その6

「僕は仕事中に時間をとって君に会いに来てるんだぜ。 組合は大事かも知れないが、ハイキン グとか言うのは、 要するに遊びの相談だろ。ふつうなら、そんなものうっぱらって会いにくるはすだ。結局、君には僕と会うより、組合の活動の方が楽しいんだと思うよ」

 竹夫は一気にしゃべると、ことさら渋面をつくってコーヒーをグイと飲んだ。煙草を吸って、煙を大きく吐き出したかった。

「もう怒らないで、ね、梶木さん」光子は苦しそうに眉根を寄せた。レモンスカッシュのグラスの胴を、包んだ指で上下に撫でながら、 「ど うし て組合とあなたが比較で きるの。 前は私が組合活動するのを励ましてくれたじゃない」呟くように言った。


 グラスを撫でる光子の癖は、竹夫に男性器を摩擦するしぐさを連想させ、情欲をくすぐるのが常だった。竹夫は光子の胸に目をやった。ふつうより大き目のふくらみが白いセーターを盛り上げている。竹夫はまだ光子の体を知らなかった。 一度寿司屋の二階に上がった時、光子を抱こうとした事があった。向き合せに座っていた竹夫 か無言で立上がり、 光子の側にいくと、光子は「わっ」というような声を出して、二メートルほども飛び離れた。そし てその場所から、こわばりの ある笑頭で、「梶木さん、どうしたの」と言った。六畳ほどの二階には客は他にいなかった。「何に もしない 」と三度ほどくり返してようやく光子は戻ってきた。その額に竹夫はやるせない気持でキスをした。ロづけは一度竹夫の部屋に光子が来た時にした。「キスしていい」と尋ね、わけもなく微笑している光子の唇に口を強く押しつけると、閉じている前歯が固く竹夫の唇に触れた。唇と唇をぶつ けただけの幼ない口づけだった。


 竹夫は重い口を開いた。

「君の気持がわからないんだ。僕に わかるのは君が組合活動に情熱を燃やしていることだ けだ」

「それは梶木さんが いるから よ」

「そうだ。 確かに僕とつき合いだして君は活動に意欲的にな った。 それは君から何度も聞いたし 、見ていて もわかるよ。 しかし僕との間はど うだろう」

 竹夫はそこで言葉を切った。そこから先を言うのは、光子を傷つけそうで憚かられた。光子は黙っている。


「親には話しているのか、僕のこと」

竹夫の脳裏に一度光子の家を訪れた時に会った母親の顔が浮かんだ。光子に似す色が黒く、顔中に深いしわがあった。光子の家は 市から鉄道で三十分ほど南へ下ったU市に属する小島にあった。島といっても地名だけ残って現在は陸続きになっているが、海が汚染されてない頃は県下有数の漁場で、浜を歩いただけでバケツ一杯のキヌ貝が獲れたという。住民のほとんどが漁民だったが、今ではサラリーマンもふえていた。光子の父親は定年の近い国鉄職員で、その島ではまだ数少ない専業サラリーマンだった。光子の母親の顔は竹夫にサラリーマンの妻というより漁民の女房という印象を与えた。二昔前までの一大漁場としてのこの島の歴史がそこに残照しているように思えた。

「それは話してるわ」

ひょ っとして自分のことを親には何にも話してないのでは、と いう疑いが竹夫にはあったのだ。

「何て言ってる」

「結婚のこと」ポツリと光子が訊く。結婚に限らす、光子の親が自分にどんな印象を抱 いているのか聞きたかったのだが、素気ない光子の言葉に、「そう 」と竹夫も素気なく答えた。その方が話が早いとも思った。

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