望月くんがカピバラになる案件
佐兎
第1話 変身?
朝、目覚めると自分が一匹のカピバラになっていた。
「いや、そこは一匹の巨大な毒虫だろ?」
「先生、これはカフカではありません。現実の望月くんの話です」
そう言いながら、クラス委員の
「ええと、百歩譲ってだ。コレ……が望月だとして、そもそもどうしてそれが望月だと分かる? 本人が名乗ったわけではないよな」
「望月くんの席に座っていましたから」
「おいおい……」
「そもそも、グレゴールも言語で意思疎通を図ったわけではありません。彼の部屋に居たから周囲はそれがグレゴールであると認めざるを得なかった。だとすれば、望月くんのことも同様に認めるべきです」
真面目な顔でそう応じると、腕に限界を感じたのか有藤は望月の机にカピバラを下ろした。不服なのか満足しているのか分からないが、カピバラはやはりハムハムを繰り返している。本来、和むべき光景だったのかもしれないが、眺めていると正木は頭がおかしくなりそうな気がした。
「いや、これはもう最初から訊くべきだったが……誰なんだ、カピバラを教室に連れてきたのは!? 怒らないから正直に答えなさい」
元々静かだった教室内が、一層シンとなった。そのうち、隣や後ろと相談し合う声でさわさわと騒めいた後、いつも早めに席に着いている角田が手を挙げて発言した。
「あの、俺が席に着いた後に、そのカピ……」
「望月くんよ」
有藤に即座に訂正されて、角田は素直に言い直した。
「えっと、望月が教室に入って来て、自分で席に座りました。なので、誰が連れてきた訳でもありません」
「望月くんが登校していない日に、誰が案内するでもなく望月くんの席に迷わず座る。これはもう、確定ですね先生」
「え、そうかな……って、そんなワケあるか! 有藤、何でおまえそんな普通に受け入れてるんだ?」
「現実主義者なもので」
「どこが!?」
「本当の現実主義とは、目の前の事象を正確に見定めた上で、あるがままに受け入れることだと私は考えます。偏った観念で物事を捉え、想定外のことを全てあり得ないと頭から否定する人間は、視野の狭い固着主義者に過ぎません」
最後に、先生のように――と幻聴が聞こえた気がしたが、それは気のせいだろうと無視することにした。現実云々の話をされて少し冷静になった正木は、ため息をついてクラス全体に告げた。
「とにかく、望月の所在を掴まないことにはこんな議論は無意味だ。先生は望月の家に電話をしてくる。次の授業は待ってもらうので、静かに自習をしていなさい」
***
正木が教室に戻ると、クラスの生徒が例のカピバラを囲んで撫でたりモフモフしたり写メを撮ったりと、てんでに癒されていた。有藤は窓際でそれを俯瞰的に眺めていたが、正木にいち早く気づいて近寄った。
「先生、どうでした? 望月くんは家に居たんですか?」
「いや……それがな」
「やっぱり、彼が本人ですか」
「いや、そういうことじゃなく。その……みんなにも聞いてほしいんだが、望月は昨日の夜から家に帰っていないそうだ。携帯も繋がらず、お母さんが警察に捜索願を出しに行ったんだが、今時の高校生が一晩帰って来ないことくらい珍しいことではないからと、自宅で待つよう一度帰されたらしい。しかし朝になっても戻ってこないので、改めて警察に赴き先ほど学校にも連絡が入った。昨日の望月の行動で、何か知っている者はいないか?」
一転して不穏になった空気に、男子の一人が口を開いた。
「望月は放課後、いつも美術室で一人で絵を描いていたように思いますけど」
「そうですね。あそこは顧問も放任主義で、よく一人で居残っていました」
「それに美術の高遠先生は、ここ一週間ばかり休みじゃなかったか?」
「昨日も残っていたかどうか、見た者はいるか?」
正木の問いに、応える生徒はいなかった。時折見かけたというだけで、昨日も美術室に向かったかどうかも定かではない。
「望月くん、昨日も美術室に行ったの? そのせいでそんな姿に?」
この空気の中でもカピバラに話しかけている有藤に、さすがに正木も窘めるように言った。
「有藤、ふざけるのもいい加減にしなさい。親御さんの気持ちを考えたらそんなものを望月だなんて……」
「ふざけてなんていません。先生こそいい加減、認めてはどうですか。望月くんの消えた朝に、望月くんの席に彼が現れた。少なくともただの偶然とは思えませんが」
「偶然でなければ、何だと?」
「望月くんの意思かもしれません。先生、彼を美術室に連れて行っても構いませんか?」
「美術室に? 何故」
「望月くんの、足取りが分かるかもしれません」
どうせ授業どころではないと強く請われて、正木は仕方なく頷いた。
クラス中で移動してはさすがに騒動になるからと、有藤を含めた三人の生徒を連れて美術室に向かった。途中、有藤は下駄箱で立ち止まると、一つを選んで中を確認した。
「有藤?」
「望月くんの下駄箱には、上履きが残っています。と言うことは靴を履いていることになり、学校からは出ていると考えるのが妥当ですね」
「それはそうだろう。まさか、まだ校内にいるとでも思っていたのか?」
「さて、どうでしょう」
意味ありげに首を傾げると、有藤はカピバラを抱え直して先を歩いた。
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