第13話 アネア

     ※


 昼食を終えて教室へ向かう途中、


「アネア、ちょっといいか?」


 廊下を歩きながら、俺は彼女に声を掛けた。


「どうかしたの?」


「ここでは言いづらいことがあるんだけど……」


「え……!? そ、それって……」


 俺の言葉に、アネアは不意を突かれたようにビクッと震えて、動揺したように足を止める。

 緊張した面持ちで視線を俺から外す。

 どこかそわそわと、落ち着かない様子だ。


「や、ヤトさん……!?

 そういうことはまず、トークアプリなどで伝えて呼び出したほうが……」


 なぜかミルフィーも、驚くような目を丸めてはっとした表情を見せている。

 ここで伝えることで、それほど大した話ではない。

 ミルフィーとルゴットに、そう思わせておきたいという狙いがあった。

 だが、予想外に注意を引いてしまったようだ。


「なんだよ? オレらには言えないことなのか?」


「ルゴットくん、その質問はデリカシーがありませんよ?」


「なんでだよ?」


「はぁ……男性方はもう少しだけ、乙女心を学んでほしいです」


 ミルフィーは不満そうに言いながら、俺とルゴットを交互に見た。

 妙に呆れた感じも含まれていて、少し居心地が悪い。


「ま、まぁ……とにかくさ。

 今はアネアと二人きりにしてくれないか?

 話し終わったら、直ぐに戻るからさ」


「……わかりました。

 ですが、午後の授業に遅刻しないでください。

 ルゴットくん、行きますよ?」


「え、お、おい……ミルフィー、オレらも一緒に聞けばいいんじゃ?」


 先に歩き出すミルフィー。

 ルゴットはその背を追って、二人は教室へと歩いて行った。


(……さて……)


 周囲を見回す。

 人の姿は見えない。

 午後の授業が始まるのだから、当然か。

 今なら誰かに話を聞かれる心配はなさそうだが、


「場所を変えるか」


「そ、そう、だね」


 上目遣いで、ちらっと俺を見た。

 目が合うと、アネアは直ぐに目を逸らす。

 俺は構わず足を進めた。

 デバイスからアセスを起動して、学園内のマップ情報を表示する。

 大型のショッピングモールくらいの広さがあるのではないだろうか?

 これは、一般的な教育機関ではありえない規模だろう。

 この超巨大な学園の中でなら、二人きりになれる場所などいくらでも確保できそうだ。


「ここで、いいか」


 階段の横にある僅かなスペースで俺は立ち止まる

 そこでアネアの手を引き、壁に押し付けた。


「っ――」


「アネア……」


「は、はい」


 返事をするアネアが、ゆっくりと視線を上げた。

 視線が交差する。

 彼女の瞳が、しっかりと俺を捉えていた。

 体温が上昇しているのか、アネアの頬が朱色に染まっていく。


「……Sランク――」


「え……ぁ……!?」


 最初はなんのことかわからない。

 そんな顔をした直後の明らかな動揺。


「……やっぱりデバイスに表示されていたあの表記は、間違いじゃなかったんだな」


「ど、どうして……ぅ……あ、違う……私は……」


 そこは、嘘であっても誤魔化すべきだ。

 アネアは明らかな失策を犯した。


「食堂でたまたまキミのデバイスが見えた。

 キミの価値――総合評価はSランク。

 だが、俺のデバイスには……キミの評価はDランクになっていた」


「……」


 アネアは何も答えない。

 だが、その瞳は激しい不安を感じるように揺れている。


「アセスで一通り、生徒の個人評価を確認してみた。

 その中で確認できたのは最大でもAAAランク。

 Sランクの価値を与えられている生徒は誰もいない」


「……み、見間違え、じゃない?」


「なら今、アセスを起動してキミの評価を見せてくれないか?」


「ぅっ……」


 アネアはなんとかこの場を切り抜けようとしている。

 だが、戸惑うばかりで言葉が出てこない。


「アネア……俺は君を追い詰めたいわけじゃない。

 でも……もし知っていることがあるなら、教えてくれないか?

 キミの助けになれるかもしれない」


 信じてほしい。

 そんな想いを込めて、彼女を見つめる。


「でも……」


「このことを黙っていることもできた。

 でもアネア……これをキミに伝えたのは……そうするべきだと思ったからだ」


「……それは……どうして?」


 彼女はどういう答えを求めているだろうか。

 望む答えを与えれば、俺の知りたい情報に近付くかもしれない。


「会ったばかりでこんなことを言っても信じてもらえないと思う。

 でも……もし事情があるなら……キミを助けたい」


「……私に協力したって、何も意味なんて……」


「友達を助けるのに、意味が必要なのか?」


     ※


 彼の瞳が私を見つめる。

 嘘の欠片も見えない真っ直ぐな瞳が私を見つめていた。


(……ヤトくんを信じたい)


 その想いはどんどん強くなっていく。

 嘘を吐いてるようには見えない。

 真剣に、自分の想いを伝えてくれているように思う。

 でも、人の心は見えない。


(……私を利用したいだけかもしれない)


 私から情報を引き出したいだけ?

 過去に何度も、裏切られたことはあった。

 これまで誰かを信じて、よかったことなんて一度もない。

 耳心地いい言葉で近付き、取り入ろうとする者たち。

 側近たちすらも、私を利用して立場を築きたいだけだった。


(……また、同じことを繰り返すの?)


 きっと後悔するだけだ。

 失敗するだけだ。

 でも、


(……ここで彼に真実を話さなかったら?)


 誰かに、情報を漏らされるかもしれない。

 そうなったら、私は終わりだ。

 この学園を退学になるだけじゃない。

 残りの私の人生全部……壊れてしまう。

 私だけじゃない。

 お母様だって……どうなるか。

 恐怖心に身体が震える。

 何も思い浮かばない。

 考えなくちゃ――


『友達を助けるのに、理由が必要か?』


 上手く言葉が出ない私に、ヤトくんはそう言った。

 私と彼の繋がり。

 この学園の最初の友達という繋がり。


(……友達。生まれて初めての友達)


 信じたい。

 だから、友達になろうと言った。

 信じられる繋がりがほしかった。

 誰も知り合いのいないこの学園で、孤独はイヤだったから。

 でも、私たちはまだ出会ったばかりだ。

 そこに信頼と言えるほどの関係はない。

 なのに、ヤトくんは既に一度、私を助けてくれている。

 自分が怪我を負ってまで、庇ってくれた。


(……信じたい。なのに……)


 私の弱さがそれを邪魔して――


『ねえ……アネア……』


 不意に、お母様の言葉が蘇ってくる。

 信じていた人に裏切られて、泣いてばかりいた私に、お母様が言ってくれたこと。


『どれだけ辛くても、人を信じることを忘れないで。

 それが出来なくなった時、人は本当に不幸になってしまうから』


 お母様の言っていたことは、私には難しいことばかりだった。


『誰かを恨んではいけないの。

 人は一人じゃ生きていけないんだから。

 頼って、頼られて、みんなで助けあって生きていくのだから』


 でも、今の世の中は力がないと生きていけない。

 弱い人は捨てられて淘汰されてしまう。

 お母様の言葉はただの心地のいい夢や、理想と変わらない。


『でも、もしどうしても辛くなったら、いつでも私のところに来ればいい。

 こうやって、いつだって私があなたを抱きしめる。

 優しさを忘れてはダメよ、ね? アネア』


 誰か信じるのは今も怖い。

 次に裏切られたら、私は人を恨んでしまうかもしれない。


『あなたが優しさを忘れなければ、その優しさはきっと誰かを、そしてあなたを自身を救うことに繋がる。

 誰かを愛しいと思う気持ちは、世の中を変える力になるの』


 優しさなんて、二度と思い出せなくなるかもしれない。

 それでも――私は、ヤトくんを信じたい。

 もし彼に裏切られたとしても、多分……それでもいいやって思えると思ったから。


     ※


 アネアから返答はない。

 やはり出会ったばかりの関係で、信じてもらうことはできないか。

 もう少し時間を掛けるべきだった。

 信頼する価値があると信じさせる為にも。


「……わかった。ヤトくんを、信じる」


「っ……いいのか?」


 頷くアネア。

 この短い逡巡の間に何があったのか?

 だが不安そうな表情は消えて、覚悟を決めたように力強い表情を見せた。


「一つだけ、約束して。

 この話は私とヤトくんだけの秘密にするって」


 今度は俺が頷いた。


「耳、こっちに向けて」


 彼女に耳を向ける。

 すると背伸びして、俺の耳元に彼女の唇が近付いた。


「私の本当の名前は――アネア・パンゲア」


 俺以外の誰にも聞こえることのない、囁き声で語られる。


「パンゲア帝国皇帝―デストラ・パンゲアの娘」


 彼女が最高評価を超えた価値を与えられている理由。


(……アネアが、パンゲア皇帝の娘!?)


 それは俺の復讐の根源――倒すべき敵。

 パンゲア皇帝の娘であるなら納得がいく。


「そう、か……」


「今言えるのは、それだけ。

 細かい話は……放課後――二人きりの時でもいい?」


 言って、アネアが俺から身体を離す。

 その時に見えた彼女の顔は、不安……いや、複雑な心境に揺れているように見えた。

 だが同時に決意を感じさせる。 そんな眼差しをしている。

 少なくとも、嘘を吐いてるようには見えない。


「……わかった。

 あとでまた、詳しく聞かせてほしい」


 今はそれが聞けただけで十分だ。

 事実確認は後日行えばいい。

 本当にアネアがパンゲア皇帝の娘なら――俺が考えていた以上の利用価値が生まれるのだから。


(……ふふっ、あははははははははっ……)


 零れてしまいそうな笑みを、俺は必死に堪える。

 俺はなんて運がいいんだ。

 この学園に入学した価値――それは俺の想定を遥かに超えて、予想もしなかった効果を生み出すかもしれないのだから。


(……アネア・パンゲア――お前を利用させてもらう)


 俺の考えなど何も知らず。

 彼女が先を歩いていていく。

 その足取りは不思議と軽く見えた。

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