空っぽな恋

red13

今でも忘れられない記憶

  人は自分のことも、他人のこともよくわからないものである。今、この瞬間「こうだ」と思っても、後になって振り返ってみれば違った。逆に、後になって「こうだ」と思っても、過去の自分や他人を歪めて解釈しているかもしれない。そんな風に一度出した答えで喜び、次に否定し、またそれをも否定する。そんな毎日の連続だ。

 彼女とのことだって、そうだ。別れてから一年ほど立つが、未だに当時の僕の気持ちも、今の僕の気持ちもわからない。当時の彼女や、今の彼女にしてもそうだ。僕の一方的な依存だったのか、あるいは双方の依存だったのか。彼女が僕を一方的に弄んだのか、それとも僕も彼女を弄んでいたのか。僕は彼女を本当に好きだったのか、あるいは彼女もまた、本当は僕のことが好きだったのだろうか?

 別れたこと自体は大して気にならないが、僕と彼女の心境が実のところどうだったのか、未だに気になる。そう考えていると、次は別の疑問が思い浮かぶ。「僕自身が別れたことを本当に気にしていないのか?」と。そうやって、毎回永遠に抜け出せない思考のループにハマる。そして、いつものように過去の記憶を確かめていく。その記憶さえ、確かなものじゃないのに......。

 

 彼女の名前は夢野香(ゆめのかおる)。同じ学校に通う同学年の子だった。彼女は学年の中心的な人物の一人で、どのような人物にも分け隔てなく接していた。そんな人柄か、彼女は同学年の中で頼りにされていた。

 一方で僕の方は、彼女とは違い、学校にいる時は常に一人でいるタイプだった。自分の空気に浸かっていることが心地良くて、他人の空気には交わりたくないと思っていた。ただ、そんな僕でも、誰かにいじめられなかったことは幸運なのだろう。

 僕は彼女の存在を知ってから、密かに彼女のことが気になっていた。キッカケはよく覚えていない。というより、あやふやなのだ。他人と交わりながらも、「自分」を通す彼女の姿に、自分にはない強さを見出したのか。ショートカットの髪、柔らかな印象をもたらす顔の輪郭やタレ目。そのような印象を持ちつつも、どこか鋭利な感じもする彼女の容姿に惹かれたのか。それとも、当時から無意識のうちに、彼女の中に自分と同じものを見出していたのだろうか。過去になってしまった事象に答えは出ない。

 ただ、当時の僕は彼女に惹かれつつ、それを表に出そうとはしていなかった。

 

(どうせ、告白なんてしても振られる)

 

 そのように自己完結していた。その思いが変わるのは高校二年生になってからであった。

 

 高校二年生、夏休みの少し前の話である。昼休みの時、一人で前日に買ったコンビニのパンを食べていると、同級生だった彼女から声をかけられた。

 

「今、少し話しても?」

 

 僕は一人の時間を楽しんでいた。ただ、相手は自分が惹かれている女の子だ。むしろ、「『邪魔をしてしまった』と思われないように」と、変な方向へ気をまわしていた。

 

「いや。全然、問題ないけど?」

「そう。じゃあ、放課後、体育館の裏に来てくれる? 少し話したいことがあって」

「体育館の裏? 別に構わないけど......。何を話すの?」

「それは、来てからの秘密」

 

 そう言うと、極自然に彼女は立ち去ってしまった。

 

(放課後に、体育館裏で話......、まさか、告白? いや、ないな)

 

 浮いた気持ちを即、否定して、「彼女が何を話すのか?」という疑問を持ったまま、食事を再開した。

 

 

「やぁ。来てくれたね」

 

 放課後、約束通りに体育館裏に来てみると、彼女が待っていた。

 

「もしかして、ずっと待っていた?」

「いや、少し前に来たばかりだから」

 

 彼女はつまらなそうな顔をして、僕の問いに答えた。

 

「それで話って?」

 

 僕がそのように問うと、彼女は先ほどまでのつまらなさそうな表情から、悪戯っ子のような顔へと変えた。

 

「さぁ? 私が木下くんを呼んだ理由は何だろうね? 告白かも?」

「まさか......」

 

 勘違いしそうになるのを抑えて、僕は否定の言葉を述べた。もっとも、彼女の言葉は半分本当だったのだが......。

 

「ふふっ。予想通りだね。やっぱり君は否定したね。うんうん。合格だよ」

「合格って......」

 

 何の話をしているのかわからない。そのように問おうとしたとき......。

 

「私の仮の彼氏として」

 

 その時の僕は彼女が何と言っているのか、わからなかった。いや、理解していたけど、そのことを拒もうとしていたようにも思える。

 

「いきなり言われてもわからないよね......。説明するとさぁ、最近色々と鬱々しくてさぁ。なんていうか、勘違いした人たちが私に続々と告白してきそうな勢いで......」

「はぁ......」

「それで、一々、告白を断るのも面倒くさいから、本当に好きな人ができるまで仮の彼氏を作ろうと思っていて......。誰にしようか迷ったけど、君のことを思い出してさ。君は私のことをよくチラチラ見ていたけど、いつまで経っても告白してきたりしないからさぁ。まぁ、本当に付き合うなら選択肢としてないけど、好きな人ができるまでの間なら、勘違いでグイグイ来られるよりも、いいかなって......」

「......」

 

 このときの僕は複雑な気持ちだった。ヘタレなおかげで、「ある意味」彼女に選ばれたわけだが、逆に言えば、彼氏としては絶対にないと突きつけられたわけだし、彼女にとって僕は都合が良い存在であると言われたのだ。

 

「君にとっても、悪くないことだと思うけど、どう? 仮とはいえ、一応、私に好きな人ができるまでは付き合えるわけだし......」

 

 好きな人が相手でも、ここまでコケにされたら同然答えはノー......。

 

「わかりました。よろしくお願いします」

 

 とは言えずに、もやもやしながら、オーケーを出してしまった。

 僕の返事を聞いた彼女は、両手を腰に添えて、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 

 彼女の仮の恋人となった僕は、何回かデートのようなことをした。デートといっても、地味なものだ。大きな本屋にいって、それぞれが欲しい本を読んだり探したり。僕がくたびれた服を着ていると、彼女から「服を新調したら?」と言われて、一緒に服屋に行って、それぞれが欲しい服を買ったりした。そのように、基本的に僕たちは同じ場所に行ったとしても、行動を共にすることは少なかった。互いの家に行った時も、それは変わらない。同じ空間にいるけれど、互いに別の本を読んだり、別のゲームをしたりしていた。そんな僕たちを見た互いの両親からは「本当に付き合っているの?」や「本当に大丈夫?」などと言われてしまったものだ。

 でも、僕はそんな距離感が好きだった。一人の世界に浸かることが好きな僕にとって、必要以上に干渉してこない彼女の態度は好ましいものだった。同じ空間を共有するけど、心の方向は別のところに。そんな彼女との関係は僕にとって都合がよかった。

 

 ただ、そんな僕たちの心の距離が近づいたときがある。一つが食事、もう一つが討論だ。

 食事やお茶をする時、待っている間は僕たちらしく、一切喋らず、スマホをいじるか、本を読んでいる。ただ、食事が運ばれてくると互いに食べているものの感想を述べたり、互いの注文したものを交換したりした。

 

 

「冬なのに木下くんはオレンジジュースを頼んだね?」

「なんとなく、スッキリしたい気分で......。夢野さんはホットコーヒーを頼んだ理由があったりするの?」

「うーん。私は温まりたいのと、目を覚ましたいからかな。いつも、お昼になると眠たくなる」

「そうなんだ」

「そうなの」

 

 そう話していると、店員が飲み物を運んでくる。夢野さんは砂糖のスティック二つとミルク二つを頼んでいた。

 

「夢野さんは甘いものが好きなの?」

「甘いものも、確かに好きだけど......。それよりも、濃い味が好きっていう感じかな。濃い目のコーヒーにたっぷりミルクを入れて、大量に砂糖を入れるのが好きなの」

「へぇ」

「木下くんはコーヒー飲むの?」

「うん。一応」

「じゃあ、どういうコーヒーが好きなの」

「う〜ん。その時によって、違うかな? ブラックで飲む時は薄めで酸味が強いやつ。ミルクで飲む時は若干苦味がある方がいいけど、砂糖は入れないかな?」

「へぇ、オレンジジュースを飲むのに案外大人だね」

「大人というよりも......、それこそアッサリしたものが好きなだけかな」

「なるほどね。ところで、私のコーヒー飲んでみる? なんとなく、木下くんの感想を聞いてみたくて」

「いいの?」

「うん。いいって、むしろ感想が聞きたいから」

「ありがとう。それじゃ、僕のオレンジジュースも飲んでみる? 普通のやつだけど」

「そうだね......。せっかくだし、飲んでみるよ。それじゃあ、どうぞ」

「僕の方も、どうぞ」

 

 互いの飲み物に口をつける僕たち。コーヒーを飲んだ瞬間、僕は眉を少し顰めた。なんというか、全体的に味が濃すぎるのだ。彼女が、濃いのが好きというだけあって、ここのコーヒーはかなり濃く、口一杯に苦味が広がるのだ。それに加えて、彼女が大量に入れたミルク、砂糖のせいでかなり甘ったるい。僕にとって、このコーヒーは濃すぎる。

 ふと、彼女の顔を見るが、どうやらあちらも好みではなかったようだ。

 

「このオレンジジュース酸っぱいね」

「まぁ、このコーヒーを飲んだ後だとね......」

「好みじゃなかった?」

「うん。僕には甘すぎるかな」

「そっか。人の好きなものなんて、当てにならないね」

「そうだね」

 

 少しばかり沈黙が続いたあと、話題を振るかのように彼女が話しかけてきた。

 

「木下くんが頼んだのはサラダうどんだよね?」

「うん。そうだね。夢野さんはビーフシチューだっけ?」

「そう。ビーフシチュー。ついでにデザートはチョコバナナのパンケーキを頼みましたー」

「へぇ。僕はベリー系のパンケーキを頼んだ」

「なんてうか、木下くんはアッサリしたものに加えて、酸味系のものが好きだよね」

「そうだね。夢野さんはやっぱり濃い目のものが好きだね」

「うん。私、木下くんが食べているようなものを食べても、お腹が満たされないと思う」

「僕は逆に夢野さんの食事は一口だけで満たされてしまいそうだよ」

「一口だけで済むなんて、効率的じゃん!」

「そんな生活続けていたら餓死しちゃうよ......」

 

 

 彼女と討論する時は和やかな食事のときと違い、ついつい白熱してしまう。と言っても、本気で彼女と喧嘩をしたことは無いのだが......。

 

 

「そんな風にずっと固まって、どうしたの?」

「いや、なんていうか真実とか、正義なんてわからないのに、何でみんなそれを決めようとするのかなって」

 

 そのようにさり気なく言うと、彼女は呆れた様子で僕を諭し始めた。

 

「あのね......。人間は何かを決めなければ、前に進めない存在なのよ? たとえ、真実や正義を間違って捉えてしまうか。或いは、そもそも、そんなものがなかったとしても、方向性を決めなければ動かない存在なの」

「......」

「だから、虚偽であれ、何であれ、コレっていう方向性示して、導かなければ動きようがないでしょう?」

「......」

「そうでなければ、今の木下くんみたいに答えを出せずに、ただ立ち止まってうんうんと抱え込むだけになってしまう」

「それでも、僕は自分を騙したり、他人を騙したりして動くのは嫌だな。そんな風に知ったかぶりで答えを出すくらいなら、僕は延々と答えが出ないことで悩んで、立ち止まったままでいい」

 

 僕がそう言うと、彼女は「救いようが無い」と言いたげな表情で、ため息をついた。

 

「そう。勝手にすれば?」

「......」

「木下くんって、リアリストを気取ったロマンチストというか......、中二病と高二病を併発しているというか......、とにかく思ったよりも面倒くさい」

 

 

 そんな風に彼女との仮の付き合いを満喫していたが、改めて彼女との関係性が変わるキッカケがあった。それは高校二年生の終わり頃、とある同級生の男子から話しかけられてきたことだった。

 

「木下、お前、夢野と付き合っているみたいだけど、どんな感じ?」

「どんな感じって、みんなが想像するような感じではないよ? デートも一応しているけど、基本的に別行動だし......」

「ある意味、予想通りだな......」

「『ある意味、予想通り』って?」

 

 僕がそのように問うと、彼は戯けた様子で言った。

 

「他の連中と付き合いが悪いお前は知らないかもしれないけどな? 男子の間での夢野の評判、微妙だよ」

「微妙って......」

 

 かなり好かれている印象があったので、僕にとってその評価は衝撃であった。

 

「いや、夢野のヤツを好きっていう奴は多いけどな? ただな、実際に告白や、付き合うってなると話は別で、そうなると一気に人気がなくなる」

「......」

「どうにも、高音の花とは違うけど、なんというか、近づきづらいというか、そんな感じのオーラをアイツは纏っている」

「......」

「心当たりがありそうな顔をしているな?」

 

 彼の言う通り、心当たりがありすぎた僕は、彼に今までの経緯をザックリと話した。

 

「なんというか、その話を聞くと、アイツは案外ワガママなヤツだな」

「......」

「アイツの言う『本当に好きな人』ができるかどうかも、怪しいと思うぞ。なんというか、そういう本格的な関係自体望んでなさそうだしな」

「......」

「そもそも、『告白を断るのが面倒臭いくらい、告白してきそう』っていうのが、自意識過剰だよ」

「......」

「内気なお前には気が重いかもしれないが、アイツとの関係はハッキリさせた方が良いと思うぞ? でないと、一生いいように利用されて終わるぞ?」

 

 

 彼からそう言われてから、見ないようにしていた自分と向き合うしかなかった。本当は彼女に好きだと正面から伝えたい。でも、今の彼女との関係が心地よいから、壊したく無いから、何もしないでいた。

 変化は自分と向き合ったことだけではない。僕の中での彼女も変わった。今まで、僕の中で、彼女は常に僕よりも上の存在だった。僕が周囲と思いを分かち合えないのに、彼女は分かち合っている。僕が行動できないのに、彼女は行動する。僕がただ不平不満を言うだけで、いつも彼女が正論を言う。僕が場を曇らせ、彼女が場を和ませる。ずっと、そう思ってきた。

 でも、それは違ったのではないだろうか? 彼女は周囲と分かち合っているように見えて、実際は誰よりも周囲に壁をつくっていたのではないだろうか? 彼女は誰よりも行動することで、相手の行動を封じていたのではないだろうか? そして何よりも、僕自身が彼女を理想の存在に見立てて、彼女自身を見ていなかったのではないだろうか? もちろん、同級生の彼が言っていたことが正しいわけではないだろう。僕が彼女を一方的な思い込みによって見ていたように、彼も一方的な思い込みによって彼女を見ているかもしれない。彼女自身もそうかもしれない。彼女が思っている彼女と、実際の彼女、違う可能性は十分ある。

 彼女が見ている周囲も、彼女の思いこみの可能性は十分にある。実際に彼の発言を信じるのであれば、彼女は「異性として人気があるが、恋人としてはちょっと」という人物だ。でも、本人は「告白を多くされそうで面倒だ」と勘違いをしている。こうして整理してみると、彼女は僕が思っているほど他人に心を開いていなかったのかもしれない。

 この時からだろう。今のように考えるようになったのは。「結局、僕は彼女に何を求めていたのだろう」と。恋愛対象? 理解者? 自分にとって都合の良い存在? あれこれ考えてみても、答えは出ない。

 

(彼女にとって、僕はどのような存在なのだろうか?)

 

 考えの対象を彼女に移したところで答えはでない。それでも、考えてしまう。彼女にとって、僕はただの都合の良い存在なのか? 実際には理解者であることを求めたのだろうか? それとも、本当は僕のことが好きだったのだろうかと。

 

 今の自分の気持ちを打ち明けるべきか、否か。そのことでさえも、思考のループに囚われる。そのループを打ち破ったのは、以前、彼女から言われた言葉だった。

 

(人間は何かを決めなければ、前に進めない存在なのよ?)

 

 向き合おうと決心してからは、勢いで行動した。でないと、一生このままだろうから。それが、彼女が嫌うようなことだとしても。

 彼女との最後の日、本気の告白をした。それに対する彼女の返事は......。

 

「そう。初めにこの関係になった理由を言ったよね? 私に君が告白してしまった以上、私は君とはもう一緒にいられない」

 

 彼女はそう言って、その場から立ち去ってしまった。

 その時の彼女の気持ちはわからない。その時の彼女は無機質な声で別れを告げたたから。その時の彼女は僕の方へ向いてくれず、彼女の背中しかずっと見ていなかったから......。

 いまだに僕は彼女の気持ちがわからない。本当に言葉の通りだったのか? あるいは、本心は違ったのか。

 僕の気持ちにしてもそうだ。彼女と別れる結果になったとしても、自分の本心を彼女に言えてよかったのか。それとも、言ってしまったことを後悔しているのか。そもそも、彼女に対する気持ち自体がどのようなものだったのか、はっきりしない。

 おそらくはわからないまま、永遠と考え続けるのだろう。きっと彼女が見れば、あの時のようにまだやっているのかと呆れ果てることだろう。「私に振られてまで行動したのに、そのあとは動かずにうじうじとやっているのか」と。でも、それでいいと思う。思い込みなどで行動するのが人間なのであれば、思い込みや思考のループで行動できないのも、また人間だと思うから。「動かなくてはならない時は、自然に動く」そんな感じがする。だから、今しばらくこの思考のループを味わってみようかと思っている。

 

おわり

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