贋金の魔女と白薔薇の騎士は恋を結ぶ

有沢楓

第1話 薬草魔女と白薔薇の騎士

 麗しの王都の下町の、雑多に並ぶ建物をかき分けて行った先、名もなき通りの樫の樹の側に、魔女ウルティカの店はある。


「とっとと帰りな。他のお客様のご迷惑だよ!」


 古びた木の扉が軋んだ音を立てて開き、低い声が通りに放たれた。若い女とも老女ともつかぬ少し枯れたような魔女の声に道行く人が視線を向ける。

 辺りを駆け回っていた子供たちは今日は何色の煙がでるか賭けを始めた。


 扉から転がり出た若い男は、店の中に向けて怒鳴る。


「客なんていないじゃねえか!」

「あんたみたいに真昼間から遊んじゃいないんだよ。女を口説きたいんなら自分で何とかするんだね」


 地面にオッズを描き始めた子供たち、雑貨屋の主人やかごを抱えた女性に視線を向けられて、身なりのいい男は地面を蹴る。磨き上げられた革靴を埃が汚すのを忌々しげに睨むと、地面に唾を吐いて歩き去っていった。


 火種は消えてしまった。興味をなくした人々が日常に戻り、扉が内側から閉められそうになった時、端を手で軽く抑えた男がいた。

 仕立ての良いシャツを着た若い男。おまけに整った目鼻立ちの金髪碧眼。下町には不似合いだ。


「ここが魔女の店ですか?」

「そうだよ」


 急いでドアノブを掴む皺のない手を引っ込めた女の、黒々としたフードの下から長い栗色の前髪がのぞいている。その隙間から見える深い緑の瞳が、扉の側の看板を指した。

 小さな看板に描かれた魔女の大釜の絵の右下には、王国から出た営業許可の印がある。


「入りな」


 魔女は黒いマントの前を合わせながら、狭い店内に男を案内した。


「あんたには惚れ薬は必要なさそうだけどね。それとも筋力増強剤? 言っておくけど効果てきめんな魔法薬なんて売り物にはならないよ、副作用が酷いから」

「そんな風に見えますか?」

「うちにあるのはくしゃみ、発熱に火傷、安眠用なんかの薬。プレゼントなら石鹸やサシェもあるよ。香りがいい」


 魔女は壁際の飾り棚やテーブルの上をひとつひとつ指さした。家財は古いがよく掃除されていて、埃は積もっていない。


「ちょっとした魔法の道具なら、勝手にインクを補充してくれる羽ペン――騎士様は書類仕事もあるんだろう?」


 若い男は、目を軽く見張る。


「鎧もないのに騎士だとよく……」

「左手に盾を持つ人間特有のタコがあるし、縫い目の綺麗なズボンの尻から膝に乗馬用の継ぎ当てがある。貴族が入る白薔薇の騎士あたりかい?」

「魔女ウルティカさんは聞いていたよりずいぶんおしゃべりが好きなんですね」

「なるほど、あんたも私の名前を知っている」

「来る前に何件か魔女の店を回りました。ここならと紹介されて」


 ウルティカは決して社交的ではない。名前を知っているのは、役人を除けば魔女仲間か近所の住人、贔屓にしてくれる客何人かくらいのものだ。

 彼女は少々心づもりをしたが、騎士の続く発言はそれでも驚かせた。


「必要なのは贋の金貨です」


 カウンターの上に騎士は小さな革袋を載せた。金属のじゃらりという音が鳴る。


「なんと、騎士様が贋金を欲しがるってのは初めて聞いたね。言っておくけどうちじゃ扱ってないし、作れもしないよ。

 第一勘違いする連中が多いがね、大量生産する方が安上がりだろう。別の金属でそっくり同じように作るよりは、ずっとね」

「どうしても必要なんです」

「じゃあ私の財布の金貨を二倍の値で売ってやろうか?」


 ウルティカはカウンターの向こうに回って距離を取りつつ、ローブの内ポケットに手を入れた。ここにはさっき使わずに済んだくしゃみ薬と八色煙草けむりくさの残りが入っている。

 しかし騎士は真剣そのものの目でウルティカを見つめると、深く頭を下げた。


「どうかお願いします」


 ウルティカは深い息を吐くと、扉の外に「閉店中」の札を下げ、スツールの上のかごをどかして場所を作った。


「……話だけは聞いてやってもいいよ」



***


 騎士は姿勢よくスツールに腰を掛けると、カウンター向こうのウルティカに改めて礼を取った。


「名乗りもせず失礼しました。私は……」

「贋金を欲しいって人間は普通名乗らないよ」

「信用してくださったようなので。私は近衛騎士団の第二部隊、白薔薇の騎士エーリヒ・ヴェルテ。贋金を……或いは“贋金の魔女”クリストローゼ様を探しています」


 ウルティカは眉をひそめた。もっとも、前髪とフードのせいで彼には見えなかったが。


「あんたを紹介した魔女がそう言ったのかい?」

「クリストローゼ様の店がここで、引き継いだのがお孫さんのウルティカさんだと。もしやご本人が孫を名乗って、とも考えましたが、あなたはお若い魔女のようだ。

 そこの屑籠に――ほら、最近流行の揚げ菓子の棒が。あれは年寄りの胃にはもたれる」

「へえ。騎士様は思ったより紳士じゃないらしい」


 ウルティカは魔女はフードの下でくつくつ笑うと、密かに首にかけていたネックレスを握りこんだ。

 笑い声の音程が次第に高くって若い女のもので止まると、彼女はフードを上げた。

 隠れていた顔があらわになり、まだ十代の少女の顔が現れた。挑戦的なエメラルドの瞳が輝く顔は若さに溢れている。

 

「若い女の姿は商売に不向きなんでね。……で、贋金が必要だと」

「ご存じなくとも、どこかに紛れていないでしょうか。一枚だけでも、いえ一枚あれば十分なんです」

「どういうことだい」


 ウルティカが身を乗り出すと、エーリヒは革鞄から小さな木箱を取り出した。見るからに高級な木材で作られており、頑丈そうな鍵が付いている。

 どうぞと差し出されウルティカは開けようとしたが、どんなに力を込めてもびくともしない。


「これは祖父の宝箱です。若い頃、とある魔女に閉錠の魔法を依頼したそうで、開ける『鍵』が偽物の金貨なのだそうです。その魔女の家を訪ねましたが、先日亡くなったばかりでした」

「なるほど、魔法鍵ね。鍵を決めたら、あとはかけた魔女本人にしか開けられない」


 だけど、とウルティカは首をかしげた。


「大抵の場合、魔法をかけた本人が死ねば効果はやがて消えてなくなる。これなら多分一年か二年ってところだね。それまで待てないのかい?」

「祖父は自分に何かあったらこの箱を開けて欲しいと言っていました。今祖父は病床にいまして……同じ説明を娘さんにされましたが、急ぎ必要なので箱本体だけでも壊そうとしてナイフを一本潰しました」

「中身は?」

「祖父は話しませんでしたが、おそらく奇跡の薬エリクサーです」


 しん、と部屋が静まった。

 ごく限られた者だけが作れるという、この世に存在するあらゆる薬の最高峰。材料費と作業費を除いても、一瓶が同量の黄金と同じ価値だという。


「万病を治癒するという奇跡の薬か。私も見たことはない」

「ですが以前、祖父バルドゥル・ヴェルテは奇跡の薬を見たことがあると言っていました」

「ああ西の英雄、前王の弟の一人だっけか。魔物を退けて、魔物が残していった流行病からも村人たちを救ったっていう。……治療の薬がそれで、残りがあるって?」

「そう考えています」

「でも知ってるだろう、魔女クリストローゼは贋金づくりの大罪でとっくに処刑された――だろ?」


 ウルティカはじろり、とエーリヒを見据えた。

 あの日の新聞の切り抜きは、まだスクラップブックに入っている。


「何で生きている前提で話す。魔女クリストローゼは死んだ」

「祖父は幼いころ、剣の稽古をつけながら話してくれました。ある魔女に大恩があり、彼女を助けるために死体廃棄所を漁ったことがあるのだと」

「……そんなことまで話してたのかい。まあ祖母は、黙って殺されるようなタマじゃなかったからね」


 はあ、とウルティカは諦めの息をついた。

 どうもこのエーリヒという騎士の祖父は、祖母と因縁があるらしい。


「ではご存命では」

「贋金作りの魔法を抱いたまま、墓の中さ。母と私を魔女に育てた後、田舎でゆっくり余生を満喫してからね。

 あの人は私に危険な魔法を教えたり証拠を残したりはしなかった」


 肩を落とすエーリヒに、ウルティカは肩をすくめた。


「要するに病気が治ればいいんだろう。

 箱の中身がエリクサーであろうがなかろうが、他の方法で助かればいい。しかしどうして一枚くらい残しておかなかったんだろうね」


 ウルティカは立ち上がると、後ろの棚からノートと筆記用具を取り出した。


「まずは病状を聞かせてくれ。呼べるなら王家から医者を呼んだ方が早いとは思うが、多少は時間稼ぎができるかもしれない」

「あの、金貨は……」

「今の国王は清廉潔白なお人だと聞いている。立派な祖父と家のためを思うなら、もう口に出すんじゃないよ」 


 ウルティカは鉛筆をノートに走らせながら、騎士にくぎを刺した。

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