救われたのは誰?
紗久間 馨
サプライズ
今日は彼女であるミワちゃんの22歳の誕生日だ。僕はサプライズでお祝いをするために、バラの花束とケーキの箱を抱えて、マンションの入り口が見える場所に隠れている。
夜が更けて、周囲は暗く、人通りが少ない。驚かせるには絶好のシチュエーションだ。ミワちゃんの驚く顔を想像するとワクワクする。
さっきインスタのストーリーで「スタッフの皆さんにお祝いしてもらいました」と書いていたから、もしかしたら帰るのが遅くなるかもしれないな。
実はミワちゃんは人気上昇中のアイドルで、僕は秘密の恋人なのだ。最近、少しずつテレビへの出演が増えてきたところだ。大好きなミワちゃんの邪魔を僕がするわけにはいかない。
でも、誕生日くらいは僕だってお祝いしたい。だから、少しだけ会いに来てしまった。もちろん、プレゼントを渡したらすぐに帰るつもりだ。
「ミワちゃん、遅いなあ」
と、ソワソワしながら道路を覗き込むと、車のヘッドライトが向かってくるのが見えた。そして、その前を1匹の猫が横切ろうとしている。
ミワちゃんの飼っている猫のマロンに似ている。逃げ出してしまったのではないだろうか。このままでは轢かれてしまう!
僕はバラもケーキも投げ出して、猫を助けに向かう。
ドンッ!
鈍い音とともに僕の体に強い衝撃が走る。猫は僕に驚いて道の端に逃げ、無事だったようだ。丸く光る目が僕を見ている。
「なんだ、マロンじゃなかったのか。良かった」
ヘッドライトに照らされるなか、僕の意識は遠のいていった。
「う、うーん」
柔らかな光の中で僕は意識を取り戻した。
「目が覚めたようだな」
声のした方を見ると、そこには大きくて白い猫がいる。たぶん2階建ての一軒家くらいの大きさだ。
ああ、きっと夢を見ているに違いない。
「お前は私の分身をかばって死んだ」
大きな猫の言葉に僕は声を詰まらせた。
「助けてもらった礼として、お前の願いを一つだけ聞いてやろう」
僕の理解が追いつかないまま、大きな猫は淡々と話し続ける。
僕が、死んだ? 嘘だろ?
「さあ、願いを言え」
「じゃ、じゃあ、僕を生き返らせてよ」
「それはできぬ」
できないのかよ、と僕は心の中でツッコむ。
「死んだ者を生き返らせることや、時間を戻すことはできぬ」
叶えられるのは今から先についての願いに限られるらしい。
僕が心配なのはミワちゃんのことだ。本当に僕が死んでしまったのなら、きっと悲しみに暮れているだろう。これから先の世界でミワちゃんの傍にいられる方法があれば・・・・・・。
「あっ! あのっ、僕をミワちゃんの子どもとして生まれ変わらせてほしい。というのは?」
「ふむ。よかろう。では、その娘が身に子を宿したならば、子の体にお前の魂を入れることとする」
大きな猫はそう言ってうなずいた。それと同時に長いしっぽが僕をフワリと包み、再び意識を失った。
夢から醒めたらミワちゃんにこの話をしよう。きっと笑って聞いてくれるに違いない。
※ ※ ※
「この度は喜寿の記念に自叙伝を出版されたとのことで。おめでとうございます」
スーツに身を包んだインタビュアーが祝福の言葉を述べる。
「ええ、どうもありがとうございます」
グレイヘアのよく似合う淑女が微笑んで返す。
300人ほどが入るホールで
「ここまでやってこられたのは応援してくださる皆さまのおかげです。本当にありがとうございます」
三輪エリカが深くお辞儀をすると、会場内に拍手の音が響き渡る。
「衝撃的だったのは、三輪さんが休養に入られたきっかけとなるストーカーのお話でしたね」
「若い頃はひどく恨んだものですが、あの件がなければ今の私はいなかったかもしれません。あまり思い出したくないことですけれど」
かつて、三輪エリカはミワという名前でアイドルグループのメンバーとして活動していた。
その人生を変えた話というのは、ミワの22歳の誕生日に起きた、ストーカーがマンションの前で車に轢かれて死亡したというものだ。しかも、その車を運転していたのはマネージャーで、後部座席にミワ本人も乗車していた。
死亡した30代の男には問題行動が多く、イベントなどの出入り禁止リストに載っていた。
両手を広げた男が車の前に飛び出し襲いかかってくる様子が、ドライブレコーダーに記録されていた。ブレーキを踏んだが向かってくる男は自ら車にぶつかり、打ちどころが悪かったため亡くなってしまった。
道路に散らばったバラには「ミワちゃん、いつまでも一緒だよ」というメッセージカード。箱の中でぐちゃぐちゃに崩れたホールケーキには「ハッピーバースデー! 大好きなミワちゃん」と書かれたチョコレートプレート。そして、男はペティナイフを隠し持っており、ミワを狙っていたことは明白だった。
セキュリティの高いマンションにもうすぐで引っ越すという矢先のことであった。
テレビやインターネットで騒がれ、同情の声が多かったものの、精神が削られたミワはステージに立てなくなった。グループからの卒業を発表すると同時に無期限の休養に入った。
休養中、演技力や歌唱力を磨くためにレッスンを重ね、約2年後、本名である三輪エリカとしてステージに復帰した。
その才能は国内のみならず海外から注目されるほどに開花した。女優としても歌手としても多くの作品に携わり、喜寿を迎えた今でも引く手数多である。
「トラウマによって生涯独身を貫かざるを得なかったとも書かれていますね」
「はい。ストーカーから受けた恐怖心がずっと消えず、他者との距離を縮めることがどうしてもできませんでした。今でも・・・・・・」
プライベートにおいて、三輪エリカは誰とも深い関係を築くことができなかった。結婚も出産もしていない。
「私は仕事と結婚したようなものです。こんなにも長く皆さまから愛されて、私はとても幸せです」
そう、ミワの恋人だというのは男の妄想でしかなかった。そのうえ、男の願いは叶うことなく終わったのだ。
救われたのは誰? 紗久間 馨 @sakuma_kaoru
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