第21話 水を得られない魚
【魚住真凛視点】
「東京が悪い土地、ってわけじゃない。……たぶん」
わたしの実家は東京の隅っこにある街にあった。
小学校の教師である両親の元に生まれ、出来の良い兄と妹に挟まれた三人兄妹の長女として生活を送っていた。
「家族の仲は良かった。だけど、小さい頃から独りぼっちだった」
普段から子供の相手をする仕事をしているだけあって、両親はかなり教育に自信があるようだった。
実際に兄や妹は英才教育の甲斐もあり、常にトップクラスの学力を誇っていた。
だけどわたしは勉強がどうしても苦手だった。
もちろん、努力はした。
漢字のドリルは何周もしたし、計算は解けるまで何時間だって考えた。他の勉強だって、遊ぶ時間を削ってずっと、ずっと……。
「お父さんも、お母さんも。他の家族も優しかった。できないわたしを怒らなかった」
どうしてできないの、なんて一度も言われたことはない。
だけど段々と教えてくれることは少なくなっていった。
「得意なことをみつけなさい」とか「勉強だけじゃすべてじゃないから」なんて。
「教育者としては満点だと思う。だけどわたしは叱られないことが悲しかった」
怒るのは期待の裏返しなのだ。
いつしかわたしは両親たちの中で「真凛はできない子」というレッテルが貼られていた。
そしてわたしは子供ながら、それに気付いてしまった。
「小学生って、結構複雑な年ごろなんだよ」
兄や妹は両親の期待に応えようと努力し、そのたびに褒められていた。
「だけどわたしは……何もなくて」
両親の望むまま勉強を続けたわたしだったけど、小学校を卒業する頃には両親や兄に抱く感情が変わっていた。
「わたしの居場所なんて家に無かったと思う。今思えばね」
別に両親が酷い人間だとは思っていないけれど、あの時のわたしはわたしを好きになることがどうしてもできなかった。
そんな無気力で空虚な日々を過ごす中、わたしを救ってくれた人がいた。
「ねぇ、水泳部に入ってみない?」
それは中学校に入学して、ゴールデンウイークが間近に迫ったころ。
同じクラスの女の子が教室でボーっとしていたわたしに話しかけてきてくれた。
「……水泳部なんてあったっけ?」
「あはは。やっぱりそう思うよね~」
東京の隅とはいえ、それなりに人口が多い街だ。その分、使える土地も小さく学校の面積は狭い。
グラウンドがあれば良い方で、中には屋上を校庭代わりにする学校もあるくらいだ。
そしてわたしが通っていた学校はプールが無かった。
だから当然、水泳部なんて無いと思っていた。
「ほら、ウチの学校って中高一貫でしょ? ずっとプールの授業が無いのも良くないって、近くのプールを借りて使ってるんだって」
「じゃあ」
「そう! 授業以外にも、放課後に部活動としてプールの一部を使えるの」
なるほど、それなら水泳部があるのも納得だ。
「しかも結構強豪らしいよ、ウチの学校」
「へぇ」
「だからさ。真凛ちゃんもやろうよ、水泳」
どういう理屈で「だからさ」なのかは分からないけれど。
わたしは彼女の誘いに乗って水泳部に入ることにした。
もし勉強以外で結果を残せたら、家族がもう一度わたしを見てくれるようになるかもしれない。……そんな期待を込めて。
「すごいよ真凛ちゃん! 入部したばかりなのに、もうレギュラーだなんて!」
「……ぶい」
水泳部として活動を始めて数か月。
自分でも驚くほどに、わたしはスイマーとしての実力を伸ばしていった。
水の中で、わたしは自由だった。
海藻や小魚の群れが如く、透き通った青の中を泳ぐのは気持ちが良い。
こんな世界があるなんて知らなかった……こんなに楽しいことがあるなんて知らなかった!
「これなら大会も期待できるね!」
「うん……でも」
「やっぱり私の目は間違いじゃなかったね! 真凛ちゃん、絶対泳げると思ったもん!」
彼女の何気ない一言で気付いたことがある。
いや、前から薄々気付いてはいたんだけれど……気付かないフリをしていたんだと思う。
「どうしたの?」
「……なんでもないよ」
わたしってたぶん天才ってやつだ。
だって水泳を始めて一月くらいでタイムがどんどん縮まっていくんだもの。自分の才能が恐ろしいほどに。
……でもどうしても思ってしまう。そんな凄い実力をもっと小さい頃から身に着けていたら、お父さんやお母さんもわたしに期待してくれていたんじゃないのかなって。
「やっぱり真凛ちゃんは凄いよ!」
「……うん」
それからの日々はあっという間だった。
朝早くに起きて練習して、授業が終わればまた練習して……長期休みには合宿もあった。
そんな充実した毎日を過ごしていたある日。
大会での出場するメンバーに選ばれるようになり、気付けば全国大会への出場が決まった。
少しは自身をつけたわたしは、そこでようやく勇気を出して両親に向かい合うことにした。
「お父さん、お母さん。応援、来てほしい」
わたしが水泳をやっていることを、両親はもちろん知っていた。
他の兄妹を見る目とはどうしても違ったけれど、応援はしてくれていた。そして代表として大会に出ることを告げると、彼らは満面の笑みになった。
「もちろん! 父さんたちは真凛を全力で応援するぞ!」
「さすがは私の娘だわ! やっぱり何かしらの才能があると信じていたもの」
都合がいい人たちだな、と思ったのは事実だ。
だけどそれでも本心から嬉しかった。
ようやく、私は魚住家の一員になれた。そんなふうに思えるほどに。
――だけど。
「まさか勉強一辺倒だった我が家が、体育会系にも芽があるとは驚きだな」
「私もビックリだわ~。そうだ、アナタ。姉の真凛がこうなのだから、妹の○○にもやらせてみない?」
「――え」
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