間違えた男

@d-van69

間違えた男

 借金があると弟から聞かされたときには耳を疑った。話の内容からそれは100万くらいだと見当が付いた。ギャンブルで負けたのだそうだ。それも闇カジノだ。まさかあいつがそんなものに手を出すとは思ってもいなかった。

 相手が相手だけにいずれヤバイ状況になることは目に見えている。だから兄である俺がなんとかしてやりたかった。俺たちは幼い頃に両親を亡くしている。弟が頼れるのは俺だけなのだ。

 とは言え就職したばかりの俺に金の余裕などない。社会的信用のない俺に銀行が融資してくれるとも思えないし、新入社員が退職金の前借を頼めるはずもない。こうなったら消費者金融で金を借りようかと考えたが、借金で借金を返す策ほど愚かなことはない。

 何かいい手はないかと思いながら街を歩いていると、一人の男が目に付いた。50代くらい。高そうなスーツのわりに趣味の悪いネクタイ。目つきが鋭く、誰彼構わず噛み付きそうなほど殺気立っている。彼はその服装にそぐわない派手なピンク色のバッグを大事そうに抱えていた。

 男は足早に歩道をこちらへと向かってくる。時間を気にするように腕時計を見てから、急に車道へと飛び出した。反対側へ渡ろうとしたのだろうが、残念なことに彼は左右の確認を怠っていた。

 急ブレーキの音。男はSUVに跳ね上げられ、ゆっくりと回転しながらアスファルトの上にぐしゃりと落ちた。

 誰かの悲鳴の後、通行人たちが「事故だ」「救急車だ」と叫びながら現場に集まってくる。

 だが俺はその場に立ち尽くしていた。ゆっくりと視線を落とす。足元にピンク色のバッグがあった。あの男が抱えていたものが、跳ねられた衝撃で飛ばされてきたのだ。少しだけ開いたファスナーの隙間から、札束のようなものが見えた。

 辺りの様子を伺う。事故に夢中で誰も俺のことなど見ていない。何食わぬ顔でバッグを拾った。それを肩に担ぎ、事故現場に背を向けた。

 不自然にならぬよう、慌てず平静を装い歩き出す。横断歩道を渡った辺りから徐々に歩みは速くなり、目に付いたデパートへ入ると同時に全力疾走する。一気に5階まで駆け上がり、紳士服売り場のトイレに飛び込むと一番奥の個室に入った。

 息を殺して耳を澄ます。追ってくるような足音はない。ようやく胸を撫で下ろし、洋式便器に腰を下ろした。おもむろにバッグを開く。帯封された一万円の札束が5つ出てきた。

 これで弟の借金が返せる。まずはそう思った。しかしすぐに罪悪感が俺を襲う。これじゃ火事場泥棒だ。犯罪じゃないか。やっぱり持ち主に返したほうがいい。と、考えを改めた矢先、携帯の着信音が鳴り響いた。俺のものではない。隣の個室でもない。バッグの中かと思ったがそこにもない。探し回ってようやく見つけた。便器と壁の隙間に、古いガラケーがガムテープで貼り付けてあった。

 手に取ると、小さな液晶に非通知の文字。無視しようかと思うものの、もしかしたら今俺が手にした金となにか関係があるのかもという不安めいたものが脳裏を過り、とりあえず出た。

「遅いぞ」

 ボイスチェンジャーを通した声だ。

「は?」

「いいか。次は○○通りを南下して××駅に行け」

「ちょ、ちょっと待って。何で?」

「はぁ?今さらなんだ。ハルたんがどうなってもいいのか?」

 ハルたん?それはもしやハルイチ……弟のことなのか?しかしなぜだ。どうして電話の相手は弟のことを知ってる?

 あ……。まさか例の借金相手か?弟が金を返せないものだから俺を駅まで呼び出そうとしているのか?いや仮にそうだとして、俺がここに来ることがなぜわかった。もしや見張られている?

「おい」と電話の声。

「聞いてるのか」

「もちろんだ」

「だったら急げ。制限時間は5分だ。あとその携帯は持っておけ」

 それだけ言って通話は切れた。

 さてどうする。いたずらの可能性もあるが、弟の名が出たことが気にかかる。とりあえず行くだけ行ってみるしかないだろう。残り時間は4分半だ。

 デパートを飛び出して走るうちに弟の顔が脳裏に浮かんだ。それにしてもあいつ、ハルたんなんて呼ばれてるのか……。その顔と重ね合わせ思わず笑ってしまう。そんな状況でもないのに。

 やがて目の前に国道をまたぐ陸橋が見えてきた。これを越えれば駅はすぐだ。

 その時ガラケーが鳴った。出ると例の声が聞こえてくる。

「陸橋で止まれ。そこから国道を見ろ。真下に軽トラが停まってる。その荷台にバッグを落とせ」

 クソッ。やっぱり電話は借金相手か。俺のことを見張っていて、金をネコババしたことを知っているんだ。でも500万丸々よこせとはどういうことだ。借金は100万のはず。いや、もしかしたらあいつ、他にもあったのか?

 国道を見下ろす。白い軽トラがあった。バッグを片手に躊躇っていると、

「早くしろ。ハルたんが死んでもいいのか」

 死。その言葉で踏ん切りがついた。荷台にバッグを落とすと、軽トラはあっと言う間に走り去った。

 呆然とそれを見送ってから、ようやく我に返る。慌ててスマホを出して弟に電話をかけた。つながると同時に、

「ハルイチ、お前大丈夫だったか?」

「なんだよ突然」

「なんだよってなんだ。こっちは心配したんだぞ」

「はぁ?わけわかんないよ」

 少しの沈黙の後、

「あの、兄さん、さっき僕と話した?」

 意味の分からない質問に、

「どういうことだ?」

「いや、別に」

 そう言われると余計に気になる。

「なんだ。どういうことだ?」

「なんでもない。あ、それよりさ、もう借金の心配はなくなったから」

 やっぱりだ。さっきの電話は借金相手だったのか。

「500万、届いたのか?」

「500万?なんだよそれ」

「違うのか?」

「わかんないよ」

「だったらなんで借金の心配はなくなったんだ?」

「えっと、バイト先の店長の副業を手伝ったんだよ。臨時収入ってやつ」

「そうなのか……」

 どうなってる。あの電話は誰だったんだ。500万はどこへ行った?



 背後に控えていた舎弟が不意にスマホを差し出した。

「すんません、アニキ。ギンジの奴が今月の上納金を待ってほしいと言ってるんですが」

 それを受け取るなり画面に向けて怒鳴る。

「バカヤロウ。そんなもんダメに決まってんだろうが」

 返事も聞かずに投げ返した。舎弟はそのまま通話を切ったようだが、すぐに着信があったらしくそれを耳に当てた。

「なんだ。ギンジの奴、まだ文句があるってのか?」

 舎弟はぶるぶると首を振ると、

「いいえ、今度はアネさんからです」

 なぜか笑いを堪えるような表情を浮かべている。その手からスマホを奪い取った。

「おう。なんだ」

「お願いヒロにゃん。すぐ来てぇ」

 この女、舎弟にもヒロにゃんなんて言ったんじゃねえだろうな。周りの視線を気にしつつ声を落とす。

「その呼び方はやめろと言っただろ」

「そんなことどうでもいいからぁ、一大事なのぉ」

 若いだけのバカ女を囲うのもひと苦労だ。どうせたいしたことじゃないだろうと思いながらも、

「どうしたんだ?」

「あの子がいなくなっちゃったのぉ」

 こりゃ一大事だ。女のマンションはここから5分とかからない。俺は急いだ。

 出迎えた女は泣いていたらしく、崩れた化粧で顔はグダグダだ。

「ヒロにゃんどうしよぉ」

「落ち着け。いなくなった経緯をまず説明しないか」

「あの子を連れて散歩に行ったの。それでぇ、公園でちょっと目を話した隙にいなくなっちゃった」

「ちゃんと探したか?」

「もちろんよぉ」

 女のスマホが鳴った。こいつはキャバクラで働いている。その営業で使うための電話だ。

「非通知じゃん。誰だろぉ」

「こんなときに出るのか?」

「だって客かもしれないもん」

 画面をスワイプし、もしもしと言った女の表情が徐々に強張る。

「どうした?」

 受話口を手で押さえながら、

「あの子を誘拐したって」

「なんだと!」

 思わず電話を奪い取った。

「おい、あいつは無事なんだろうな?」

 しばしの沈黙のあと、ボイスチェンジャーの声が。

「あんた、誰だ?」

 愛人、と言いかけてやめた。正直に言う必要もない。

「彼氏だ。女がショックで倒れたから、これからは俺が対応する」

 また沈黙。考えているのだろう。やがて小さく、まいっかと聞こえたあと、

「いいだろう。それなら500万円用意して、ピンク色のバッグに入れておけ。1時間後にまた電話する」

 通話が切れた。女が俺にすがりつく。

「なんて?」

「500万用意しろだと」

「警察に連絡しよ」

「バカか。そんなことできるわけねえだろう」

 この部屋にはクスリや裏金が隠してあるのだ。だから警察を呼べるはずがない。そもそも俺はヤクザだ。

「500万ぽっち用意してやるよ。その上で俺を脅したらどうなるか、きっちり教えてやる」

 1時間後、電話が鳴った。

「金は用意できたか?」

「ああ。できた」

「それならそれを持って、A町の郵便局まで行け。制限時間は10分だ」

 通話が切れた。

 舌打ちしながら玄関に向かう。

「どうしたの?」と女が問いかけてくるが、

「時間がない。おとなしく待っとけ」

 それだけ言って部屋を出た。

 A町なら車よりも自力で走ったほうが早いはず。万が一渋滞につかまっても困る。

 郵便局には9分ちょっとで着いた。どんな奴が来るのかと注意深く探るうち、10分が過ぎた。

 入り口脇にある公衆電話が鳴った。これはもしや、ドラマや映画でよく見るあのパターンなのか?と考えながら受話器をとる。例の声が、

「次はBデパートへ行け。紳士服売り場のトイレ、一番奥の個室だ。制限時間は5分」

 それだけ言って切れた。

 受話器を叩きつけるように置いた。しばらく進んでから不意に足を止める。

そうだ。このあたりの地下街からデパートに行けたはず。そこからエレベーターに乗ったほうが正面玄関からぐるりと回るよりも件のトイレには早く着くかもしれない。

 腕時計を見る。既に1分が過ぎていた。地下街への階段は反対側の歩道にあった。迷わずガードレールを越えた。

車の急ブレーキ音と同時に全身に衝撃が走った。

 何が起きたのか分からない。朦朧とする意識の中でもはっきりとわかったことが1つだけあった。

バッグはどこだ?金だ。金がない……。



 喫茶店に着くと、すでにリョウタさんは一番奥の席にいた。彼は僕がバイトしているスナックの店長だ。なにかと可愛がってくれて、あちこち遊びに誘ってくれる。時にはアブナイ店に行くこともあり、中でも最近は闇カジノに行くようになっていた。僕もギャンブルは嫌いではないのですぐにのめりこんだ。とはいってもそう簡単に勝てるものではなく、かなり負けが込んでいた。それはバイト学生が払える額ではないので、リョウタさんが立て替えてくれている。きっとそのことで呼び出されたのだろう。

「おう、ハルイチ。まあ座れ」

 シートに座るとリョウタさんは大声で「コーヒー2つ」と言ってから、僕を見る。

「どうよ、調子は」

「まあまあですかね」

「そっか」とタバコを一服してから、

「ところでお前、俺に金返す当てはあるのか?」

 そらきた。やっぱりだ。

「ないです」

 てっきり怒鳴られたり、恫喝されたりするのかと思ったが、リョウタさんは予想外の態度を見せた。

「だったらさ、今からちょっと手伝え」

「手伝うって、店の仕事ですか?」

「いや、別口だ」

 コーヒーが運ばれてきた。ウェイトレスの視線を気にしてリョウタさんが口を噤む。彼女が去ってから、彼は声を潜めた。

「実は店の売り上げが伸びなくてさ。オーナーに納める金が足りないわけよ。で、それを補うためにひと仕事しようかと思ってな」

「副業か何かですか?」

「まあそんなところだ。上手いこといったら、カジノで立て替えた金はチャラにしてやるよ」

 魅力的な話だけど、なんだか危険な香りもする。

「それって、どんな仕事ですか?」

 リョウタさんは店内をきょろきょろ見渡してから、

「ここじゃなんだから、ついて来い」

 伝票を手に席を立つ。

 慌ててコーヒーを一口飲んでから僕もその後を追った。

 喫茶店から目と鼻の先にあるリョウタさんのマンションに連れて行かれた。ダイニングルームで向き合って座ると、

「仕事ってのは、誘拐だ」

「それって」

 犯罪ですよと言いかけた僕を手で制してから、

「俺がたまに行くキャバクラに、すごい犬好きのキャバ嬢がいてさ。毎日同じ時間に犬の散歩に出かけて、その途中の公園でリードを外して犬を自由に遊ばせるんだ。そこで、お前が女に話しかけて気をそらせ、その隙に俺が犬を攫う」

「え?誘拐って、犬ですか?」

「ああ。厳密に言えばトイプードルな」

「犬にお金、払います?」

「払うさ。あの女はまるで自分の子供のように可愛がってんだぞ」

 犬を猫かわいがりする飼い主が多い昨今、中にはその命を救うためなら何でもするって人もいるかもしれない。だがそれも程度問題だろう。

「ちなみに身代金は?」

「500万でいいんだ。これくらいならあのキャバ嬢にも楽に払えるはずだし」

「でも犯罪ですよ。捕まりますって」

「あのな、犬が攫われたからって捜査すると思うか?日本の警察はそんな暇じゃねえぞ」

 確かに。犬が誘拐されましたと訴えたところでいたずらと思われるだけかもしれない。だからと言って警察が動かないという保証はない。

 それでもカジノで負けた金額がチャラになるのはおいしい話だ。自分で返そうと思ったらどれだけかかることか。それなら一か八かこの話に乗っていいかもしれない。万が一警察に捕まったら、全部リョウタさんに脅されてやったと言えば信じてもらえるかもしれないし。

「さて、行くか」

 その声で我に返る。

「え?どこへ?」

「公園だよ。そろそろ散歩の時間だ」

 1時間後、キャリーバッグを提げて部屋に戻った。リョウタさんは軽トラで金の受け取り場所に直行だ。

 彼からはノートと使い捨てのガラケー、それとボイスチェンジャーを預かっていた。ノートには3つの電話番号とリョウタさんが立てた筋書きが記されている。僕はこの携帯でそれぞれの番号へ順に電話をかけ、書かれたとおりのことを言えばいいだけだ。

 キャリーバッグの中から犬を抱き上げケージに移す。その時首輪にぶら下がる骨の形のネームプレートが目に付いた。

「お前、ハルたんって言うのか?」

 なんだか親近感がわく名前だ。

 僕のスマホが鳴った。リョウタさんからだ。

「こっちはOKだ。そろそろ始めろ」

 了解ですと言って切る。それから例のガラケーを開き、最初の番号にかけた。

「もしもし」

 鼻にかかった女の声。ボイスチェンジャーをセットし、リョウタさんが書いた台詞を読み上げる。

「お前の可愛いハルたんを誘拐した。返してほしければ金を用意しろ」

 台本には飼い犬と書かれていたが、名前が分かったのだからこの方が効果的だろう。

 受話口を押さえたのか、電話の向こうからがさがさという音。それからすぐに、

「おい、あいつは無事なんだろうな?」

 え?おっさんの声だ。こんなの予定にないぞ。どうしよう。まあとりあえず何者なのか訊ねてみるか。

「あんた、誰だ?」

「彼氏だ。女がショックで倒れたから、これからは俺が対応する」

 若い女におっさんの彼氏?嘘だろ。どうせ愛人かなにかだ。まさか警察じゃないよな?いやいや、誘拐したことは今発覚したばかりなのだから通報はまだのはず。そもそも警察ならおっさんが彼氏だなんて設定を持ち出さないだろうし……って、まいっか。あれこれ考えるのも面倒だしこのまま進めよう。

「いいだろう。それなら500万円用意して、ピンク色のバッグに入れておけ。1時間後にまた電話する」

 1時間待って再び電話。

「金は用意できたか?」

「ああ。できた」

「それならそれを持って、A町の郵便局まで行け。制限時間は10分だ」

 それだけ言って切った。

10分計ってから2つ目の番号にかける。数回の呼び出し音の後、受話器の上がる音。男の呼吸音が聞こえたところで、

「次はBデパートへ行け。紳士服売り場のトイレ、一番奥の個室だ。制限時間は5分」

 電話を切る。

 5分待って3つ目の番号にかけた。ところがなかなかでないものだから、繋がると同時に思わず文句が口に出た。

「遅いぞ」

「は?」と言う声に違和感を覚えたものの、

「いいか。次は○○通りを南下して××駅に行け」

「ちょ、ちょっと待って。何で?」

 この期に及んでまだそんなことを言うのか?って、待てよ。やっぱりさっきまでの声と違うような気がするぞ。僕の思い違いだろうか。初めての悪事に緊張しているせいかもしれない。ただ相手がごね始めたのは確かだ。その場合の台詞も用意されていた。

「今さらなんだ。ハルたんがどうなってもいいのか?」

 もちろん台本では、犬となっているのだが独断で変更だ。

 ところが相手の反応がない。

「おい。聞いてるのか」

「もちろんだ」

 台本の本筋に戻る。

「だったら急げ。制限時間は5分だ。あとその携帯は持っておけ」

電話を切った。

 3分後、リョウタさんから僕のスマホに着信が。

「今見えた。ピンク色のカバンを持った……あれ?女じゃないぞ。誰だあいつ」

「彼氏だそうです。女が倒れたみたいで」

「そうか。とにかく電話だ」

 言われるまでもなく既にガラケーで3つ目の番号にリダイヤルしていた。相手が出るとすぐに、

「陸橋で止まれ。そこから国道を見ろ。真下に軽トラが停まってる。その荷台にバッグを落とせ」

 通話中のままのリョウタさんから指示が来る。

「おい。あいつ迷ってるから予備の台詞を言え」

 ページをめくってその台詞を探し、

「早くしろ。ハルたんが死んでもいいのか」

 数秒後。

「よし、来たぞ」と言う言葉を最後にリョウタさんとの通話が切れた。

ガラケーの通話も切り、ハルたんをキャリーバッグに入れる。この犬を公園に放し、女に知らせれば計画は完了だ。

バッグを提げて部屋を出ようしたところで僕のスマホが鳴った。リョウタさんかなと思ったら兄の名が表示されていた。電話に出るなり、

「ハルイチ、お前大丈夫だったか?」

「なんだよ、突然」

「なんだよってなんだ。こっちは心配したんだぞ」

「はぁ?わけわかんないよ」

 と応じながらふと思う。なんだかさっきの電話の声と似ているぞ。

「あの、兄さん、さっき僕と話した?」

「どういうことだ?」

「いや、別に」

 そんなわけがない。僕が脅迫していた相手が兄さんだったなんてありえない。

「なんだ。どうかしたのか?」

「なんでもない。あ、それよりさ、もう借金の心配はなくなったから」

「500万、届いたのか?」

 なぜ兄がその金額を口にする。僕が犯罪に加担したことを知ってるのか?ここはとぼけて様子を見るしかない。

「500万?なんだよそれ」

「違うのか?」

「わかんないよ」

「だったらなんで借金の心配はなくなったんだ?」

「えっと、バイト先の店長の副業を手伝ったんだよ。臨時収入ってやつ」

「そうなのか……」

 納得していない口ぶりだ。話を長引かせると追求されるだけだろう。

「ごめん兄さん。今から出かけるところなんだ」

 返事も聞かずに通話を切った。

 なぜだ。どうして兄が500万のことを知ってる?リョウタさんが話したのか?って面識はないはずだ。それならなんで?

 でも今はあれこれ考えてる場合じゃない。ハルたんを逃がしてやらなければ。



 病室の前にいた若い衆が、俺に気づいて扉を開けてくれた。

 失礼しますと言って中に入ると、

「おお、リョウタじゃないか。よく来てくれた」

 アニキはベッドに横たわっていた。包帯が痛々しい。

 その側に女が立っていた。アニキの新しい女だろうか。スッピンなので確証はないが、どこかで見たような気がする。

 どうやら女のほうも気づいたらしく、俺を見て何か言いかけたのだが、スマホの着信音でそちらに意識が移った。画面をタップし、無言で電話の声に耳を傾けていた女は通話を切るなり、

「あの子が見つかったって」

 嬉々とした顔で病室を飛び出ていった。

「騒々しい女だ」

 苦笑するアニキにほんとですねと応じてから、

「それにしても驚きましたよ。まさか車にはねられるなんて」

「どじ踏んだもんだよ。まあ幸いなことに、足の骨折った以外はかすり傷だ」

「そりゃよかったですね」

 こっちとしてはくたばってくれたほうが有難かったのだが。

「それよりアニキ、こんなところでなんですが、今月分の売り上げ、お納めください」

 ピンク色のカバンに入ったままの500万をベッドの上に置いた。

 それを目にしたアニキは、ギロリと俺を睨んだ。

「おい。おめぇ、この金どこで手に入れた?」

 その顔は禍々しい鬼のようだ。

 俺は、何か間違いをしでかしたのだろうか……。

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