美少年が降ってきたからって、安易に助けてはいけない件

二辻

空から転がり降りてきた。

 落ちてきた。

 天から、美少年が。


「っ!?」 


 危ない、と思うより先に身体が動く。上空から落ちてきたものを受け止めようと手を伸ばして、ああこれを受け止めたら腕の骨の一本や二本折れるなぁ、なんてぼんやりと考える目の前に、スローモーションのようにゆっくりと彼は落ちてくる。

 あと30cm。それだけ伸ばせば手が届く。間に合え、と地面を蹴る。


「わぁ。ありがとう」


 バクバクと心臓が鳴っている。全身が心臓になったかのようだ。鼓膜のすぐ近くで鼓動が騒いでいる。喉が脈打っているようで気持ちが悪い。


「は……はぁっ、はぁっ」

「あは、すっごい汗」


 腕の中でにこにこと笑っている少年は、自分が間一髪地面に叩きつけられなかったという自覚がないのだろうか。額から目蓋に滴り落ちそうになっている汗を、指先で拭ってくれている。


「助かっちゃった」

「ちゃった、じゃ……なくて」


 ぜぇぜぇと苦しい息で彼に話し掛ける。


「でも、まだ」


 少年はにっこりと微笑んで指を持ち上げる。指の動きにつられるようにゆっくりと顔を上げると、空から大きな蛇が降りてくるところだった。


「っい!?」


 逃げなきゃ、と思うのに、少年を抱きかかえた衝撃で全身を打ってしまったようで立ち上がれない。せめてこの子だけでも逃さなければ、自分がここまでした意味がない。


「逃げなさい」


 腕から離した彼の肩を押す。しかし、彼はそこから動こうとしない。にこにこ微笑んだまま、こちらを覗き込んできている。


「早く……っ!」

「でもこのままじゃあなたが食べられちゃうよ」


 降ってくる。大きな蛇が、影が自分たちの身体を覆う。


「助けてくれたから、助けてあげる」


 彼は馬乗りになってくると、なにをするつもりかと目を見開いた私の顔を両手で覆い、顔を寄せてきた。彼の背後に、蛇が迫る。逃げろ、と言いかけた唇を、彼の唇で塞がれる。

 呼吸を忘れ、目を見開いて、ただされるがままになる。重ねられた唇は冷たい。熱い舌が挿し込まれる。そこから、生ぬるいものが流し込まれ、抵抗も出来ずに喉に滑り落ちていく。唇が重なった瞬間、蛇はぴたりと動きを止めて、しばしその場に留まる。今にもこちらに落ちてきそうな位置で、こちらの気配を探っている様子が見える。

 しばらくして、興味を無くしたように蛇はするすると上空に昇っていく。


「んーっ」


 ちゅっ、と軽く唇を擦って離れた少年は、口を開こうとしたこちらの口を指で押さえて「しー」とジェスチャーで伝えてくる。ちらっと見上げた彼は


「もうだいじょうぶ」


 馬乗りになっていた体勢そのままに、満面の笑みを浮かべる。その表情はあまりにも無邪気で、今の今まで唇を重ねてきていた子とは思えない。引き攣るような呼吸を繰り返している姿を見下ろした彼は、うふふ、と楽しそうに体を揺らした。


「ああいうのは、人間の呼吸に惹かれるからねぇ。僕で塞いで気付かれないようにしてあげたの。感謝してね」


 ――いや、上から落ちてきた君を助けたのはこっちで……


「天から飛び降りても無事かどうかって賭けをね、あの大蛇としてたんだけど。助かったからボクの勝ち」

「勝ち……?」

「うん。勝っちゃったから、あいつからなに貰おうかなぁ」


 この子、なにかおかしい。

 にこにこと笑っている彼に、上から退いてくれとお願いしてみるが、言うことを聞いてくれる気はないようだ。


「って言ってもー、特に欲しいものってないんだよねぇ」


 じわじわと背中の辺りに生温いものを感じる。周囲に、鉄の香りが広がる。これ、もしかしたら、やってしまったかもしれない。


「ねえ、もしかして、死にそう?」

「……え?」

「いくら二階からでもさぁ、落ちてきたボクを抱きとめて飛び降りるのは無理だったんじゃないかなぁ」

「顔、真っ白。すっごい血も出てるし、手足も変な方向に曲がってる」

「……え?」


 ――ああ、そうだ。わたしはアパート二階の自宅の窓から飛び出したんだった。

 自覚させられた瞬間、全身を痛みが襲う。苦しい。痛い。熱い。冷たい。視界が狭まる。なにも、見えなくなりそうだ。ひゅーひゅ-と喉が鳴る。


「あっ、思いついた」


 ぽん、と手を打った彼は、立てた人差し指で天を指した。


「欲しいもの、決めた。この人間」


 彼はにやぁと笑う。その唇の間に、尖った歯が見える。少年が語り掛けているのは、空。


「これ、ボクにちょうだい。ペットにする。だから、これに永遠の命を」


 空が光って、雷のようなものに身体を打たれて――そこで記憶が途切れた。


 +++


「あっは♡ じゃ、次はねえ……あっちの稲荷のところに遊びに行こ?」


 危機一髪、美少年の命を救ったはずの自分は、自らとんでもない性悪疫病神の手の中に飛び込んでしまったようで。手に入れた望まぬ永遠の命を大蛇に返す日を待ち望みながら、今日も自分をカミサマだと自称する彼に振り回されているのだった。

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美少年が降ってきたからって、安易に助けてはいけない件 二辻 @senyoko

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