第2話 夜空を飛ぶ魔女と牢屋の騎士
「最近魔女と付き合いがあるんだって?」
王城の庭にある訓練場から詰所への帰り道。
同僚のカールにふいに声をかけられ、エーリヒは普段浮かべている微笑を保つのに気力が必要だった。
「そんな噂が?」
「見たやつがいるんだよ」
会話を打ち切ろうとしたが、カールは歩調を合わせてくる。
くだらない噂話をする暇があるなら一刻も早く部屋に帰って
王国を守る騎士団の中でも、城を中心に王族と貴人を警護するのが近衛騎士団だ。このうち白薔薇騎士団と呼ばれる第二部隊は貴族出身者で固められている。
社交・外交の場では国益を損なわないだけのマナーと教養が必要だとされたからだ、というのがエーリヒが祖父から教わったことだが、実質、汚れ仕事や長距離行軍をを避けて入隊を希望する貴族の子弟や、後継ぎの死を嫌って親が入隊させる例は後を絶たなかった。
そうなれば訓練は疎かに、士気は下がる。下手に高い身分のせいで何かやらかしても簡単な罰で済まされることが多く、他の騎士団からの苦情をエーリヒやまともな騎士たちはよく聞かされていた。
このままでは白薔薇どころか白馬鹿騎士団と揶揄される日も遠くない。
「毎日早く上がって魔女に会う理由って何?」
「病気の家族に薬が必要で。あと営業許可証も張ってありましたよ」
「へえ、本物かな?」
お前が言うのか、と喉まで出かけて口をつぐむ。
訓練もそこそこに女官を追いかけている不良騎士より、彼女の方がよほど頑張っている。
彼は一週間前のあの日、詳しい症状の聞き取りを受けた。それからは彼女が祖父のために毎日試行錯誤しながら薬を作り続けていることを知っていた。
いくらか前払いしてはいるが、見たこともない色と香りの薬は、かなり高価な材料を使っているのだろうと思えた。
エーリヒは夜になる前には店に行って細かく毎日の病状を伝え、薬を受け取っては高熱で意識も朦朧としている祖父に何とか飲ませている。
「任務より家族が大事なら辞職したらいいんじゃないか? それとも魔女に惚れてるのか」
「黙れ!」
エーリヒは立ち止まると、カールを一喝した。
が、瞬時に反省する。深く息を吸って平静を務めると、怯えたようなカールの顔に頭を下げた。
「……済まなかった」
だが礼儀を相手の敗北と取る者はいる。カールもそういう種類の人間だった。
口元に卑屈な笑いを浮かべて嘲笑する。
「はじめて白薔薇の騎士とか呼ばれたお前のじいさんにも、魔女の知り合いがいたそうだな。揃って魔女に弱いってわけだ。大方媚薬とあの白い脚で下半身を誑し込まれ――」
思い出した。この男、ウルティカの店に初めて行ったときに追い出されていた。
考えるなりカールの体が吹っ飛び、石畳の床に打ち付けられる。無意識に手加減はしていたのか頭を打った様子はない。
慌てて手を伸ばした時、もう一つ余計なことを思い出した。彼の実家の爵位が、自分よりもずっと高いことを。
***
「明日の朝まで反省していろ」
すぐに騎士用の反省房に突っ込まれたエーリヒは、上官である隊長の声に力なくうなだれた。
小さな部屋は石壁に石畳。明り取りの窓に鉄格子、扉には小さな窓が付いているだけの殺風景さだ。
灯りは壁の燭台ひとつ。
座っているのもビロード張りの曲木ではなくがたつく椅子で、同じような机と、ベッドも簡素な木製に藁と布の布団。これが冬だったら寒さをしのげるか怪しい。
「申し訳ありません」
エーリヒより10は年かさの隊長は小窓に黒い頭を近づけて諭すように告げた。
「お前らを見ていた騎士たちがいてな……大半はお前の味方だ。普段は始末書で済むんだが今回は相手が侯爵家のバカ息子だからな」
「隊長」
「あいつが何を普段してるのかはみんな知ってる」
エーリヒは頷きたかったが、騎士の矜持でそれはしない。
「だがあいつが煽ったのはお前が嫌いだからとか単純な理由でもない。お前が早く帰るようになってから、質の悪いのが夜の警護に出ることが増えただろう」
「貴族のパーティーですか?」
「そこで女性を口説いて――いや彼女たち本人から苦情が入っている。何やら変な薬を飲みものに混ぜているらしい。暴力沙汰にさせてお前を追い出したいんだろう」
それで惚れ薬か、とエーリヒは腑に落ちた。ウルティカを侮辱したのも薬が手に入らなかったからだ。
黙ってしまったエーリヒに、隊長は心配げに声をかけた。
「まあ騎士団のことはおいおいな。それでバルドゥル殿の容態は?」
「高熱が続いており、意識がありません。何とか薬は飲めていますが……本当なら今日も看病に」
両親も兄夫婦も、使用人も入れ替わりで看護している。だからそこまでしなくていいとは言われていたが、孫の中で唯一剣の道に進みたいと言った自分を可愛がってくれた祖父でもあった。
「滅多に口喧嘩もしないお前が手を出すくらいなんだ。疲れてるんだろう。ご実家には行けないことだけ伝えておいてやるから、今日は諦めて休めよ」
隊長が宥めるような声を残して窓から離れると、重い足音が廊下を反響して去っていくのが聞こえた。
彼が論理的に正しいとはわかっていても、エーリヒの心は
彼女は自分を待っているだろう。
家族が何人もの医者に診せて、それでさじを投げられ、薬も飲めなくなるくらい病状が悪化して以降も、彼女の薬だけは飲んでくれた。
ウルティカが調合した薬もそうだし、あの彼女から貰った変わった形の匙の場所、話しておいただろうか。それすら記憶が曖昧だ。
エーリヒは机に残された黒パンとスープを腹に詰め込むと、ベッドに身を投げ出した。
朝が早く来ればいいと目を閉じても、脳裏に浮かぶのは祖父の姿とカールの勝ち誇った顔だ。
それから何故、どうやってあいつはあの全身マントのウルティカの脚を見たのかということだった。
***
ガラスが嵌った窓の木枠がノックされる。
トトン、トトトン。トト、トトン。
リズミカルな音に、伯爵家三階の一室、天蓋付きの豪奢なベッドに横たわっている一人の老人は、熱で茹でられ続けた自身に残るわずかな力を振り絞って瞼を開いた。
薄くしか開かなかったが、月光を背景にローブのシルエットが浮かび上がる。
彼女はするりと窓の隙間から入り込むと、土のついた靴でふかふかの絨毯を汚す。
「クリストローゼ? ……とうとう儂もお迎えか」
魔女ウルティカは元は立派な体躯であった老人――バルドゥルの枕元に立つ。
ひび割れた唇から出る小さな声に箒を床に置き、片手でフードを背中に回すと、胸元の変声のネックレスを握りしめた。
「悪いね、私は孫さ。口がきけるほど回復してよかった。容態を詳しく話してくれたあなたの孫に感謝しなよ」
ウルティカは枕元で、調合してあった粉薬を水筒の水に溶かし、曲がりの強い筒のようなスプーンを口に当てた。
ゆっくりゆっくり、しめらせるように時間をかけて飲ませると、はあと老人は熱い息を吐いた。
「そうか……孫か」
「こっちは孫の存在にショックを受けるんじゃないかとひやひやしてたんだがね。
それより聞いてるかい? あなたの孫が私のところに来て箱の鍵が欲しいって言ったんだ。で、今日はその孫の代わりに様子を見に来た。
一応聞いておくけど、贋の金貨は手元にないんだろう?」
ウルティカの長い話を咀嚼するのに老人はしばし時間を要してから、
「ない。……箱に……薬が入っていると、エーリヒは……?」
「違う?」
「違う」
「ならそれで。もしそうなら、あなたに使った残りの処分に悩むところだった。ああいう薬はない方がいい」
「……だが。あの時は、あって……よかった。あの西の村では。悲惨な……」
抗議するような老人の声に、ウルティカは少し悲しそうな目を向けた。誰かのために自分が無茶をするところがよく似ている。
「やっぱりそうか。血筋だね」
「……ああ……自慢の孫だ」
「それでここからは、私個人の質問。
あなたが本当に望んでたのは、自分で処分した贋金貨じゃなく、作れる魔女――祖母にもう一度箱を開けて欲しかったからじゃないかい?」
「……その通りだ……でも今は……中身は…縁者にでも……届けば」
「きれいな想い出は結構だけど、子孫は親のあれこれは知りたくないんじゃないかね。現実という代償は金貨より重いよ」
「それほど……繊細に育てたつもりは……ない」
どうかね、とウルティカは小さく呟くと、視線を真剣なものに、魔女のものに変えた。
「ところで、私の薬でもそれなりの病気は治せるんだが……病気ならね。見たところ違ったようだ」
「……寿命か」
「変えられないものはあるが、急な別れは辛いもんだ。
だから……少々苦い薬でも飲んでみるかい? 闘病ってのも辛いもんだろうが」
小さくバルドゥルは頷く。
似たようなことを遠い昔に、西で死の淵を彷徨った時に聞かれた気がして。
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