第31話 嫉妬深い黒猫さん


 爬虫類を飼育している六畳ほどの部屋に、男女が3人。そして修羅場である。


 泣きそうな顔の華菜さんに見つめられ、思わずたじろぐ俺。



 そして最後の一人であるアシュフィールド先生は、クランウェルツノガエルの“ずんだ”が居るゲージから頑なに目を離そうとしない。絶対にこちらサイドには関わりたくないというオーラをヒシヒシと感じる。残念だけど彼女に救援は望めなさそうだ。


 でもなんて説明すりゃいいんだ?

 別に先生とはそういう仲じゃないんだけどな。



「俺たちはただこの部屋で触れ合いを……」


「触り合いっこ!?」


「違いますよ! 亀をです!!」


「ソーゴ君の亀頭を!?」


「ちがぁぁああう!!」


 そうじゃなくって!

 どうして全部変な方向へ勘違いするんだよ!



「華菜さん、あの人は別に……」


「うぅん、いいの。分かってるから。私は年上のオバサンだもんね?」


 なんだか話が嚙み合っていない気がする。華菜さんは俺に優しく微笑みかけると、後ろ手でパタンと扉を閉めた。


「ちょっと……華菜さん」


 どういうつもりなのか、彼女はそのままスタスタと歩きはじめる。そして先生と俺の中間で止まると、クルリとこちらを向いた。


 その笑顔は俺が知っているいつもの明るいお姉さんのものだったけれど……瞳の奥がなんだか黒く淀んでいる気がしてならない。水底に沈めた泥のような暗闇だ。


 それはまるで彼女の感情を具現化したかのような……そんな真っ黒な瞳で――……いやもう本当に怖いんだけど! なんでこの人はこんな目をしているの!?



「ねぇソーゴくん? 私ね」


「な、なんですか?」


 俺は本能から来る恐怖で思わず後退る。すると華菜さんはグイッと俺に顔を近づけてきた。


「私もね、ヒヨリちゃんに負けないぐらい貴方のことを想っているんだよ? 役立てられそうな資格も勉強し直しているし……あとはやっぱり、夜のご奉仕とか――」


「ちょっ、ちょ待って! それは……って何してるんすか!?」


 彼女はそう言うとおもむろに服のボタンを外しだした。その豊満な胸元がチラリと見えてドキリとするが……いや何考えているんだ俺! こんなの他の人に見られたらどうする!?


 必死に目を逸らしていると、やがて彼女は俺の視界から外れて背後から耳元に唇を寄せてきた。そして甘い吐息と共に囁くのだ。


「ねぇソーゴくん……」


 俺は心臓が破裂しそうなほどに脈打っているのを感じながらも、彼女の次の言葉を待つしかない。に、逃げられない……!



「さすがにそろそろ私は部屋に戻った方がいい感じかな? なぁ、お前はどう思う??」


「はい?」


 背後から聞こえて来た声に、華菜さんがそちらへ視線を向ける。俺も恐る恐るバッと振り返ると――……。


「……何してるんですか先生」


 そこには“ずんだ”をゲージから出して戯れるアシュフィールド先生がいた。彼女は緑色のブスッとした手のひらサイズのカエルに向かって「私を助けてくれー」と話しかけている。何してるんだこの人……。



「その、なんだ……。私は人の恋愛事情にアレコレ口出しする趣味はない。しかし人前でそういう行為をおっ始めるのは……」


「いや始めませんからね!?」


 俺は思わず変な声が出てしまった。


「堂森、多少モテたところで調子に乗らん方が良いぞ……いつか夜道で背中を刺されるからな」


 先生は俺ではなくずんだに向けてボソボソと呟くと、それ以上は何も言ってこなかった。



 ◇


 なんやかんやで一晩が明けて。


「いやぁ~、とても素晴らしい休日を過ごせたよ」


 朝陽で茜色に染まる庭を見下ろしながら、縁側に立つアシュフィールド先生は白い息を吐く。


 微笑む先生の手には2匹の亀たち。そして足元では猫や犬たちがスリスリと先生の足に顔を擦り付けるようにして甘えている。最初のような怯えは今の彼女には無い。爬虫類恐怖症もだいぶ克服できたみたいだ。



 なおその隣で俺は痛む腰をさすっていた。


 昨晩、いじけていた華菜さんをどうにか慰めるのに苦労したのだ。俺、頑張った。それはもう、めちゃくちゃ頑張った。



「堂森、今回は本当にありがとう。念願が叶っただけじゃなく、これまでにない経験を味わうことができた」


「いえいえ。少しでも楽しんで貰えたなら良かったです」


 これは社交辞令ではなく本心からだった。


「これはアニマルセラピー効果なんだろうか。料理も最高だったし、普段の荒んだ心も癒された気がする。毎週通いたいぐらいだ」


 昨晩は海猫亭自慢の料理に舌鼓を打ち、和風建築と動物の触れ合いを存分に堪能してもらった。



「ははは、そんな大げさな。でもそこまで気に入ってもらえると嬉しいですね」


 正直こんなにハマるとは思わなかったけどな……。先生は自分でも驚いていたようだし……。


 しかし先生みたいなクール系の美人がモフモフや爬虫類と戯れている絵面というのは……なんとも萌えるものがある。



「ところで先生、海猫亭を再開させることについてですが……」


「え? あぁ、うん。それはもちろん、やるべき……というか私はまた来たいと思えたな。これは忖度なしの素直な感想だ」


 俺が当初の目的を聞くと、先生は少し声を上ずらせた。多分すっかり忘れていたんだろうな……。


「――ご、ごほん。もちろん最終的には堂森が決めるべきだと思う。客相手に金を取る商売をやるってのは、並大抵の苦労じゃないからな」


 先生の言う通り、手続きやら書類やらの準備に追われることは間違いないだろう。


 そもそも再開したところで客は戻ってくるのか?という懸念もある。


 しかし、それでも俺は――……。


 俺は意を決して先生に告げた。



「俺はもう決めましたから。もちろん、先生との約束も忘れてません。みんなで協力しながら焦らずやっていこうと思います」


 それに俺はまだまだ若造だ。不安になるお客さんも出てくるかもしれない。


 でも俺は幼かったあの頃、家族みんなで海猫亭で過ごした幸せな気持ちを……もう一度みんなで味わいたい。お客さんにも良さを知ってもらいたい。だからもう一度だけ挑戦してみようと思ったんだ。


 俺が再び考え込んでいると、先生は優しい目を俺に向けた。



「そうか、なら私も陰ながら応援するよ。ファンの一人としてな」


「え?」


 それは聞き逃しそうなほど小さな声だった。

 俺は思わず聞き返してしまう。


 それに気付いた先生はバツの悪そうな表情で振り返りながら言った。


 まるで照れ隠しをするような仕草で、頬をかきながら――……。



「そ、それに忘れてもらっちゃ困るが、お前は私の教え子だ。学業をおろそかにしたら、助教授として看過できんからな?」


「あ……そういえばそうでしたね」


 すっかり忘れてた。ていうか忘れていたのは先生の方なのでは?


「うっ、そんな目でこっちを見るな! 私は帰るぞ、見送りの支度をしろ」


 そう言って先生は逃げるように部屋へと戻っていった。


 その後ろ姿からは――……普段の気丈な様子は全く見受けられず、年相応の若い女性らしい雰囲気が感じられた気がした。



 ◇


「お前たち、上手く接客してくれてありがとな。報酬は現物で弾むからな~」


 先生を見送ったあと――……と言っても既に日は昇り切った昼過ぎのことだったが。俺はひとりで海猫亭にいる動物たちのケアをしていた。


 犬や猫のモフモフたちには、魚の切り身を蒸したものを持ってきた。食べ物で報酬といって良いのかは分からないが、みんなはハグハグと夢中で食べている。そんな彼らを俺はしゃがみながら、ボーっと眺めていた。



 ちなみに使った客室の掃除を手伝おうとも思ったのだが、なぜか女性陣がやらせてくれなかった。


 客ならまだしも、学校での絡みがある講師が一晩過ごした部屋を生徒が片付けるのは良くない――という判断らしい。


 あとは「ちょっと背徳的」「変態の所業よね」「落ちてる毛で興奮しそう」――らしい。いや、俺はそんな変態じゃないぞ?


 それに先生はそんなこと気にしないと思う……という言葉が喉から出掛かったけど、それを言うとまたデリカシーが無いと怒られそうなのでやめておいた。



「しかしアシュフィールド先生に相談して良かったな」


 研究室で悩みを打ち明けたときもそうだったが、今回もアドバイスをもらってしまった。妹の陽夜理が海猫亭や将来のことをどう考えているのか、ちゃんと話し合えと。


 華菜さんもその意見を聞いて賛成してくれたし、むしろ「聞いてなかったの!?」と若干呆れられてしまった。というか華菜さんは個人的に陽夜理と話をしていたらしい。


 その内容を教えてほしいとお願いしたのだが――。


「それはお兄さんであるソーゴ君が直接聞かなきゃ駄目でしょ?」


 と怒られた。それもそうだ。


 というわけで、今度また時間をもらってゆっくり話し合おうと思う。



「あとはウオミーにも感謝だな。会ったらお礼を言っておこう」


 最後の魚を仔猫のボタンがかっさらっていくのを見届けながら、自由奔放なボーイッシュ美女を脳裏に浮かべる。


 ウオミーにはアシュフィールド先生だけじゃなく、魚の仕入れ先を紹介してくれた恩もある。菓子折り――よりも魚関係の方が喜びそうだな。何か考えておこう。



「あとは和音の家か。野菜のことで相談を――」


「なに? アタシがどうかした?」


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