蒼紺の夜空
深雪 了
友人
午後六時。
制服から私服に着替えて、お決まりの挨拶と共に勤め先のコンビニを出る。
十月ともなると空は暗くて、少し冷たい夜風を身に浴びながら宮森藍は街中を歩いていた。
空自体は暗くても、藍の周辺は明るい。居酒屋やキャバクラなどの集まりによって出来たネオンの中を、長い黒髪をたなびかせながら彼女は抜けて行く。抜けた先に辿り着いたのは地下鉄の駅の入口だった。
十九歳の藍はコンビニのバイトで生計を立てていた。何かの夢のためにフリーターをしている訳ではなく、むしろ何の夢も無かった彼女は高校を出てからただその日暮らしをする生活を続けていた。
彼女は温かい家庭というものを知らなかった。もともとは両親のいる普通の家庭だったが、仲違いした親二人は自分達の分身である藍にも興味を失った。よって彼女は幼い頃から十分な愛情を受けることなく、ただ義務感だけで育てられた。
そのような生活を送ってきた藍は、自分の人生を前向きに考えることや将来の夢を持つことなく、高校卒業と同時に冷え切った家庭を抜け出すと、先の人生を考えずに漫然とした日々を過ごしていた。
地下鉄のホームで滑り込んで来た電車に乗り、三駅ほど先を目指した。小ぢんまりとした駅の出口を出るとそこから十分ほど歩き、小さなアパートに辿り着く。目的の部屋の前に行くと藍はその一室のインターホンを押した。
扉が開き、中から顔を出したのは藍と同じ年頃の少女だった。金髪に近い茶色の派手な髪はやや乱れていて、胸元まで長さがあるのも相まり黒いスウェットの上で存在感を放っていた。化粧はしていなく、剃られて薄くなった眉が逆に目を引いた。
「うっす」
「何そのカッコ。出掛けてないの?」
藍が玄関で靴を脱ぎながら言葉をかけると、鈴佳は、あー、とまた間延びした声を出した。
「今日バイト休み」
「だからってさ、自分の酒くらいは自分で買って来てよね」
「ついでだからいいじゃんー」
部屋に入ると、藍はテーブルの上に、勤務先のコンビニで購入した二人分の酒とつまみの入った袋をドカッと置いた。今日は藍の仕事が終わったら鈴佳の家で飲み食いをする話になっていた。
鈴佳の家にはダイニングは無く、狭いワンルームに脚の短いテーブルがあるだけだったので、二人はカーペットの敷かれた床に座って缶チューハイを傾け始めた。
「藍今バイトどのくらい入ってんだっけ?」
コンビニのイカ焼きを頬張りながら鈴佳が聞いてきた。藍もレモンサワーを飲みながら餃子に箸を伸ばした。
「週5」
「うわー、めっちゃ働くじゃん。働き者じゃん」
「ここみたいな
「藍の家だって大して変わんないじゃん」
「うっせ」
藍の家は部屋がもう一つ多かった。加えてあまり節制をしていないので、多めに働く必要があった。アルバイトの身でそういった生活をできるのには他にも理由があったが、鈴佳には話していなかった。
「親父からまた連絡きたよ。まじウザい」
「ちゃんと働けみたいな連絡?」
「そう。家出た意味全然ないし」
学生時代、鈴佳は父親と二人で暮らしていた。母親は鈴佳が中学生の時に恋人を作って出て行き、そのことは多感な時期であった鈴佳に大きな影響を与えた。父親は鈴佳のことを気にかけ続けたが、彼女がショックから立ち直って真面目に生きることはなかった。高校時代、藍と鈴佳の二人はよく学校を途中で抜け出し、飲食店に入り浸ったりゲームセンターで時間を潰したりしたものだった。
「うちは全然干渉してこないよ」
「ずっとそんな感じだったもんね、藍んち」
「どっちがいいんだろうね」
「ロクでもない家に生まれた時点でウチら終わってるっしょ」
若干自嘲気味に笑いながら鈴佳は言った。
「ねえ、もし普通の家に生まれてたら、どんなことがしたかった?」
箸でつまんだ鶏の唐揚げを口に運びながら、藍は尋ねた。それに対し鈴佳はんー、と目を横に流し一瞬考える仕草をした。
「わかんない。普通の家に生まれなきゃわかんないや」
それは藍も同感だった。人並みの幸せというものを知らない藍は、幸せな人生というものが想像できなかった。なげやりに返って来た友人の返事に、彼女もまた自嘲的な笑みを浮かべてサワーを持った手を傾けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます