第8話 ルーラー

「一体、何の騒ぎ?」


 感情の薄い、淡々とした声音。

 だからこそ、騒がしい教室の中でも目立って聞こえたのかもしれない。


「せ、先生ですか?」


 生徒の一人が、慌てふためくように尋ねる。


「ええ。

 朝礼を始めたいんだけど、問題でも――……あったみたいね」


 倒れる俺に気付いたのだろう。

 教師が慌てた様子で俺に駆け寄ってくる。

 それに合わせて、ゆっくりと顔を上げた。

 すると、


「……っ!?」


 正直、驚愕に身が震えた。


「あ、あなたは……」


「ぁ……はは……」


 視線の先で戸惑いの色を浮かべる教師を俺は知っている。

 無法区画で犯罪者に襲われていた少女――名前は確かミラ・ルネット。


(……よりによって、こんなところで会うなんて……ヤマトではなく、魔術で変装した偽の姿――ヤトとして会ったことが逆に仇になったな……)


 だが、なぜだ?

 学園の教師に関する情報は事前に調査していた。

 その中で一年の担任は『アベル・リンド』という男性教師だったはずなのだが。

 

「彼が暴力を振るって……それでヤトくんが……」


 困惑する俺の変わりに、アネアが口を開き状況を説明した。

 俺の口元の血を見て、ミラは視線を被疑者に向ける。


「……認証番号1A38番。リカルド・フェルン。

 あなたがやったの?」


 淡々と、問い詰めるようにミラは生徒の名を呼んだ。


「だったらなんだ?

 ここは支王学園ルーラーズアカデミア――力が価値となる学園なんだろ?

 弱い奴が、強い奴を暴力で支配しようとして何がいけない?」


 リカルドの言ったことは、決して間違っていない。

 上級国家の侵略行為など、暴力の頂点に位置しているだろう。

 圧倒的な暴力を裁けるものはいない。

 だが、


「確かに支王学園のシステムには戦闘力――暴力を実力とする項目は存在してる」


「だろ? なら問題はねえ――」


「それが問題ないかどうかを決めるのは私じゃない。

 学園のシステム……『ルーラー』が判断する」


 突如、教室の風景が一変する。

 まるで闇に包まれたような暗黒が教室に広がった。

 これは、拡張現実によって作り出された映像だ。

 その中で眩い光が煌めき、黒板があった場所に、大型のディスプレイのようなものが表示される。

 その画面には、リカルドのプロフィールが表示された。

 名前や身長のようなプライベートなものから、学力、運動等のランク。

 そして総合能力。


『あなたの価値を判断します』


 教室に備えついているスピーカーから、機械的な音声が響いた。


『リカルド・フェルン――入学時の能力はDランク。

 入学時点で学園市場価値は2000万の値が付いています。

 これが、あなたの命の価値です」


「っ……なんなんだ、こりゃ……?」


 渦中の男が、動揺するように眉を顰める。

 2000万――ディスプレイにリカルドの価値が大きく表示される。

 人間一人の価値としては、この金額はどう感じる者が多いのだろうか?


『統計から社会基準を算出――現在の社会通念上の常識として、暴力行為は許容されていません。

 不平不満があるならまずは、言葉による解決を行うのが一般的でしょう』


 俺はシステムの決定を黙って聞いていた。


(……学園のシステム――ルーラーについては、事前にサクラの情報網で掴んでいた)


 多くの情報から学習する思考型システムであり、生徒の価値を決める管理者。

 だが、そのシステムの詳細な情報を得ることは叶わなかった。


(……たとえば、現時点でどういった価値基準を持っているのか)


 それを確かめる為に、俺はリカルドを利用してわざわざこの状況を作り出したんだ。

 たとえば暴力を使った時、システムは何をどう判断するのか?

 上級国家は暴力に塗れている。

 侵略、侵略、侵略――暴力で全てが飲み込んでいく。


 大衆の前での暴力が許容され、価値と判断されるなら――いっそ学園内で暴力による恐怖政治を敷くことも正解の一つに成り得る。


 だが教室という周囲の目がある場所、しかも今後三年間付き合いが継続するクラスメイトのいる場所で、暴力を使うことが正しいのか?


 もしここが無法区画なら、もしここが戦場ならば、生きる為の暴力もやむなしだろう。 

 だが、本音と建て前を人は持っている。

 正式な場を除き、システムに暴力が評価される場所は限られているのではないか?


『よって、現在の価値に社会基準によって算出されたデータを加えることで、リカルド・フェルンの価値はマイナス3000万円となります。このデータは本日中に適用されます』


「だ、だから、なんだって――」


 審判を下されようとしている男の言葉など、誰も答える価値はない。

 そう告げるように、この機械音声が止まることはない。


『これより、学園市場を緊急開放。

 銘柄『リカルド・フェルン』に対しての売買を開始いたします。

 尚、現在の相場は社会基準が加えられておりません。

 損失を避ける場合、一刻も早い売り注文をおススメいたします」


 瞬間、算出される価値が変動して猛烈な勢いで下がっていく。

 すると、ディスプレイに売りの注文が殺到した。

 そして……。


『リカルド・フェルンの学園市場価値は0となりました。

 買い注文は一切ありません。

 これによりリカルドの退学が決定となります。

 また、退学後にあなたは国家に対して5000万円の支払い命令が下ります。

 払えない場合は強制労働となりますので、ご注意ください』


「は……? え……? 何が……?」


 拡張現実の世界が消えて一瞬で教室へと変わる。


「あなたの価値はこれで消えた」


「だから、何が、どうなって」


 ミラは先程と変わることなく、淡々と口を開く。

 だが、その目には僅かながらの同情が見えた気がした。


「世の中には表と裏が存在する。

 表向き――事実はどうであれ、社会には暴力を許容する人間なんていない」


「力を使うのは当然だろ! 弱い奴をいたぶって何が悪い!?」


 自身を正当化しようと無価値の敗北者が叫び狂う。

 ミラは注意深く見ていなければ気付けないほどわずかに、表情を曇らせる。


「そんなこともわからないから……あなたは退学になったんだよ」


 ――ガアアアアアアアアアン!!


 怒り任せに、リカルドは椅子を蹴り飛ばす。


「っ――ふざけんじゃねえぞ! だったら俺の力を認めさせてやるまでだ!」


 リカルドは先生に詰めより拳を振り上げる。

 だが、ミラは冷静だった。

 身体を反らすことでその攻撃を回避し、一歩前に右足を出す。

 するとリカルドは餌に釣られる獣のような自然な流れで罠に掛かり、派手に転がった。

「もう、話は終わり」


 言って、取り出した小型のデバイスを起動させた。

 瞬時に魔力で構成された白いワイヤーが、罠に掛かった愚者を拘束する。

 最後の無駄足掻きすらも、ミラによって直ぐに鎮圧されてしまった。


「……ちきしょう! ちきしょうっ!」


『最終警告。

 学園の退学勧告に従えぬ違反者は学園牢に収監されます。

 クラス管理者ミラ・ルネット――収監許可を』


 そのシステム音声を聞き、喚き散らすリカルドが言葉を失う。


「……今ならまだ見逃せる。

 でも、これ以上の騒ぎを起こすなら……容赦はできなくなる」


 自身の生徒になるはずだった者への最後の慈悲だったのだろう。


「っ……くぅ……」


 それを理解したのか、それとも全てを諦め絶望したのか。

 リカルドは石を失った人形のように動きを止めた。


「失礼します――公安委員です。

 違反者への対応に参りました」


 暫くして、黒い学生服を纏った三人の生徒が教室へやってきて、退学者を強制的に連れ去っていく。

 その背中を見送りながら、敗北者の末路を俺たちA組の生徒は理解させられることになった。


「……ヤト」


「はい」


 ミラが俺を見つめる。

 その目は、色々と尋ねたいことがある……と、語っている。


「怪我は痛む?」


 だが、その口が語ったのは俺を心配する言葉だった。

 教師という立場が彼女にそうさせたのか?

 それとも人として、ミラはそういう人物なのか。


「いえ、大丈夫です。

 ご心配、ありがとうございます」


「……わかった。

 もし体調が悪くなったら直ぐに保健室に行って、決して無理はしないで」


 淡々と用件を伝えたあと、「放課後、二人で会いたい」と俺にだけ聞こえるように、耳元で囁いた。

 そして、銀髪の少女は小さく微笑み、俺にハンカチを差し出す。


「ありがとうございます」


 内心動揺したが、それを顔に出すことはなく感謝を伝えた。

 ミラは小さく会釈をして教壇へと向かい、俺も自分の席へと戻る。

 そして、予定よりも遅い朝礼が始まった。

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