官の中原は筆を取って頭を抱えていたが、道誉を見ると冷や汗をかいてニコリと微笑んだ。

「道誉殿か。いかがいたした?」

「少しご相談をと思いまして。後醍醐先帝鎮圧のため馬が足りなくなったそうです。どこか別の会計から予算を回せないでしょうか?」

「うーむ、昨今の悪党退治で既に出費が嵩んでいるのだ。各々の所領で賄ってもらうしかあるまい」

「ほう。ちなみに先日小耳に挟んだのですが、最近中原様は寺社への寄進がお盛んなようで。さぞ所領が潤っているのでしょうな」

「な、何が言いたい……」

「もしくはこの、少しずつ額が盛られている田楽興行費ですかな」

「……儂としたことが書き損じておった。ここが少し余っておる故、馬に回そう」

「ありがたい。後程本人が直訴に来ますので、同じように頼みますぞ」

「道誉殿、儂だけではない。皆この荒れた情勢に疲れ、不安から抜けられずに、頼みの綱を増やしているのだ」

「心中お察しはいたします」

 戸を静かに閉めると、道誉は苦い顔で歩き始めた。土地は狭くなり、悪党が跋扈し、帝が討幕の意志を見せる。光の見えない時代だ。しかし、いやだからこそ支えるべき幕府の屋台骨を削るような行為が容認されている。……そして何よりも。

「鎌倉は誰も彼もダサいっ!! 土や木のような色の直垂ばかり、百五十年ずっと同じ格好しやがって! 早く京に行って公家のきらびやかさを浴びたいわ!」

 思わず口をついて出てきた悪態に自分で苦笑しながら、御所の最奥に到着した。

 戸を開けると、向こうには布団から身を起こしたお方。


「おお、道誉。来てくれたか」

「高時様」    ※鎌倉幕府総帥•北条高時

 頬がこけているが眉を八の字に開いて微笑んだ七歳下の主君に、道誉はほっと胸を撫で下ろした。

「お加減が良さそうで何よりです。京の茶をお持ちしました」

「嬉しいな。お、墨染めの下に菊の襦袢とはやるなぁ」

「バレましたか」道誉はチロリと舌を出す。

「長崎殿たちの前では出すなよ、厳しいから。そうだ道誉、今音曲の書を読んでいるんだ」

「ほう」

「普段聴いている音たちに名前がつくのが面白い。……なあ道誉。婆娑羅、を知っているか?」

「ばさら? いや、知りませんな」

「音曲用語でな。本来の拍子から外れて、自由に目立つように奏でることを婆娑羅というそうだ。お前そういうの好きだろう」

「よくご存知で。この菊色も、婆娑羅ですかな」

「そうだろう。でも道誉にはきっと、もっと豪快で華麗な方が似合う。鎌倉でやったら怒られそうだが」

「たしかに」

 高時と道誉はしばらく二人でクスクス笑っていた。

 しかし高時の時間はあまり長くない。

「少し疲れてきた。道誉、後見人殿を呼んで参れ」

「……お待ちくだされ」

 後見人の長崎円喜が着くと、高時は先ほどとは別人のようにうなだれていた。

「ああ、気を晴らしたい。円喜、犬をここへ。道誉はもう下がってよい」

 道誉は黙礼すると、御所の入り口へと退いた。ああなった高時様は、あまり見ていたくない。どうしても血が見たくなって、犬同士を争わせているのだ。五年前病を患ってから、もう治らない。

 

 俺は狡い。楽しい時の高時様だけを喜ばせて、苦しい時のあのお方は見たくもないと必要以上に下がっている。

 先の武士たちの横領にしてもそうだ。同じことこそしないものの、俺だってその状況を打破するでもなく、気を利かせて恩を売ることしかできない。婆娑羅などとは程遠い。

 道誉は長いため息をついて、夕暮れ色に染まり始めた空を見上げた。雲に覆われてどことなく暗い山際に、真っ赤な太陽が落ちて行く。


***


 一方その頃京の六波羅館。大勢の見張りの武士たちが警戒しているのは、外からの侵入者だけではない。中から出でんとする恐ろしい気力をひしひしと感じて、皆体を硬くしている。

 中におわすのは軟禁の身となった後醍醐先帝だ。やや小柄で筋肉質な身体の上に、暗闇の中らんらんと二つの目が光っている。

「流刑か。フッ……甘いのう北条よ。命をらぬ限り我が理想の炎は消えぬ、やがて汝らを燃やし尽くすであろうよ!!」

 この火の玉のような帝を流刑地まで警護することになるのが、他ならぬ佐々木道誉である。彼の運命はここから大きく飛翔していく。




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