第2話
黄泉の国とつながる、そんな電話がある。そんな話を一人の男からきいたのだった。
「ザッキー!ちょっとこれ、みてよっ。この噂、知ってる? 」
息を切らしながら、目をきらきらさせて話しかけられる。面白いものを見つけてきた小学生みたい。きっとわたしとは反対側の世界に住んでいる人なんだろうな、と内心思ってしまう。
また、変なものを見つけてきたのだろう。この人はいつも変なことを見つけては、わたしに教える。学校の水道の水が何もしていないのに勝手に出始めたとか、ユーフォーを昨日の夜に見たとか。……ありえない。
「ちがうよ」
まだ何も言っていないのに否定され、なんだか申し訳ない気持ちになる。たぶん表情に出ていたんだろう。
わたしの反応をよそに、ほら、これはやくみて、とスマホの画面を見せつけられる。よほど興奮しているのだろう。スマホを近づけられすぎてうまく読めない。目の前で赤がぼやける。画面を優しく押し戻し、見えやすい位置まで離す。
黒い背景に、赤く太い文字が並んでいる。
「黄泉へつながっている電話を見つけてしまった、ですか」
「いつもどおり、反応薄いな、ほんとにさ」
黄泉の国とつながる電話、か。黄泉ということは、おそらく亡くなった人と話ができるということなのだろう。
なんとも、うさんくさい。というよりも、変な新興宗教とかじゃないだろうか。そうだったら、絶対首を突っ込んだら厄介だ。身体的にも、精神的にも、金銭的にも。
「先輩、その噂、本気で信じてます?たしかに、オカ研らしい話題ではありますけど。」
先輩はわたしの言葉に納得できない、と言いたげだ。先輩は本気で信じているのか。ここは小説の中じゃないんですよ、とかそんな電話あるわけない、とかごちゃごちゃ言ってみるが意味があるはずもなく。それどころか、なるほど、ザッキーびびってるんでしょ、とニヤニヤしながらこっちを見てくる。
「びびってる、とかそういうんじゃないんですけど」
あー。だめだ。このパターンは。
仕方ない。ここは一旦先輩の話を聞こう。
ひとつため息をついて、
「で、その怪しげな電話っていうのはどこにあるんですか?」と観念して聞く。
先輩は電話のことを「怪しげ」と表現したことで、眉間に少ししわを寄せた。しかし電話のことを話せるチャンスだと気づき、楽しそうに話し始めた。
話し始めたのはいいのだけれど。先輩が電話の存在について知ったのはほんのちょっと前らしい。情報と言えるほどのことはほとんど持ち合わせていなかったようだ。
情報源は、一つのブログ記事。SNSの発達しているこの時代に、ブログなんて珍しい。そう思い、投稿された日を見ると随分と前の記事だと分かる。ついでに、投稿者の名前も見る。
「十五夜草」。ブログ主はそう名乗っていた。「十五夜草」さんは頻繁に記事をあげていたようだ。先輩と他の記事を試しに見てみる。
観光スポットや美味しかったお土産について綴られている。そのブログで、電話についてほかに重要な手掛かりはないか、小さなスマホの画面をふたりでのぞき込んだ。
画面をスクロールしては止め、スクロールしては止め、指先が細長い丸を描くように滑らかに動く。フィギュアスケーターみたいに。
あっ、これ、すごくおいしそう、と先輩は突如としてそのスクロールを止めた。ブログにあるいちごパフェの写真。いいね数も他の記事に比べて、多くついている。
おいしそう~。わたしは思わず小さな歓声をもらした。
パフェの上の部分がバーナーであぶってあって、ブリュレになっている。あぶられて、べっ甲色になった表面は、まだら模様。まるで、理科の教科書で見た月面の穴ぼこみたいだ。
ぱりぱりとした月面をスプーンでつついたら、中からカスタードがとろりと顔を見せるんだろうか。引っかかりのないなめらかで、とろけるようなカスタード。さらに奥には甘酸っぱいいちごが姿勢よく、すっと立っている。うーん。よだれが。
あっ。ちがうちがう、とわたしは急に我に返る。電話の情報を見つけるためにこのブログを見ていたんだった。
「ここには電話の情報ないですから、早く次のページに行ってください」とわたしは先輩の方を不機嫌そうに見る。
「ザッキー、そんなに焦らないでもいいじゃん。顔こわ。そんなこと言われなくたって、今からちゃんと調べるからさ。」
こわいなんて言いながら、実際は全然怖がっていない。わたしのきつい言葉は、表情は、この人の前では良くも悪くも通用しないのだ。
実を言うとわたしは「こわい」と言われた事よりも、自分の顔のことが気になっていた。先輩を横目でちら、と見たところ、思いのほか顔が近くてちょっと、どきりとしてしまったのだ。顔に血の温かさが集中するのを感じる。頼むから、赤くならないでくれ。必死の懇願をするも、何の変化もなく、顔は熱いままだった。
人慣れしていないわたしは、ちょっとしたことでいっぱいいっぱいになってしまう。人を遠ざけてしまうのだ。男性は特にそうだ。男性恐怖症とまではいかないけれど、好きとか嫌いとか関係なく、恥ずかしさに似た謎の感情が湧き上がり、赤面してしまう。
そうやって、先輩のことを変に意識しながらも、その状況から逃げ出すこともできず、その後もブログを調べつくしたのだった。
今日、分かったことといえば、記事の土産物の写真からその電話はどうやら地元にあるということ、そのくらいだった。後に書いてあったのは、宿泊施設の近くで売っていたお酒が美味かったとか、こぢんまりとした温泉があるとか、お祭りの日に迷い込み、偶然子どもが電話を見つけたとか、そんなことだけだった。
不思議なことにその電話のことについては、存在についての書き込みしかなく、ブログ主が実際に死者と話したのか、それさえもよく分からなかった。しかも、「最新の記事」は二年前で、「やめます」という見出しでブログを終了することが告げられている。と、いうことで情報提供者とのコンタクトをとることも叶わないのだった。
ほかにも同じ「電話」について、ネットに書き込みがないか、それぞれで調べてみたが、二十分、三十分とじわじわと時計の針が進んでも見つけることはできなかった。
画面を見るのに目が疲れてきたわたしは、うーん、と眠気を纏いながら唸る。
わたしは早くも諦めかけていた。地元にある、ということ以外何もわからない。黄泉と通じ、しかも話せる、そんな奇跡を足してできたようなものが、見つけられるのだろうか。そもそも、情報の真偽すらわからない。地元にあると分かったとたん、ちょっと調べてみたいと思うようになったのは確かだけれど。
「だいいち、わたし、地元に十七年住んでいてそんな話は誰からも聞いたことがないんですけど。先輩も多分、十八年そんな話聞いたことないんですよね。」
「うーん。地元って分かっただけでもかなりの収穫ではあるけど、情報としては足りないよねぇ…。」
先輩はちょうど「考える人」みたいなポーズをとった。そして十秒くらいしてから、
「とりあえず、自分の身の回りでこのことを知っている人いないか、聞き込みをしてみる。なんかわかったら言うから、ザッキーもな」
わたしは反射的に「はい」と返事をしてしまう。わたしも今のところできることは、それしか思いつかなかったから。
もう暗くなってきたし今日は帰るか、と先輩はスマホをポケットにしまい、リュックを背負った。
部室を出ていく先輩の背中にお疲れ様です、とわたしは返し、左側の机の上に置いていた重たいリュックを背負いながらふと外を見た。
校舎も、名を知らない駐車場近くの木も、自転車で帰る中学生も、みんなオレンジ色のひかりに包まれていた。同時にその隣には、まっくろい影がひっついているのだった。
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