144 新事件の始まり

白石side


「無事神降しが終わったな」

 

「そうだね。鬼一の役割は本来なら直人の役だったろうな。きっと、みんながそう思ってる」

 

「コメントしづらいこと言うな」

「ふふ……」


 

 

 現時刻は……昼時か。俺は今休憩中だ。今日は記念すべき清音の神降しが行われた。無事に終わって俺たちもほっとしたよ。

 

 あいつに張った結界を通し、月読が真神陰陽寮の様子を頭の中に映し出してくれて、俺たちも神降しの様子を見られた。

 

 鬼一と代わりたいとは思うが……八房のアレがアレしてるのは嫌だぞ。


 

 それにしたっておかしな神降しだな、皆んな腹抱えて笑ってるじゃねえか。

 芦屋と同じく清音がいるとイレギュラーが起こるのが常か。……二人が組むのは問題ばかりになりそうだが、大丈夫なのだろうか。

 



「真幸くんが僕たちに気づいたよ。ほら、見て」 

「笑い転げてたから顔が赤いな」

「本当だ、かわいいなぁ……」 

「はいはい、よかったな」


 

 芦屋が俺たちの気配に気づいて、目線をこちらによこした。

『後でちゃんと伝えるよ』と口パクしてくれる。頷きを返し、接続を切って深いため息を落とした。


「これでひと段落と言いたいところだけどねぇ」

「そうだな。大問題を発見しちまったんだよなぁ……」




 月読も俺も、現場に来て思ったが……目の前の問題も、最近の事件に関連する物だろう。こんな事今までなかったんだから。

 

 俺が今日見回っているのは富士山近郊の有名な水源地。観光地になっている場所ではなく、個人所有の小さな貯水地だ。


 通常ならばここには清水がこんこんと湧き出でて、魚たちが泳いでいただろうと想像できる。


 だが、今現在は周囲の緑は枯れ、池の水は干上がり、魚たちは残らず天に召されている。

 土地の所有者である爺さんは池のほとりでしょぼくれた顔のまま佇んで、俺たちを見つめていた。



 

「じいちゃん、こんな風に水源が枯れるってのは以前にもあったのか?」

 

「いんや、ここは今まで何百年と大切に受け継がれてきたんじゃ。真神陰陽寮に納品する、名誉な役割をいただいたというのにこれではなぁ……」


「そうか……これで真神陰陽寮に納めてくれる神水の水源地は半分が干上がった計算になるな」

「何かが起きてるね。でも、何も感じられないのが現実だなぁ」


「厄介な事件には違いねぇ。水源地に居るはずの龍神が不在ってのもおかしいだろ。祝詞を奏上しても応えねぇなんぞ、嫌な予感しかしないぜ」



 

 月読が顎を摘んで眉根を寄せる。難しい顔をして、ぽつりとつぶやいた。

 

「以前もこんな事があった。茨城で、ヤトとラキに神々が匿われていたんだよ。真幸くんが鹿島神宮で祝詞をあげても反応がなかった。反応できない状態だったんだ」

「お前はまだ合流してない時の話だよな?飛鳥にでも見せてもらったのか?」

 

「そう。攫われてもない、県内に何かの被害が起きているわけじゃないから、あの時とは違うような気もするけど。何故か急に思い出したんだ」



 月読が言っているのは、飛鳥の真実の眼で見させてもらった過去録の事だろう。

 本気できな臭くなってきたな。月読ほどの神がぽやっと思い浮かぶってのは託宣になっちまうだろ。




「清音が自宅に戻り次第、真神陰陽寮に行こう。

 八幡の藪知らず、銀座の神々の様子、浄真殿の山寺、奥多摩とかが今どうなっているか調べといた方がいいかも知れねぇぞ」

「まさか……」


 青ざめた月読と見つめあい、ただ頷く。


「芦屋がやった仕事を、確かめる必要がある。それぞれの場所自体に何かが起きていなくとも、似たような事件・厄介ごとの依頼があるかもしれん」

「…………うん」



 もし、芦屋の足跡をなぞるような事件が起きているとしたら。それは、芦屋がヒトガミだとバレたに等しい。

 神々から漏れたか、神継から漏れたか……他の何かからなのかはわからんが。


 

 

「伏見に電話する。とりあえず芦屋の身の安全が最優先だ」

「う、うん、そうだね。僕は颯人に伝える!」



 ポケットからスマホを取り出し、俺は震える手で伏見に電話をかけた。


 ━━━━━━


 


「白石も月読もおかえり、お疲れ様」


「ただいま……じゃねぇよ!なんでここに居るんだ?!清音と『神降しおめでとうパーティー』してんじゃねぇのか?!」


 現時刻 20:00 富士山近郊から帰投して、真神陰陽寮に直行したところだ。『資料室で待ってます』と伏見に言われ、慌てて来てみたら……紙束の山の中から芦屋がひょこっと顔を出した。




「真幸くん!!颯人の傍に居てって言ったじゃん!!どうして一人なの!?」

 

「そんなに慌てなくても本体はそうしてる。俺は分霊した魂のカケラだ。

 俺の仕事を辿るなら、本人がいたほうがいいだろ?」


「いや、確かにそうだが……」



 呆然とした俺をよそに月読が芦屋に駆け寄り、抱きしめる。

 よく見たら体の周りがほのかに光を帯びて、半透明に透けてるぞ。分霊なんかした事ねぇから俺にはわからんが、ああなるのか。


 

「どこも怪我してないよね?誰にも何もされてないよね?」

 

「うん、平気。本体は月読がしてるみたいに颯人が抱えてる。ここも自宅も安全な場所なんだから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

 

「そう……それならいいけど」



「自宅近辺に何かの異変は?」

 

「ない。迷いのもりも、沖の島やしろも何もアラートを出してない。

 心配してくれたのに悪いんだが、この件はじゃないかなー?なんて思ってるんだ」

 

「あっ!なるほど。確かにその線もあったか」


 

 小さく頷いた芦屋は六つの冊子を膝に乗せている。革の分厚い背表紙で作られたそれは、俺たちが現役の神継でやり遂げた仕事の記録だ。


 一応、俺たちの仕事も伝説にはなってるからな。仕事の記録は重要書物扱いなんだ。


 


「二柱が帰ってくるまでに真神陰陽寮に上がってる依頼のチェックは完了。さらに、今までみんながやってきた仕事現場も確認したけど、全部無事だったよ。

俺たちは後世まで隙を見せるような仕事をして来なかったんだからさ」


「確かに……そうだな」


「この国に害を成そうとしている奴なら、大っぴらに動き始めた俺達に気付いただろう。

 もし……国護結界を保つヒトガミの存在が神々から漏れたのなら、俺だけにターゲットは絞れる。だが、そうされていない」

 

「あぁ……だから、俺たちがやってきた仕事を匂わせるような事件が同時多発しているんだな。

 何を炙り出そうってんだ?ヒトガミの正体を探られてるんじゃねーのか?」


「うーん。最終的な目的はそうかも知れんけど、まだ憶測の域を出ない。

 俺が任務依頼をチェックした中で、気になった事件依頼は全部で八つ。ファイルにまとめておいた」



 月読は我関せずで芦屋に抱きついて顔を擦り寄せてる。颯人さんに怒られねぇと思って好き放題だな、コイツ。

 まぁ、たまにはいいか。


 芦屋が差し出したファイルを受け取り、中を開いた。




1 真神陰陽寮直轄・神水水源の枯渇、および龍神の不在(芦屋)

 

2 貴船神社奥宮、大量の丑の刻参りの跡発見(伏見)

 

3 秩父三社付近、無認可産廃業者の急増(白石)

 

4 春日山原始林、産土神うぶすながみの複数荒神落ち(鬼一)

 

5 寺院養護施設、孤児たちの異変(星野)

 

6 厳島神宮近辺・廃神社、怪異現象(アリス)

 

7 九州地方の天災増加(妃菜)

 

8 千葉、舘山地方の稲作被害(清音)


 


 何百件の依頼の中からこれをピックアップして、現場まで見て来たのかよ……恐ろしい奴だな。

 

「この短時間で、よくまとめたな」

 

「ふふん!俺は調べ物が得意なんだ。みんなの事を一番知ってるのも俺だぞ?」


「異議あり!僕の方が知ってます!!」

 

「……っ!?おい、ビビらすな!ったく、伏見家は人を脅かさねえといられんのか?」

「僕も今のはびっくりしたな……」

「俺もデス」



 真剣に話してた俺たちを脅かして、伏見が得意げな顔をして部屋に入ってくる。

 いつもの通り、お茶を持って来てくれたようだ。




「ふ、脅かす役割とお茶汲みが仕事ですからね。はい、芦屋さんどうぞ」

 

「いつからそんな役になったんだ伏見さんは。お茶って……俺分霊だし、飲めないんじゃないか?」

 

「飲めますよ、試してみてください。月読殿と、白石にもありますからどうぞ」

 

「へーへー、あんがとな」

「いただきまーす」

「いただきます……」

 

 俺が抱えたファイルの束を取り上げ、代わりに湯呑が手渡された。


 確かに喉が渇いている。山梨県では一つ残らず水源地を視察して、休む暇が無かったからな。



 

「芦屋さん、こう言う仕事は僕に任せればいいんですよ。こんなにたくさん資料を読み込んで、知恵熱が出たらどうするんですか?」

 

「子供じゃあるまいし、出るわけないだろ。こないだのは共鳴の熱だったもん」

 

「えぇ、はい。まだその熱を出した時の説教はしてませんでした。この後お時間をいただきますので、そのつもりで」


「アッ……藪蛇ぃ……」

「えぇ、ええ、うっかり突ききまくってますよ、相変わらず。

さて白石、この関連事件の由来はご存知ですか?」


 芦屋のしょっぱい顔は仕方ねぇな。アイツ、会議で自分を人柱にすれば良かったなんて言ったんだろ?せいぜい伏見に怒られろ。


 

「芦屋のは鹿島神宮の事件だろ、俺と鈴村……あと清音のは何となくわかる」

「そうですか、では一つずつご説明いたしましょう。」

 



 伏見が立ち上がり、狐を呼び寄せる。芦屋の周りに積まれた資料たちを運び出し、きれいになった室内にホワイトボードを引っ張ってきた。

 

 俺と月読、芦屋は椅子を並べて座り、伏見の達筆を眺める事にした。



 

 ――1 神水水源の枯渇について

 これは、鹿島神宮っぽく準えてるつもりでしょうね、かなり苦しいですが。


 芦屋さんのこなした任務の中では初期の頃になされたモノですが、なぜここがピックアップされているのかは後で説明します。

 現在の神水水源地がなくなっても他の予備地がありますが、放っておくわけには行きませんね。


 2 丑の刻参りの実践増加

 これは僕に由来するものです。おそらく、芦屋さんがまとめた八つの事件については……僕たちの原初ごろの仕事をなぞっていると思われます。

 

 僕が初任務で行ったのは、知人の丑の刻参りを止める事でした。有名な霊能力者でしたが、まぁ色々と難がありまして。僕の、元家庭教師が犯人の一味でしたがおそらく今回も関わっているでしょう――



  

「はっ……!もしや伏見さんが魔法使いになり損ねた原因の?!」

「芦屋さん、お説教の時間を増やしたくなければ口を閉じましょうね?」

 

「ハイ」


  

 な、なんだそりゃ?まさか、伏見の初恋話か???なんだよ……俺と仲間じゃ無かったのか。チッ。



 

 ――3 産廃業者については白石が最初に勤めた仕事ですね。この辺りは現場に行ってみないとわかりません。


 4 産土神の複数荒神落ち

 これは、鬼一の初任務で親友の裏公務員を亡くした件を準えています。

 

 彼が初任務で向かった先にいたのは、複数集合体になった産土神の荒神でした。

 鬼一を助けた親友の裏公務員は亡くなり、本人は瀕死の傷を負いました。詳しい話は後で聞きましょう。


 

 5 寺の孤児達が起こした異変

 星野は親のDVによって幼少期に実家を出て、寺の養護院で育っています。そのお寺さんの『孤児たちの様子がおかしい』と星野から報告を受けました。

 

 これも、星野の原初を準えていますね。


 

 6 厳島神宮近辺・廃神社、怪異現象


 アリスは最初に降りた神を喰い、その後廃寺・廃神社の祓いを担当してました。これは僕の担当から外れた後の事です。

 調べはついていますが、ややセンシティブになると思われます。

 無闇にアリスを突かないように。



7 九州の天災増加

 鈴村が初めて遭った事件は、ご実家近辺の相次ぐ天災でした。今現在は土地神が復活、鈴村の子孫が社を守って以前よりも強くその地を鎮めています。

 

 元々九州は天災が多い地域ですが他の地域と比べても数が明らかにおかしい。

この地方で国護結界がどうなっているか、確かめた方が良さそうですね。



 

8 舘山地方の稲作被害

 

 最後に清音さんのご実家近辺である、千葉県館山地方は『南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん』の舞台です。


 千葉は農作物を多く作る県ですが、舘山の稲作に関してだけ妙な事件が相次ぎ、米農家さんからの陳情が上がってきました。


 なんでも、夜な夜な現れる妖怪が田んぼを荒らしていると言うことです――


 


 伏見の説明が終わり、書かれた情報だけ見てみても、どれもが緊急性のある事件だ。

 参ったな……手分けしたらそれこそ危険だ。現役神継には任せられねぇし。

 

 芦屋から近衛を散らばせる目的か、そもそもヒトガミである芦屋を特定できてないのかわからんが、別行動がまずいことは確実だ。


 そして、おかしなことが一つ。


 


「なぁ、芦屋の初任務は鬼一をボコボコにしたやつだろ?」

「ぼ、ボコボコになんかしてないぞ!ただちょっと、颯人がポイってして、俺が刀をドスっとしただけだ」

 

「こわ……」

 

「初めての任務はそうでしたね。芦屋さんを準える事件以外は、我々の始まりを示している。しかし、芦屋さんだけは奇妙な事に中途半端な時期の事件を準えてます。また、本来の事件概要とは微妙に外れていますよね」



「んー、要石が割れた=水源の枯渇、龍神の不在=主祭神の不在に準えてるんだろ?でも、確かに変だな?なんで俺だけテーマ性が変わってるんだ?」

 

「おい伏見、分かってんならさっさと言えよ。俺は帰る前に清音の結界張る仕事が残ってるんだぞ」


 

「いいでしょう、仕方ありません。白石が大っ好きな清音さんに会える、唯一の時間ですからね!」

 

「……だ、だ、大好き、とか言うな!」

 

「乙女じゃあるまいし……」


 伏見にイラッとされてるが、知らねーぞ。確かに清音の顔が見られる唯一の時間なんだからな。さっさと行きてぇのは否定できん。

 


 

「ふん。……おそらくですが、これは情報源がどこかを示しています。

 芦屋さんの情報は、僕がかなり前から秘匿していました。それ故に、この八つの事件を企てた者達には得られない情報ばかりでしょう。

 ……そう、一度組織が壊滅しましたからねぇ?あそこは」


「ええぇ……嘘だろ?アイツら復活してたのか?てか、俺の情報隠してたって何で?」

 

「芦屋さんはとんでもない速さで成長してましたので、早々に記録を隠したんです。いつか、こんなことが起きるだろうとは思っていましたから」

 

「いや、すごいな伏見さんは。流石すぎる。……でも、そうなると……」



 伏見は胸元から小さな黒い冊子を取り出す。その冊子の題目は……。


 


「これは、裏公務員、元中務・子孫名簿です」

 

「うわ……マジかよ」

「確かに当時の中務は全員亡くなったもんね。子孫が恨みを持っていても当然と言えば当然だ」


「いや、しかし……それこそ残党が結託できるほどの力があるのか?

 ボスの道満は黄泉の国に行っちまったし、中務の子孫って……神継にはなれなかった奴らばっかだろ」


  

「ええ、そうですね。実験名目で子孫を研修学校に入れはしたものの、国家転覆を計った罪人の子孫に神降ろしは叶いませんでした。

 そして……蘆屋道満がした一つの事だけ、彼らが秘密裏に引き継いだものがあります」


 

 

「……大陸国への繋ぎか」


「えぇ、芦屋さんの仰る通りです。こればかりは仕方ありません。道満はうっかり資料を残してしまったのでしょう。

 僕も知らない繋がりが罪人の子孫に残されていた。それを利用し、道満よりもさらに本気で『国家転覆』をやろうとしています」


 

「中務がまた敵になるって事かー」

「俺はその辺ではまた登場してねぇからな……微妙にわからんが、中務とやらはドンパチをやり直ししてぇんだな?」


「そう言う事でしょうね。この子孫名簿に残った人物が一名、先日捉えた術師の中にいました。間違いありません」


 

「「クソッタレ」」

 

「僕にはわからないよ。生まれた国が平和になって、一体何が不満なんだろう。ただ幸せに暮らせばいいだけなのにさ。はぁ……兄上が聞いたら、悲しむだろうな」



 月読のぼやきは、国を見守ってきた神の意見としては正しい。

神々が生まれて、国が生まれてからずっと大切にしてきた安穏を、私怨でどうこうしようってのは間違ってる。




「さて、今日はここまでにしましょう。明日までに資料をまとめておきますから。朝イチで会議を開きます、白石は遠隔参加ですよ」

 

「わかった」


「じ、じゃあ俺はお家に帰ろうかなー」

 

「芦屋さんには僕のお手伝いをお願いしましょう。分霊してるんですから、徹夜でも大丈夫ですよね?

 お茶は飲めましたし、夜食も用意してありますから!二人で楽しいワンナイトと参りましょうか」


「ヴァー……言い方がヤダァ……」

 

「説教からは逃げられんな、頑張れよ」

 

「僕も助けてあげたいけど、こればっかりはね……伏見にちゃんと怒られて反省してね、真幸くん」


「ハイ」

 



 黒い笑顔の伏見に芦屋を託し、俺は仲間達がいる海辺の家を思い浮かべる。

……やっと、会えるな。


「白石、清音さんの結界を強固に頼みます!絶対に誰にも触れないようにしてください!!」

 

「応!」


 俺は高鳴る胸を抑え、伏見に応えて目を瞑った。



 ━━━━━━


「おわっ!?びっくりした……颯人さん、待っててくれたのか」

 

「ああ、清音は今しがた深い眠りについた。神降しで疲弊していたからな。

 念の為真幸も眠らせて、共鳴させている。この通りだ」



 海辺の家に到着すると、玄関前に颯人さんが佇んでいる。腕の中に芦屋を抱えて満足げな顔してんな。




「芦屋も眠らせたんですか?」

「あぁ、伏見の説教に集中させねばならぬだろう?」

 

「まぁ……そっすね」

「しょうがないよねぇ。ただい……お邪魔しまーす」


 月読が勝手知ったる様子で玄関の引き戸を開け、幾重にも重なった結界を潜り抜けて中に入っていく。

 

 そうだな、お前は一時期ここで暮らしてたもんな。ただいまって言ってもいいのに言わねぇのは……なんか切ないぜ。

 

 月読に続いて芦屋を抱えた颯人さんが中に入る。それを追って、俺も中にお邪魔した。


 


 玄関にそろった草履やブーツ、地下足袋が目に入る。俺以外の仲間はみんなここで暮らしているんだ。

 

 ……いいな、俺もここで暮らしてぇ。


  

「そのうちに引っ越す事になるだろう?寂しそうな顔をせずとも良い」 

「……はい」

 

「其方の弟が来るなら、増築せねばならぬな」 

「いや、あいつは来ねえっすよ。彼女がいるんで……そろそろ同棲の話が出そうだ」

 

「なんと。そうなのですか?兄上」

 

「あー、まー、そうだね。立派な神様の彼女いるもんね」

「あの家を出るのはアイツが先か、俺が先かはわからんけどな」


「「…………」」




 できるだけ小さい声で呟きながら、玄関で草履を脱ぐ。……ニヤニヤした二柱が俺を見下ろしているのがわかる。やめろ、冷やかすな。慣れてねーんだから。


 

「はーあ、いいなー。うらやましーなー。しばらく片思いのままだなー、僕は」

 

「兄上はまだ真幸の事を想っているのですか」

「ええ、そうですとも。二人の邪魔はしないんだからいいだろ?……かわいいね、寝顔も天使そのものだ」

 

「まぁ……そうですね。伏見の説教でうなされてはいますが」

「ふふ、初めて見る顔だ。飛鳥殿じゃないけど語尾にハートがつきそう」

 

「むむ……」


  

 妙ちくりんな兄弟の会話を聞きながら階段を登る。短い階段を登り切ると、長い廊下が奥まで続いていた。

 それぞれの部屋は空間操作の術を使っていて、とんでもなく広いんだが……。外から見たら壁に備え付けた、ドアだけが並んでいる奇妙な空間だ。


 そのドアから仲間達が顔を覗かせて、ニヤついてやがる。


 

 

「お疲れさんー」

「うふふ♡逢瀬のひとときね♡」


「あー、バカップル候補生だー」


「お疲れ。結界しっかりな」

「お疲れ様です。……ヤモメの会は追放ですね」


 

「俺はそんな会に入ってねーっつの。みんな、清音のためにお祝いしてくれたんだろ?ありがとうな」

 

「「「「…………」」」」


「真幸が起きていたらこう言っていただろう、『もう彼氏ヅラか』と」

「ぷっ、間違いないね……ぷふふ」

 

「月読は笑いすぎ。颯人さんまでやめてくれ。……ここが清音の部屋か」



 

 一番奥の、伏見の向かいの部屋……Kと書かれたドアプレートがかかっている。引っ越しも無事終わったようだ。

 これで、もやし生活も終わりだな。


 

「さて、白石は静かにやるのだぞ。首飾りでなく肌に触れれば、より強い護りの結界になる。

 お主の神力を分けてやるのだ。我が真幸にしたように、清音の助けになるだろう」


「え?は、肌????」

 

「帰りは窓からどうぞやで」

「ごゆっくり♡」

「鍵が自動で閉まりますからねー」


「俺は部屋で仕事してるからな。変なことすんなよ」

「私も、そうします。良い夜を」


「えっ……」


 


 颯人さんも、みんなもさっさといなくなってしまう。取り残された俺は月読の顔を思わず伺った。くそ……コイツ、最大にニヤけてんじゃねーか。


「みんな気が利くねぇ?」

「な、なんでだよ!?何に気を利かせたんだ!」

 

「逢瀬に決まってるだろ。僕も引っ込むから、朝焼けまでにはお家に帰るんだよ?」

「お、おい!月読!!」



 最後の頼みの綱が消えてしまった。

 

 独り、取り残された俺は仕方なくドアをそっと開ける。


「……浜茄子の香りだ」



 


 清音の部屋の床に広がる毛足の長い白いカーペット、白い壁紙に白い机と椅子、クローゼットに本棚。……ベッドまで白いし、天蓋までついてんじゃねーか。真っ白けだな。


 清音の寝息が聞こえる。美味い飯食って、腹一杯だろうに……何故悲しい気持ちでいるんだ?

涼やかな浜茄子が香って、部屋の中に充満している。




 真っ白の布団の中に丸まって眠る清音が見えた。改めて神として降りた八房やつふさは、わんこ姿のまま布団の中で抱かれている。


「あっ!オマエ、白石だな!」

「しっ!静かにしろ、清音が起きちまうだろ?」

「…………わふ、ごめん」



 八房は黒毛の中からこれまた真っ黒な瞳を輝かせている。お前は、俺のことを覚えてるようだ。守護神やってた頃に見てたのか?


 

 

「初めましてだな、八房。清音を守る者同士仲良くしてくれよ」

 

「応!オマエ、あるじ様の求める男だ。……なぜ顔を見せてやらないんだ?ずっと、ずっとオマエを探していたのに」

 

「…………そうか」


「寂しい気持ちがいっぱいする。主は命のために記憶を封じているから、オレは伝えられない。でも、主が悲しいからオレも悲しい」

 

「……」



 

 耳を垂れて切なくつぶやく八房を撫でる。ふさふさの中毛が指に心地いい。

確かにこれはボーダーコリーだな。賢そうな顔してるぜ。

 

 ……俺も、寂しいよ。清音の笑顔を直に見たい。手を握って、傍に居たい。


 

「今は八房に清音を頼むしかないんだ。俺は清音のピンチには必ず駆けつけるからな。

 主人を守ってやってくれ、頼むぞ」

 

「……わかった」



 

 目を瞑って八房は清音の腕枕で目を瞑る。……お前、随分良い寝場所だな。


 清音は神降しをしたばかりでも霊力が安定しているようだ。顔色もいいし、共鳴のせいとはいえよく眠ってる。

 

 ベッドサイドの椅子にかけて、柔らかい頬に触れると、俺の目頭が熱くなる。

たった一日離れていただけでこれか。彼氏ヅラって言われても仕方ねぇな。

 


 首元に下がったネックレスは、清音がしっかり握りしめている。それだけで心の中が満たされた。

 

 俺のことを忘れていても、どこかで覚えていて……想ってくれている。

小さな手を握り、指先にそっと口付けた。




「清音……俺が必ず、守ってやる。もう少し我慢してくれ。頼むから、無茶すんなよ?」

「…………」


 穏やかな寝息を立てながら眠る姿を見つめて、俺は深く深く吐息を落とした。

  


 

 

 

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