未来の子
天然ナガイ
1話完結 読み切り小説
目が覚めると、手足は縛られ私は車の後部座席にいた。
外は真っ暗で、車は見慣れた市街地を走っている。あれからさほど時間は経っていないように思われた。
まだ少し頭がボーッとしている。私はいつも通り部屋のベッドで寝ていた。オートロックのマンションに、どうやって侵入してきたのかわからないが、いきなり男が上に乗ってきて、叫び声をあげる間もなく、妙な薬品を嗅がされ意識を奪われてしまった。
おそらく車を運転している男が私をさらった犯人だ。まわりの景色を見ながら、ぶつぶつ
「ねえ、いったいあなたは誰なの? 私をどうする気?」
私は語気を強め疑問をぶつけた。こんな目に遇っているのに、不思議と恐怖心はなかった。
「やあ、気がついた。
男は誘拐犯らしからぬ、呑気な口調でいった。あっけらかんと悪びれた様子もない。私は腹が立って、さらに強気に出た。
「あなた、自分がなにをしてるかわかってるの? これは立派な犯罪よ!」
と叱るように問い詰めた。
「あははは。変わらないなあ。まあ怒るのも無理はないけど安心して。危害をくわえるつもりはないから」
そういって男は後ろを振り返り、人懐っこい笑顔をみせた。その途端、警戒心は薄れ、またもどかしい気持ちにとらわれた。男の屈託のない笑顔に、言い知れぬ既視感を覚えたからだ。
「それよりさ、無用心だよ。ドアロックの暗証番号は変えた方がいい」
「えっ、あなた、なんで番号を知ってるの?!」
「いや、知ってたわけじゃないよ。カンで当てたのさ。昔から単純だからねえ」
暗証番号は1208。それは今付き合っている彼の誕生日に由来している。誘拐犯は若い男だから、その同年代の彼と知り合いということは十分考えられる。
いったい彼とはどういう関係……?
まさか彼も共犯なの……?
不穏な予感がして、胸にとりとめようのない疑惑が根をはった。
「うわあ。この小学校はぜんぜん変わってないや。運動会で家族と食べたお弁当を思い出すよ。母さんが作る唐揚げは最高だった」
感慨深く男がいった。窓の外に広い運動場と白い校舎が見える。しかし私にはまったく見覚えがない建物だ。
私と彼、そしてこの男。いくら考えても、どんな接点があるのかわからない。馴れ馴れしく、またどこか懐かしくもあり、他人とは思えない雰囲気がいっそう謎を深めていた。
「ここでいい。さあ着いたよ」
男は車を止めた。とほとんど同時にハンカチを私の顔にあてがった。まずいと思いながら、不意に力が抜け、地の底に落ちるような眠りにさらわれた。
目が覚めたときはすでに朝だった。拘束は解かれ、シートに横になっていた。あの男の姿はない。
私は周囲をみて、あっと声を上げた。目の前に警察署があったからだ。すぐに私は車を飛び出し、助けを求め署内に駆け込んだ。
事情を話したら個室に通され、ふくよかで丸顔の女性警察官が担当してくれた。母親のように親切な婦警さんで、一晩中車で過ごし、冷えたからだに温かいココアと毛布がありがたかった。
最初に名前と住所を訊かれ、私がこたえると、彼女の調書を取る手が止まった。
「えっ? 柳町の三丁目ですって?」
「はい。そうですけど。それがなにか……」
年配のその女性警察官は、眼鏡を外し、まじまじと私の顔を見つめた。
「なんてこと。不幸中の幸いだわ。あなた、無事で良かった」
そう言われても、なにがなんだかさっぱりわからない。私はきょとんとしてしまった。
「いい、よく聞いて」
彼女は沈痛な面差しでいった。
「未明に大変なことがあってね。突然地中に埋まっていた不発弾が爆発したの。そのせいで死傷者多数。三丁目一帯は大惨事に見舞われてしまったのよ」
私は思わず絶句した。爆発ときいて、住宅街の悲惨な光景を想像した。もしも昨晩そのまま部屋で寝ていたら、私も只では済まなかったはずだ。
あの誘拐犯の男に、命を救われていた。
しかし今となっては、その彼の顔が思い出せない。時間が経つに連れ、彼の面影は波に洗われていくように消えてしまう。
正体がわからず謎を残したまま、あの時、夢うつつ、彼はおぼろげな光に包まれ、遠いどこかに行ってしまった。
未来の子 天然ナガイ @atsukana
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