第32話元義兄side
マロウ子爵家は随分と羽振りが良いのか、不自由なく生活が出来た。
「ラシード様、これなんてどうですか?」
「いいんじゃないか」
「本当ですか?こちらとどちらが似合ってます?」
僕の手を引いてドレスを鏡の前で当てるナターシャ。
どっちでも良いだろう。好きに選べば良い。何故、僕の意見を一々聞いてくるんだ?意味が分からない。
ナターシャの行動はこれだけに収まらない。
「ラシード様、おいしいですわよ。はい、あーん」
「……ナターシャ……恥ずかしいから止めてくれ」
食事の時には必ず僕の右横に座ったり。食べさせて来たりする始末。自分で食べると言ってるのに……。人の話を聞かないのか聞いていないのか……。だいたい食べさせられるって何だ?病人じゃないんだぞ?子爵夫妻は微笑ましいものを見るような目で眺めて、ナターシャを諌めない。意味が分からない!
疲れる。
ナターシャの言動に心底疲れた。
なにしろ四六時中側に居るし、僕の世話を焼こうとする。その世話も何処か頓珍漢なのだ。「一人にして欲しい」と言うと泣かれる。何故泣くのか意味が分からない。ナターシャが泣くと、何故か僕が泣かせたことになっている。子爵夫妻に叱責されるし、使用人たちの目は厳しいし、どうしろというんだ!
翌日、僕は子爵に仕事をしたいと願い出た。
このままナターシャに纏わりつかれるのは精神が擦り減る。少しでも離れたい。
ナターシャは嫌がったが子爵夫妻は喜んだ。
まあ、いずれナターシャが後を継ぐとはいえ、実権は僕に譲る考えなのだろう。婿入りとはそういうものだ。なら、早いうちに仕事を覚えさせておいた方が子爵家の為になる。子爵夫妻も僕と同様の考えだった。娘を溺愛している以外はマトモだ。そもそもナターシャでは子爵領を治めていけないと悟っているのだろう。賢明な判断だ。あれでは無理だ。
僕が子爵家の仕事を一早く覚えれば夫妻がナターシャに爵位を譲り渡す日が早まるに違いない。ナターシャは僕に惚れ込んでいる。例え子爵夫妻が渋っても娘に言われたら頷く筈だ。そうすればチャンスはある。
もう一度、王都の社交界に復帰するチャンスが!
上手く社交界に返り咲きさえすれば、何とかなる!
僕の優秀さは皆が知っている筈だ。王族の方々にだって認められる筈なんだ。出会うチャンスさえあれば!
超一流の教育を受けて来たんだ。チャンスさえ巡って来れば……絶対に。
しかし、そんな僕の思惑と計画は脆くも崩れ去ることになる。
「何を考えているんだ?そんな人材が何処にいる?」
「ですが領地経営には必要なことですよ?」
「はぁ~~~。それは広大な領地と優秀な人材が始めから居てこそ成り立つ方法だ。ここは小さな領地なんだ。当然、人員は少ない」
「増やせば良いだけです」
「増やしてどうする?不必要なものに経費は落ちない。いいかい?人件費っていうのは君が思っている以上に馬鹿にならないんだよ」
「でも、侯爵家では!」
「侯爵家?ウォーカー侯爵家の事かい?いいかい、侯爵領と子爵領とでは元々人口からして違う。まして、うちの領は交易を主軸にして観光業で稼いでいるんだ。そうそう人なんて雇えないよ」
「それならば人材を育てればいい!そうだ!優秀な人に移住して貰えば!」
「……人が育つのにも時間がかかる。それに優秀な人とは誰の事を言っているんだ?あてはあるのか?それともこれから探すのか?どちらにしても交渉役はどうする気だ?」
「……」
何も答えられなかった。
今まで侯爵家で教えられたことは何一つ役に立たなかった。
完成されたものを更に素晴らしいものに完成させる手段は知っていても、突出したものを生みだせることはできない。上に立って指示をして人を動かせる術を教えられても、仲介人のように相手と相手の間に入ってお膳立てする術を知らない。
一つの事に特化した子爵領では僕の出来る事は何もなかった。
「ラシード殿、うちの子爵家は領地経営だけでなく商売もして成り立っている家なんだよ」
子爵の言葉に驚いた。
「分かるかね?領地経営だけでここまでの利益はでない。なにしろ子爵領は狭いからね。殆ど商売で成り立っていると言っても過言ではないんだ。そもそも領地経営そのものが観光で成り立っている。それを無視する事はできない」
まるで己の浅はかさを指摘された気がする。
僕は一から勉強をし直す必要があった。
そして、何より。
「お帰りなさい、ラシード様!」
ナターシャの束縛から逃れるためには必要な事だった。
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