第8話 機を見るに敏とは、まさにこのこと

 「あのときは入社したてで、私も浮かれていたんだと思います」


 某有名企業で受付嬢をしていた華菜さんは、同じくその会社に勤めていたエリート男性に告白され交際。その後結婚を経て、美愛ちゃんを出産した。


 旦那となった男性は会社の中でも将来有望な出世株。


 家族3人で、このまま安泰な暮らしを送れるはずだったのだが……。



「俺はもっと上を目指せるはずなんだ。だからお前も今の職場を辞めて、俺についてこい」


 結婚して数年後に突然、夫が会社を退職してしまった。


 ワンマンな夫は非常に頑固で、絶対に決定権を妻に譲らない性格。だから華菜さんが折れるしかなかった。


 そうして言われるがまま、砂霧すなぎり一家は約10年前にこの来音くるね市へと引っ越してきた。



「大変だったんですよ? 慣れない土地での引っ越しに、新しい職場でのパート仕事。それに夫は仕事人間でしたから、家にはほとんど帰ってこない生活でしたし……」


 それでも華菜さんは幸せだった。


 旦那が勝手に借金を作って会社を立ち上げても、献身的に支えていた。


「夫は"仕事は俺が頑張るから、家庭をよろしく頼む"と約束してくれたから。私も"やりたいことを頑張って”と彼の夢を応援したんです」


 華菜さんは耐え続けた。たとえ旦那が美愛ちゃんの面倒もみず、秘書の女性と連日どこかへ出掛けていても。


 それを知っていてもなお、華菜さんは幼い美愛ちゃんを育てながら、必死に内職をして借金を返し続けた。



「でも、全部無駄でした。夫……元夫は私達を捨て、浮気相手と共に消えました。私に残されたのは、独りではとても返せないような額の借金と、娘であるこの子だけでした」


 せめて美愛ちゃんが成人するまでは、と華菜さんは死に物狂いで働いた。昼も夜も、暑い日も雪の日も。


 時には体を壊したこともあったけど、美愛ちゃんとの暮らしを絶対に守りたかった。


 そんな生活が数年続いたある日、ようやく借金を完済する目途めどが見えてきた。



「それが今日のことです。さすがに四桁万円の負債は骨が折れました」


 そう新たに心機一転を図ろうとしたところで……あの旦那が2人の前に再び現れた。


 このクズはあろうことか、離婚を条件に住んでいた家を引き渡すよう要求してきたそうだ。


「そんな……借金を返したのは華菜さんでしょうに!」


「もう、私も疲れちゃったのよ……心がポッキリと折れてしまったのね」


 そう喉を震わせ、涙をこぼしながら語る華菜さん。



「アイツ!! いきなり他の女と子供を連れて来て、さも当然のようにミア達の家を寄越せって言ったんだよ! でもあの家はお母さんが! お母さんだけがずっと守ってきたのに!!」


「いいのよミア。もう、いいの。あの人と縁を切ることができれば……家よりも貴女を守れれば、お母さんはそれで良いの……」


 お互いの肩を抱いて、さめざめと泣く母娘。


 まぁそういった経緯があり。この雨の中、2人は家を飛び出したそうだ。


 ちなみに美愛ちゃんは別れ際に、元父親に二度とち直れないようなソバット背後回し蹴りを急所に叩き込んできたそうだ。


「あぁ、うん。どうりでフォームがキレイだと思ったよ……」

「悪かったわね」


 美愛ちゃんはうらみがましく、ジト目で俺を睨んでくる。だってソレをさっき実際に喰らった身としてはねぇ……。



 しかし想像以上にヘビーな理由だったな。


 いや『家はあるんだけど道に迷っちゃって』とか『お金が無いからタクシー拾えなくって……』とかの希望的観測もしてましたよ?


 でもそんな俺のはかない希望は一撃で粉砕されてしまったようだ。残念だな……。



「それで、これからどうするんですか?」


 俺の質問に2人は顔を合わせると、悲し気な表情で下を向いてしまった。


「ミアを進学させる為のお金はあるんですけど……私のパートだけでは毎月ギリギリの生活でしたから……」


「お母さんは悪くない! 悪いのはあのクズ野郎で……」


 2人の生活は切迫していたのだろう。今にも泣き出しそうな華菜さんを、美愛ちゃんが必死になって守ろうとしている。


 ――あぁもう!



「事情はよく分かりました」


 もうこれ以上、見てられないよ……それに俺だって目の前の不幸に手を差し伸べないほど、非人道的な人間じゃないぜ?


「最初に言っていた“拾って”という意味も察しました。つまりお二人は、一時的でもいいから住む場所が欲しい。そういう事情なんですね?」


 華菜さんは瞳を潤ませながらコクン、と頷いた。泣き顔に泣きボクロ。どこか背徳的でセクシーだ。


 一方で美愛ちゃんは……相変わらず俺を警戒して睨んでくる。


 いや、まぁ。美愛ちゃんの態度が一般的だよなぁ。見ず知らずの男に、娘と一緒に家にあげてくれとは普通なら言わない。



「……実を言うと。貴方あなたの事を見たのは、今日が初めてではないんです」


「「えっ?」」


 俺と美愛ちゃんが同時に声を上げる。


 俺たちはお互いそれに気付いて顔を見合わせるが、美愛ちゃんはプイッとそっぽを向いてしまった。どうやら俺はまだ嫌われているらしい。


「貴方がこの道を小さな女の子と歩いているのを何度も見掛けましたし、スーパーで楽しく会話しているのも直接聞いたことがあります。それに私、そのスーパーアニマートで働いていたこともあったので……」


「えっ!? そう、だったんですか……」


「それに『海猫亭』のオーナーさんだってことも把握してます」


「そこまで!?」


 この人、意外にしたたかかもしれない。


 人を観察する目と記憶力、そして感情に訴える話術。


 今もウルっとした瞳で、同情を誘う表情をこちらに向けている。若干のあざとさが見え隠れしているが、たぶんそれも織り込み済みなのだろう。


 さらに恐ろしいのが、『俺が華菜さんの黒い部分に気付いていること』を、この人はだってことだ。そこから『俺自身がどう反応するか』を試している。


 自分よりも弱者に対する扱いは、その人物の品性が如実にょじつに表れるという。つまり華菜さんは、このやり取りで俺の人間性を見ようとしているわけだ。


 これは旦那に裏切られ続けた、彼女なりの処世術でもあるのかもしれない。



 ……あぁ、やっぱりね。

 その証拠に、俺を見る華菜さんの目が少し笑った気がした。


 大丈夫。試されたからといって、俺は彼女を責めたり怒ったりするつもりはない。


 それもこれも、全ては美愛ちゃんを守るためだって分かるから。己の全てをベットして賭けて、美愛ちゃんの将来を切り開こうとしているのだろう。



「母は強し、か……分かりました。ですが、俺の一存では決められません。妹の意見も聞きたいですし、取り敢えず俺の家に行きましょう。……そのままでは二人とも風邪をひいてしまいますよ?」


 長く雨に打たれたまま話し込んでいたせいで、3人とも唇が真っ青だ。このままでは確実に身体を壊してしまう。


「ありがとうございます!! ミアもそれで良いわよね?」


「ん……仕方ないよ。お母さんがそこまで言うなら」


 2人は少し身震いをさせながら、雨風を防げる場所に行けることに安堵して微笑んだ。


 そんな2人を見て、俺は去年拾った黒猫の事を思い出す。



「ふふっ。ヒヨリも流石に、俺がまた黒猫を拾ってくるとは思わないだろうな」


 陽夜理の驚く顔を想像し……いや、今回ばかりは怒られるだろうなぁ。


 濡れた背中を、今度は冷や汗が滝のように流れていく。頭を抱えたくなる衝動をなんとか抑えながら、俺たちは帰宅の途につくのであった。











 ~一方その頃、海猫亭では~


「お兄ちゃん遅いな……なんだか嫌な予感がする……」





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【ラノベでことわざコーナー】

機を見るに敏:適切なタイミングを見逃さずに迅速に行動するさま


作者「ゆるふわで可愛らしい女性が、実は頭の回転が速くてあざとい……というギャップが好き好き侍にて早漏」


続きは1/19の19時過ぎを予定!


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★カクヨムコンに挑戦中!!★

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