第一章ー18
船から飛び立った我は、海面すれすれを白波を立てながら高速で飛行する。
多少服は濡れるがあまり高度を上げると目立ってしまう。
それでは主からの言いつけを破ることになってしまい、小言を言われそうなので致し方ない。
別段、服が濡れたところで気にもならんので構うまい。
程なくして、もしや服を濡らしても小言を言われるのではと気付いた時には既に時遅し。
少々陽に当たったくらいでは乾きそうにない程濡れていた。
いや、よくよく考えればどれだけたっぷりと水を含もうとも、魔法でどうにかなるか。
問題が片付いた頃には船と左程離れていなかったのもあり、全速力を出す前に頬白島とやらの砂浜へと我は上陸した。
この姿での限界を確かめたかったのだが、残念だ。
しかし、一々島の一つ一つに名を付けるなんて人間は面倒なことをするものだ。
自分が寝床にしてる島にすら名を付けたことのない我には名の必要性がよく分からぬ。
無かったところで困ることもなかろうに。
そんなどうでもいいことを考えながら、着地でド派手に巻き上げてしまった鬱陶しい砂埃を魔法で消し去り、ついでに服も乾かす。
これで主の小言は避けられただろう。
少し気になり船の方を振り返ると、船上からこちらを見ていた主が何故だか頭を抱えつつ口を押さえていた。
いよいよ船酔いとやらで限界を迎えそうなのだろうか。
あの程度の揺れで気分を悪くするとは、人間とはどれだけ繊細で脆く弱い生き物なのかと改めて思ってしまう。
ただ、周囲の人間たちは平然としていたところを見ると主はきっと人間の中でもことさら弱い個体なのは間違いなさそうだ。
天性のものならば諦めるしかないが、ただの怠け者で弱いのならば少しばかり鍛えてやらねば。
とりあえず今言っても仕方のないことは放っておいて、面倒な仕事をさっさと片づける為に周囲を伺う。
砂浜には少し朽ち始めてはいるが十分人間の住居として使えそうな幾つかの小屋が建てられており、周りには風にでも煽られて散らばったのであろう網や桶、釣り竿などの漁具が転がっている。
それは島民がまだ島に居た頃、小屋が漁師小屋として使われていた名残であった。
元々住んでいた島民たちは、王国からの要請で人手不足に陥ったマナライトの採掘場の急場を凌ぐ為の働き手として本土に戻ったのだ。
彼らからすれば、採掘場での仕事は一時的なものになる筈だった。
だからこうして島での生活で必要な道具を残しこの島を去ったのだが、未だに誰一人として帰って来れてはいない。
そうとは知らないガイナは周囲の気配を探るが当然人間は一人もいない。
「ふむ、やはり誰もおらんな。じゃが、おかしな物でもあって主に危険が及んではいかんし、一応見ておくか」
我は砂浜を欠伸交じりに堂々と歩いて一番近かった漁師小屋へと入ってみることにした。
どうせ誰もおらんのだから今更目立たぬ様にする必要も無いだろうと、虫に齧られ放題の扉を蹴破り中へ入る。
外観からはボロイこと分からなかったが、小屋の中は酷い有様だった。
食べ残しや酒瓶がそこら中に転がり、悪臭を放っているのだ。
人間よりも鼻が利くことをこの時ばかりは後悔して、涙目で舌打ちしながらも中を見回してみるが、主に害が及びそうな物も人間の姿もなかった。
いるのは食べ残しに釣られて集まって来たネズミやら虫くらいのものだ。
他の小屋の中も調べるが、どこも同じような状態であり、結局は無駄足に終わってしまった。
唯一の成果と言えば、小娘の当てずっぽうが的を射ていたことが証明されたくらいか。
「巣の中くらい綺麗にしておかんか全く。鼻が捥げるかと思うたわ。もうこれ以上は調べる必要もなかろうし一先ず主の元へと戻るとするか。敵さえおらんのが分かればそれで良いじゃろうしな」
魔法で再び背中から翼を生やす。
本当は体から直に生やした方が操りやすいのだが、服を破れば主が口煩そうなので代わりに魔法で作ってみた偽物の羽だが存外悪くない。
元の大きい体で飛ぶよりも小回りが利きそうなのが気に入った。
昔から何故小さい奴らが体を大きくしないのか疑問であったが、 巨体と剛力のみが熾烈な自然を生き残る武器にあらず。
こういう利点があったからなのだなと思わず感心した。
それにこの魔法、色々と試せば応用が利きそうなのもまた良い。
そんなことを考えていると船がかなり島へと近づいて来ているのに気付く。
我が戦っていないが故に危険は無いと判断してのことなのだろう。
ならばわざわざ船まで行かずともここで主の到着を待てば良いだけか。
しかし、良いことを閃いた我はやはり船と向かった。
甲板へ着地の寸前、砂浜と同じ様にしては壊れるかもしれんと思い、勢いを殺してから着地する。
ぼそりと主が砂浜でもそれやってよと言った気がした。
「人間がいた形跡はあれど姿はなかった。安心して上陸するが良い」
美乃へ言うべきことを言った我はそれとなく主の後ろに回り込む。
船酔いとやらがまだ治っていないせいなのか、主は気付いていない。
好都合だ。
「ご苦労様でしたガイナ様。副船長、ボートの用意を」
外輪が海底を擦らないギリギリまで近づいて船は止まり、ボートが降ろされる。
「姫様、お考え直しください。いくら賊がいないのが分かっているとはいえ万一のことがあってはいけません」
「平気ですよ。いざとなれば忍とガイナ様がいますし」
「それはそうですが……」
副船長はそれでも止めようとするが最後には押し切られてしまい、美乃は忍を連れ立ってボートへと乗り込んだ。
「主は我が運ぼう。行くぞ」
「え、ちょっと待って——」
止める間も無く僕を抱きしめたガイナは飛んだ。
「怖い怖い怖い怖い! ス、スピード落としてよ!」
竜状態で手のひらに乗せられて飛ぶのは飛行機に乗っている様な安心感があった。
しかし、人間状態での飛行はまるでジェットコースターだ。
それも世界トップクラスの絶叫系のコースターの最前列にでも乗っていると錯覚するくらいに怖い。
ガイナが僕を落としたりはしないので安全なのは十分に分かっている。
それでも、独特の浮遊感や高速で過ぎ去っていく景色から生まれる恐怖を拭いさることは出来ない。
なまじ、僕は絶叫系のアトラクションは全てダメな質だ。
子供用のジェットコースターでも絶叫する自信があるくらいには耐性がなく、何故この世にあんな物があるのだろうかと疑問に思う程に嫌いで、乗るのを避けてきた。
それなのにいじめっ子共に無理やり乗せられ、パンツを濡らした時のことは今でも夢に見る。
せめてゆっくり飛んでくれれば多少は恐怖が薄れると思うのだが、僕の叫びを無視してガイナはスビートを緩めない。
絶対に彼女は怖がる僕を楽しんでいる。
その証拠に更にスピードを上げたり、絶対にする必要のない宙返りやバレルロールをして戦闘機の曲芸飛行のような真似をしている。
「到着じゃ主。見て見ろ、ボートの連中はまだあんなところに居るぞ」
時間としてはほんの数十秒の間の出来事だったのだろうが、僕には永遠に感じられた飛行体験が終わりを告げた。
ガイナが手を離した途端、僕は砂浜にへたり込んでしまう。
パンツが濡れていないのは成長の証なのだろうか。
口からは盛大に漏らしてしまったが。
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