ショートショート わらしべ長者

阿賀沢 周子

わらしべ長者

 11月第一週の日曜日学芸会当日、昼食弁当の時間が終わりに近づいている。午後の部の二番目が自分たちの出番だ。それなのに主人公役の藤田治がまだ登校していなかった。演出担当の木戸紀子は、教室の窓から何度もレンガ造りの正門や、校庭に葉を散らすカエデやイチイの木の辺りを見ていた。昨日の総練習では、カツラの問題も不本意かもしれないが納得してくれたと思ったのに。


 昨日の4時限目は、学芸会の最後の打ち合わせと練習をした。皆で教室の奥に机と椅子を寄せて、黒板の前を空けた。治は教室の隅の、集めた衣装が入っている段ボール箱を床の真ん中に運び、紀子を見上げ指示を待っている。紀子は屈み込み、中の物を出し始めた。

「娘役の悦ちゃんの着物はこれ。わらしべ長者の藤田君の着物はこれね。侍の幸太君のは、と、これとこれ。足りないものは、明日、家から持ってくるものです。今日はひとまず、衣装のある人は着けて練習します」

 治が、着物を手に取り、広げながら言った。

「木戸、カツラは作ってきたのか」

「ああ、ごめん。ここにあるけど・・・」

 紀子が箱の底から水色の紙のかたまりを出した。

幸太が治より先に、紀子の手からそれを取り上げ自分の頭に乗せた。教室にいた全員がその姿を見て笑った。

「中学最後の、演劇の主人公の、頭がこれかよ」

 幸太はおどけて泣き真似をしながら、身体をくねらせる。また周りが笑う。

「何とか形はできたのだけど、色を塗ったら変になって」

 紀子の声が小さくなる。

「変って、これじゃあドタバタコメディになっちゃう」

 衣装係を兼ねた佐藤悦子が、困った様子でみんなを見廻して呟く。

 台詞と、動きはほぼ完成していた。赤ん坊役の人形は、箱の中に鎮座している。衣装のめどはついたが、馬の張り子と、長者のカツラが難点だった。紀子は手先が器用だったので、カツラを作る役を引き受けた。

 家で、長者のイメージに合わせて頭頂部が禿げ上がっているカツラを作り始めた。自分の頭より少し大きめになるように竹ひごを組み合わせ、頭の丸い形は綺麗に出来あがった。頭皮になる外側に紙を張っていく。ノリが乾燥すると紙が凸凹してしまう。首の上の髪の毛の部分はさらに難しい。乾かすとじっくり見たこともない禿頭らしき形が出来上がった。問題は色だった。頭の皮膚の色は肌色なのか、青っぽいのか。試行錯誤を重ねて塗り上げたカツラを見て落ち込んだ。宇宙人ではないだろうに、と自分を呪った。

 馬の張り子は、近所の保育園の、馬の玩具を借りることができたので何とかなった。

「練習しょうぜ」

 治がうな垂れている紀子に声をかけた。

「最後の練習なんだから。これでやろう。俺はいいよ」

 治の一言で、騒ぎは収まった。

 治は紀子の背を二度軽く叩いた。紀子は目頭が熱くなるのをぐっとこらえて、深呼吸をした。目の端に、治の淡然とした姿がちらりと映った。

「練習初めます。衣装を付けてください。みんな、着物は持って帰っていいので、明日までに着方をちゃんと憶えてくること」

 紀子は侍の幸太が、浴衣と袴をつけるのを手伝った。悦子の着物の帯を締めるのにも手を貸す。治は四苦八苦して着物を身に着けようとしていたが、紀子は手を貸せず照明係の笠木秀が手伝っていた。


 昨年の演劇は『鶴の恩返し』だった。脚本が良く、泣かせどころをわきまえた紀子の演出が功を奏し、観客の父母はその半数が泣いた。中学最後の今回は、担任ばかりか、校長までが期待している。

 学芸会の準備にむけた最初の学級会で、演目『わらしべ長者』が決まった。昨年は『鶴の恩返し』になったが同じ脚本集の『わらしべ長者』をやりたいという声も多数あがっていたからだ。演出は紀子と当然のように決まった。治は主人公を買って出た。

 普段から紀子は、なぜか治が苦手だった。二重の眼と厚い唇の治に、じっと見られたり、話しかけられたりすると眼をそらしてしまう。自分の身の回りにいない大人っぽいタイプだからか、変声期が早いことに違和感を覚えるのか。他に手を上げるものがいなくてキャストは決まったが、紀子が描く長者のイメージと治はまるで違っていて困惑した。

 思いのほか治は紀子の求める演技を理解するのが早く、練習は順調に進んだ。が、治にはなじめないまま当日を迎えた。


 まだ治は現れない。衣装を着込んだ他の出演者たちが一人、二人と窓辺に立ち、とうとう全員が並んだ。

「治だ」

 幸太が叫ぶ。治が帽子を目深に被り、校舎に駆け込んできた。教室の入口で息を切らせて、照れ笑いをしてみんなを見廻した。

「遅れてすまん」

 治は帽子を取って頭を下げた。

「治。それ本物か」

 頭頂部だけをそり上げた長者の頭を、みんなが見て息を呑んだ。

「ばあちゃんにバリカンで刈ってもらった」

 そういって自分の頭をつるりとなでた。

「藤田君、時間がないから、衣装を着けて」

 紀子の声に治が勢いよく返事をした。

「よしっ」

 紀子は着付けを手伝った。治の頭や顔をまだ良く見ていないが、これからは眼をそらさずに見られると思い洟をすすった。

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