167 ほろ苦い思い

星野side


「――……はっ!?!あ痛ァ!?」

 

「おお、戻ったか。痛ぇだろうが我慢しろ。もうすぐくっつくからよ」 

「くっつく!?え?……あれ?音が聞こえますね」




 瞼を開くと、 目の前に暉人殿のお顔がドアップで映る。……ワイルドイケメンと芦屋さんが評する通りの、綺麗な顔だ。

最近はツンツンヘアーをやめ、颯人様のように髪を一つに縛っているから、全面に洗練された綺麗さが押し出されている。


 そして、耳が痛い。隠世で両耳とも失われたはずが……何故か右側だけある。鼓膜ごと失われているはずだから、何も聞こえないと思っていたが、音が聞こえる。


 呆然としながら暉人殿を眺めていると、彼の顎からぽたり、と赤い雫が滴った。


 


「暉人殿!!血が出てますよ!?」

「おう!お前に耳を一つやったからな。名にし負うタケミカヅチの耳だからよ、大切にしてくれよな」

 

「な、何故そのような……」



 笑顔が眩しすぎて直視できません!目線を彷徨わせると、浄真殿が暉人殿の耳を顰め面で抑えているのに気づいた。私の耳を止血のために押さえているのは白石さんだ。

傍で天照殿と陽向くんが布やら桶に入れた水を抱えて眉を下げていた。


 あぁ、心配させてしまっていたんだな……罪悪感で胸がちくりと痛む。

 



「星野が厠の中でぶっ倒れて、悟と共に隠世に行っただろ?それからすぐ耳が奪われてな。

 もぎ取って行ったのは狢だ。鬼一が捕まえてるが、耳はすでに主犯に持っていかれてる」

 

「まったく、驚きましたよ。星野さんの耳が消失してすぐに自分の耳をブチっとやって、星野さんにくっつけるんですから!

 芦屋さんの眷属は無鉄砲が常なんですか!?神といえど耳は生えませんからね!?」


「浄真はウルセェな、いつもの口癖が飛んでるぞ?んなこたぁわーってるよ。

 星野は耳の中の神経までやられてたからな、これじゃ耳が聞こえなくなる。それは俺にとっては一大事なんだ」

 

「……ええぇ……一大事って、何故ですか?私は戦闘員ではありませんし、戦える暉人殿の耳の方が大事なのでは?」



 暉人殿のゴリゴリした膝枕から起きあがろうとすると「まだ動くな」と言われて仕方なく体を横たえる。

 非常に寝心地が悪いですが、暉人殿は真剣な顔になってしまった。下手に動けません。


 


「星野は真幸の相談役だ。念通話ができたって、真幸の口から発せられる声色を聞き取れなきゃ困る。あいつの音は複雑で深いだろ?

 オレの主の御用聞きを失うわけにゃいかねぇ」

 

「いやいや、白石さんでも伏見さんでも相談役はいらっしゃるでしょう!」

 

「真幸が自分の事を一番最初に相談したのはお前だろ?星野に話を聞いてもらえるだけでも心が休まるんだってよ。それはお前にしかできねぇ仕事だから、オレぁ心から頼りにしてるんだぜ」


「…………」


「何かと戦うんじゃなく、おまえの役目は輔ける事だ。オレは耳なんかなくたってどうにもなりゃしねぇよ。

 星野はオレの一番大事な真幸に対して、癒しを、心の安寧を、道標をくれる。

 あいつの抱えた様々なものはオレには良くわかんねぇし、大将との関係で相談されても役に立たねぇ。お前の耳が聞こえなくちゃならねぇんだよ」



 

 暉人殿の飾らない言葉を受けて、私はうっかり泣きそうになってしまった。

 たしかに、暉人殿は耳を片方失ったところでどうにかなる方ではない。

 

 でも、血の流れた跡を見ると私とほとんど変わらない時間が経っているように見える。


 一切の迷いもなく、事態が起きてすぐ自分の身を差し出して……こんな風に笑えるのだろうか。


 


「おっしゃー、くっついたぞ!白石、傷治してやってくれ!」

「はぁー……ったく、暉人も治してやるよ」

 

「いや、オレはいい。真幸に治してもらうんだ!たまには主と触れ合いてぇからな、良い理由ができた。これで大将にも怒られねぇ」

「はああぁーーー……本当に仕様のない奴だな。止血だけしとけ」

 

「おう。なぁ星野、ちゃんと聞こえてるだろ?これからも真幸の話を聞いてやってくれな」


「……はい」


「落ち着いたら痛ぇ!ちっと手加減してくれよ」

「はいはい、痛いのが正常ですから。止血は力の限り抑えないとなんですよ」 

「痛ぇ!くっそ……浄真はマジで鬼だな」

「フッ」


 


 ようやくご自身の耳の痛みを覚え、顔を顰める暉人殿。そのお姿を眺めて私は奥歯を噛み締める。

 素直で、猪突猛進で、自分の犠牲をなんとも思わない彼を見ていると、自分のわだかまりなど些細なことに思えた。


 

 芦屋さんが『今目の前に居る陽向を愛さずにはいられなかった』と言ったのが全てだ。

 私も、兄に対しての積年の後悔がさっぱり消えて気分はスッキリしている。


 小さな事にこだわらず、あるがままに生きればいい。それがいつしか、全てを結実させて結果となる。

今はただ前進するしかないのだと結論が出た。



(おーい、そっちはどうだ?すまんが狢だけじゃなくしん……いや、龍が見つかった。悪いが俺もアリスも穢れが祓いきれん、手伝ってくれ)

 

「お?鬼一、アリスは無事か?」


(無事といえば無事だな。狢と喧嘩してんだよ……助けてくれ)




「一気に行きたくなくなったんだが」

「白石さん、とりあえず現地に行きましょう。鬼一さんの困り果てた声を聞いていられませんよ」



 白石さんは苦笑いを浮かべ『星野の耳は確かに必要だな』と呟く。

男たちの間に広がった笑みは、私の心に深く染みていった。


 ━━━━━━


「はぁ!?そげなちっぱいで何言うてんねん!?あんたぁが妖狐なら、ぼん!きゅっ!ぼん!でなきゃおかしいやんけ!」

 

「なっ!?気配でわかるでしょ!わたし、キュッ!はありますよ!!!」

 

「つるーんぺたーんできゅっ!されてもなーーーーんも意味ないやんけ!同じメリハリ無いんならアタイのようにな方がええやんな?!」


「何ですって!?このモウロク年寄り狸!!」

「はあぁ!?アタイはババアちゃうわ!あんたこそクソジャリ狐やんか!!」


「「ぐぬぬぬ……」」



 現時刻……4:30。約束のお時間になったため一旦お電話でご報告したところ『耳なし芳一の術使ってないんだから時間制限ないだろ?帰りを待ってるよ』と芦屋さんに突っ込まれました。

 ハイ、私が勝手に三時間で戻るって決めてただけでした。



 現在地は森の奥。目の前では狢であろうふくよかな女性と、アリスさんが立ち会って喧嘩をしている。

 奥の方でしん?ミズチ?どちらかわかりませんがにょろっとした蛇さんのような妖怪と鬼一さんが青い顔をして佇んでいた。

 鬼一さんが仰るならば龍なのでしょうけども。



 

「ど、どうすんだこれ?俺たちが来たの全然気づいてねぇよな」

「白石、お前チョッと割入って止めてこいよ」

「やだよ!暉人がいけよ!怖すぎるだろ!?話題も意味わからんし……」


「はいはい、とりあえず祓いをしたらいいのではありませんか?狢は危険はなさそうですし」

「浄真殿のおっしゃる通りですね。そーっとすり抜けましょう」




 般若の形相で喧嘩しているアリスさんと狢は、背丈が同じくらいだ。狢の目の下には大きなクマがあり、鼻が赤い。お尻からふっくらした尻尾が毛を逆立てて生えている。大狸さんですね、これは。

 芦屋さんが見たら、あれも可愛いと仰るのでしょうか?



 お二方の横をすり抜けて、鬼一さんの元へ。目の前には魔法陣の上に龍が蹲っていた。

 うーん、でもこれは……どう見ても蛇ですね。くるくるとまるまって、身中に玉を抱えている。あれは八犬伝の玉のようです。



(星野……すまん。肝心の耳を取り返せなかった)

「いいんですよ鬼一さん。暉人殿のお耳を頂いてしまったので耳は聞こえます。念通話でなくとも大丈夫ですよ」


「なっ!?そ、そうなのか??……マジかよ……」

「へっへ、いいだろう鬼一。星野が羨ましいか?」

 

「神格の高いタケミカヅチの耳が生えてるってのは……まぁ、うん、羨ましい?かもしれん」


「無理しないでください。さて……これは九州の時と同じ魔法陣でしょうか?」




 地面に描かれた赤黒い文様の魔法陣は、今まで見てきたものと似通っているが文字が違う。瘴気がモヤモヤと立ち上がって、九州の時のような仕掛けがあるようには思えなかった。


「使われている材料は同じみてぇだが、様相が違うよな。構造を分析したが、地下にも地上にも他の魔法陣は用意されてねぇ」

 

「鬼一さんは九州で直接見られたのでしたね。それならば間違い無いでしょう。ハラエドノオオカミ」

「応」


 衣擦れの音と共に私が依代を務めるハラエドノオオカミが顕れる。白石さんも、浄真さんも魔法陣を見て首を傾げたままだ。

 シンプルに見えるものほど、中身が複雑だったりするんですよねぇ。


 


「生きた捧げ物はありませんね。食べ物を媒介にしているようです」

「あぁ、これは子供らがやった人間の食べ物を媒介にしている」

 

「悟くんたちの様子がおかしかったのはこれですか……この子に餌をあげているつもりだったんでしょうか」


 うむ、と頷いたハラエドノオオカミは白い髪をたなびかせながら魔法陣に触れる。パチパチと瞼を瞬くと、そこから神力が溢れた。一瞬力が途切れたが、魔法陣は消えない。

簡易な術では祓えないようだ。




「先ほどの隠り世はこの龍が作ったものだ。やや頭が混乱している。血を取られ、衰弱しながらも八犬伝の宝玉を守っていたのだろう」

「そうですか……しかし、見た目はそのままミズチ、蛇のようですね。黄色の蛇……お財布にしたら高く売れそうです」



 

「シャーッ!!」

「星野が変なこと言うから怒ってるぞ」


「はいはい、確かに綺麗な黄色です。星野さんの神力に似ていますね?」

「そう言えばそうですね……あれ?もしや……私が芦屋さんの神器である勾玉を飲めば、黄色になるのでは?鈴村さんが藍色、白石さんは橙色でしたね」


「俺が橙色ってのは神力とは違うが。まぁ、仮説として神力の光の色が八大龍王の色に繋がってんのか?て事は、こいつも龍王か」

「そのようだ、玉は礼と書かれている」


 

「ふーむ?由来の意味がありそうでなさそうで……礼の玉は犬村大角礼儀いぬむらだいかくまさのりでしたね。化け猫に虐待されて育った人の筈です。

 八犬伝の登場人物は私たちに何某かの共通点として、考えられているのでしょうか」


「尻にあざがある奴だろ?養父に育てられたんだったな」

「白石さん、さすがですね。里見八犬伝を勉強されましたか」


「まぁな。八犬伝の話と龍は繋がりがわからんが、玉の意味と今回の事件は結びついている気がするぜ」

「ふむ……そのあたりは持ち帰って芦屋さんと検討会ですね。とにかく今は浄化をしてしまいましょう」



 

 八大龍王の色と、我々の神力の色が共通している、と言う事だろうか……。たしかに、鈴村さんは以前は飛鳥大神のショッキングピンクだったが神になってから藍色になっていたし。白石さんの場合はまだ事件に行き合っていないから憶測になりますけど。

 私の神力は黄色ですが、なんとなく颯人様の色に近しいですからね。自慢の色です。



 


「我が主はすぐに他の神を思い浮かべる」

「す、すみません。ハラエドノオオカミの色も好きですよ。アイスブルーというのでしょうかね……清廉な色です」

 

「ふん、たまには褒めてくれねば困る。食べ物で作られているならば、新たに別の物を捧げれば魔法陣を壊さず浄化できよう。証拠は残したい」

 

「食べ……物……」


「……おにぎり、食っちまったな」

「はいはい……全部食べましたね」

「だから子供が正気になったんだなぁ」


「……言いたくなかったですけど。僕、母上がお作りになったクッキーを持っています」




 陽向くんが苦ーい顔をしながらやってきて、袂からジップロックに入ったチョコクッキーを差し出した。


「あっ!?芦屋のクッキー!陽向、お前ずりぃぞ!」

「白石さん、知ってますよ。あなたは母上と知り合ってから散々クッキーを独占していたと。まだ食べたいんですか」

 

「くっ!?」


「え?クッキー?芦屋さんお菓子も作られるんですか?」

「浄真は知らなかったのかよ。主はなんでもうまいもんを作る」

「暉人殿が知っていると言う事は、皆さん食べてますね?ずるいのは全員のようですね!今日こそ私は、芦屋さんのお家にお邪魔します!!」


「……そ、その辺にしてください。陽向くん、クッキーいただきますね」

「はい。星野さんなら一枚くらい食べてもいいですよ」


「…………」

「星野さん?」


 


 首を傾げた陽向くん、その澄んだ瞳を見つめる。あなたは……陽向くんです。私が知らない芦屋さんのご母堂の魂が元だとして、この世に生まれたのは芦屋さんの多すぎる力を収めるためだった。

 

 生まれながらにして私の大切な方を守ってくださったんです。颯人様にそっくりで、伏見さんの性格を持っていて……芦屋さんの優しさを持った陽向くん。他の誰でも無い、みんなが大好きな子なんですよ。



「星野さん、もしかして耳が痛みますか?痛み止めもありますよ。お水を取りに行ってきましょうか」

「いえ……大丈夫です。陽向くん、クッキー一枚頂いてもいいですか?」


「はい。星野さんは僕にとっても特別な人ですからね、僕が食べさせてあげます。はい、あーん」

 

「……ぐすっ……」

「ほ、星野さん!?どうしたんですか?星野さん?」


 


 差し出されたクッキーを口に入れてもらうと、ほろ苦いチョコレートの味と濃いめのバターの香りがする。

サクサクと歯切れのいい音を聞きながら、その味を噛み締めた。

 

 今の私の気分にぴったりです。困り果てた様子で私の涙を拭う陽向くんの瞳は、ご両親と同じ……優しい夜空の黒が揺らめいていた。


 

 

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