名もなき山寺
10⭐︎追加新話 名もなき山寺1
「はぁ、はぁ……と、到着……」
「山奥とは言われたが、このように深いとは思わなんだ」
「本当にその通りだな。ちょっと……ちょっとだけ休憩させてくれ」
「うむ。汗がひいてから参ろう」
「はぁ……そうしよう……」
現時刻 多分、真夜中近く。
俺は今、山奥の寺を目指してほとんど登山に近い距離と高低差を超えてきたところ。
すぐそばにお寺の入り口である山門が見えている。
山門の茅葺屋根の上には苔が生えて、そこから山頂に向かって長く続く階段は緑が完全に覆っていた。
足下にある参道の石畳は山の麓からここまでずっと敷かれていて、同じように苔むしている。
あまり参拝する人がいない印だな。
でも、登って来た山道には転々と街灯があって、山の木々は丁寧に剪定されて枝葉が進路を邪魔することもなかった。
ここにいるのは一人の房主だけ、と伏見さんに聞いていたし……人気がないのに妙に手入れの行き届いた不思議な山だ。
今日は珍しい事に神社ではなく、お寺さんにお邪魔することになっている。
任務じゃなく『修行と治療』が目的なんだ。
最近は荒事が続いて怪我が増え、俺は全身包帯だらけになり……ついに伏見さんの堪忍袋の緒が切れた。
さらに、初任務時に颯人の血を飲んだことで『神様中毒』になっていると診断されたんだ。
力ある神様や妖怪の血肉は甘美で癖になる味らしく、この前カマイタチが『オイラを食うのか』って怯えてた意味がようやくわかった。
颯人の血を口の中にズボッとされた、八幡の藪知らずの任務が原因だけど、あれから三ヶ月くらい経ってるのに。
今更本気出してくるとか颯人の血ってどうなってんだ?
とにかく、超常達の血肉を一度口にしてしまうと甘いものを摂取したくなったり、精神が不安定になったり、酷いと神様を食べたくなってしまうらしい。
俺の場合は甘いものばかりを欲してしまう中毒症状だ。
何も考えないように仕事に集中していれば食べなくて済むから、パツパツに予定を入れていた。
忙しくしていたら余計に怪我が多くなってしまい、完全に失策だったと気づいても後の祭り。それも伏見さんには見抜かれていた。
気づかないように記録に残してない仕事も何故か把握してて、時間外労働中にとっ捕まったんだ。
伏見さんは本当に優秀だよなぁ……。仕事をすればするほど思い知る。
俺はまだまだ半人前だ。夢中になってしまうと自分の事を放り投げてしまうのは良くない、とは思うけど。
でも、任務をこなすたびに自分が成長するのがわかるからさ……ついつい無理をしてしまった。
「……痩せたな」
「そうか?自分ではあまり自覚がないんだよな……。最近しょっぱいものが食べにくいのは中毒のせいだったんだな。
神様中毒なんて、あまり知られてないみたいだね」
「すまぬ。過去に飲ませた者がおらぬ故、中毒と言うものを知らずにいた。
甘いものばかりを欲しがるのは、疲れのせいかと思っていたのだ」
「俺も言われなきゃわからななかったよ。颯人のせいじゃないでしょ。気にしないの」
「……すまぬ」
岩に腰を下ろした俺に颯人がくっついてくる。
眉を下げて、しょんぼり顔だ。最近こんな顔ばっかりさせている気がするな。
怪我も多いし、甘いものばっかり食べてたし、心配させているんだとは思う。
伏見さんも同じ顔をしていた。
『日々包帯で白くなっていく芦屋さんを見てるのは我慢なりませんので、回復の術が使える者を手配します。
準備できるまで結界の強化、術の回避を学んできて下さい。中毒もいっその事そこで治しましょう』
と言われて、仕事上がりに車に乗せられ、山の麓にポイっと捨てられてしまった。
ちなみに到着まで目隠しをされていたので、どこの県にいるのか全然わからない。
転移術は封じられてしまってお家にも帰れないし、スマホも取り上げられているからゴーグルアースも使えない。
……くそぅ、大人しくするしかないぞ。
俺自身は大した怪我じゃないと思ってたんだが、周りの反応を見ると認識の差があるらしい事はわかった。
『残業ばっかしてんじゃねー』と言ってた人達にまで心配されたのは、びっくりしたな。悪い人ではなさそうで良かったけど。
ちょっと切れただけで包帯を巻かれるせいもあると思うんだが。お医者さんも大袈裟なんだよなぁ……。
途中から伏見さんが病院を指定して来て、そこにしか行けなくなったし……二日に一回そこに連れて行かれてしまうから怪我を隠しようがない。
大切にしてもらってるのはありがたいが、戦闘員だから怪我はつきものだと思うんだけど。
……過保護すぎんか?
「やや!そこにいらっしゃるのは芦屋さんと颯人様でしょうか?」
「あっ!はい!そうです!」
「夜の点検に麓まで降りたのですが、すれ違いましたな。お待たせしてしまってすみません」
頭をつるっと丸めた袈裟服姿のお坊さんが暗闇からやって来る。
足元には地下足袋を履いて、長い杖をついているから『カツンカツン』と小気味いい音がしている。
……良いな、地下足袋。本物は初めて見たけど、苔の上でも滑らなくて済みそうだ。
「こちらこそ、突然お邪魔してすみません。雑用は何でもしますので、よろしくお願いします」
「はいはい、お怪我の具合を見てからそうしましょう。お夕飯は食べられましたか?」
「……あっ。忘れてました。そういえば昼も食べてないや」
「仕事終わりに攫われたような物だ、仕方あるまい」
「ほっほっ、伏見も相変わらずの様で。しからば本日の収穫でいただきましょうか。山菜をたくさん採ってきましたから」
「おぉ!!山菜ですか!!」
「えぇ、まずは美味い飯、温かい風呂、そして良質な睡眠が必要です。参りましょう」
お坊さんに手を差し伸べられ、その手を握って根っこが生えそうなお尻を持ち上げる。
うぉぉ……すごいぞ、この人はムキムキ筋肉の持ち主だ。袈裟に隠されている肉体はそこらじゅうがガッチリと盛り上がって、全体的にデカい。
体の動きも無駄がなく、軸がしっかりしてるからただモノじゃなさそうだ。
ふと、彼の瞳がやけに白濁している事に気付いた。黒目の部分が灰色に見えるほど白くなっている。
「あの、もしかして、目が?」
「えぇ、私は盲目ですよ。生まれた時からこの様な姿でした」
「そうなんですか……」
「普段の生活では何も問題ありませんからご心配なく。
物理的に見えないと心理的なものはよく見えますから、この仕事には逆に助けになろうと言う物です」
「……はい」
俺の手を手を握ったまま、彼は山門をくぐり、階段をスイスイ登っていく。
真っ直ぐではなく、斜めに上がっていく独特な登り方だ。それを真似して歩くと、息が切れない。
坂道もそんなに苦がないし……凄いな、彼は山登りを熟知してる。
「あぁ、そこに蕨が生えてますね。明日のおひたしにしましょう。栄養満点でとても美味しいですよ」
「えっ、見えてるんですか?」
「いいえ、私が見ているのはわずかな光の差分だけです。鼻がいいので食べられる物を匂いで嗅ぎ分けるのが得意でして」
「匂い!?蕨って匂いがあるんですか?」
「嗅いでみればわかりますよ。あまりお勧めはしませんがね」
「……えっ?でも気になる。どれが蕨なんですか?」
「生えてるのは見たことがありませんか?これです」
ポキッ、といい音がして摘んだばかりの一本の蕨を渡された。
折った部分から水が滴るほどに瑞々しく、軸はしっかりした感触を伝えてくる。
蕨って、こんなに可食部が長いのか。腕の長さくらいあるヒョロリと伸びた茎、先端がくるんと丸まったそれを受け取って鼻に近づける。
見た目や感触はアスパラみたいだけど、匂いは流石に初めて嗅ぐぞ。
「……うっ!?」
「ふふふ……臭いでしょう。山菜はいい香りのするものは、実のところそう多くありません。蕨は根茎なので食用部分のこれは葉っぱなんですよ。
わらびの新芽をサワラビ、ワラビナとも言います。群生の半分ほど摘んでいきましょうかね」
「はい。これってあくぬきするんですよね?」
「えぇ、蕨のあくぬきは簡単ですよ。芦屋さんはお料理されますか?」
「料理はできますけど、流石に山菜は触ったことがありませんねぇ」
「では教えて差し上げましょう。颯人様は大変お好みの様ですから」
「颯人、生はダメだぞ。お腹壊すぞ」
颯人がポキポキ収穫される蕨を見て、目を輝かせている。
そんなに好きなのかな。ものすごい笑顔だ。
「生で食べても美味でないと知っている。落ち延びた時に口にしたが、えぐみが凄まじいのだ。他のものを食べてもしばらく抜けず苦労した」
「落ち延びたことがあるってどう言う事だよ。戦争でもしたのか?」
「ふ……まぁ、そう言う事にしておこう。これは人の手が美味にするのだ。大変良い物だぞ。歯応えが素晴らしい」
「ふーん、そんなに好きなのか。俺もこんなに新鮮なのは初めてだし、楽しみだね」
「あぁ。そうだな、実に楽しみだ」
「新鮮な蕨は格別ですよ。ご期待に添えると思います」
三人の男がウキウキしながら夜の山の中で山菜を摘んでいる……ものすごい絵面になっていそうだ。
その後も山菜を見つけては寄り道をしつつ、山頂に向かって石階段を登っていく。
ようやく辿り着いた山頂、ひらけた庭の奥に大きなお堂がでん、と建っている。
四角い箱建物の上に乗っかった屋根は黒い瓦が敷いてあり、上部が急勾配、下部を緩い勾配にして反り返った形の伝統的な
雨が流れやすく、壁に雨水が当たらない様にこんな形なんだけど。くるんとした裾がかわいいな。
下のお堂はその屋根に守られて腐っておらず、長年の風雨で真っ黒に変色している。かなり古い造りみたいだ。
典型的なお寺さんって感じだな。明るくなってからちゃんと見てみたい。
房主さんに連れられてお堂の脇を通ると、その先には通常の一般家屋が繋がっていた。生活空間はこっちなのかな?
玉砂利が敷かれた中に点々と石が敷かれ、その上に足を乗せて歩く彼はとてもじゃないけど目が見えないとは思えない。
たどり着いた木造のお家は何度か建て直しているようで、真新しい木が壁を作っている。こじんまりして馴染みやすい感じ……早速ドアを開けてもらい、そこから室内に入る。
お家に入ってすぐ大きなステンレス製の流し台があって、飲食店でよく見る鋳物のガスコンロが置かれていた。
五徳がそのまま形になったような鋳物のガスコンロか……。
しかも土間作りだ。踏み固められたカチカチの土が床面で、壁にはフライパンやお鍋、お玉がかけられている。
まな板が乗った大きな作業台もあるぞ。……でも、冷蔵庫が置いてない。
こちらもお堂と同じく古い作りなのか、レトロなタイルが敷かれた壁がなんだかオシャレだ。
ものすごく不思議な空間だな。お店を営んでいるみたいだ……使い込まれているから、料理もきっとお上手なんだろうと察せられる。
「山菜はそこのシンクにどさっと入れておいてください。洗って、あく抜きをしますので」
「あ、俺も手伝います!」
「では……その格好では動きづらいでしょう。作務衣をお貸ししますから、先に着替えませんか?」
「確かにスーツはちょっと厳しいな……お願いできますか?」
「はいはい、宿坊に用意してありますから、中にどうぞ。ここからは靴を脱いでくださいね」
颯人と二人でシンクに山菜達を置いて、土間から板廊下に上がる。
地下足袋を脱いで、裸足でペタペタと歩く房主さんは俺に歩幅を合わせてゆっくり歩いてくれる。
廊下を進むと天井の高い広間にたどり着いた。畳の上に上がって、大きな仏壇の前を横切る。
……あれっ、ここ本堂の中じゃないのか!?
まだお参りしてないから、若干気まずい。そそくさと本堂を通り過ぎ、宿坊に到着した。
12畳くらいの畳敷きのお部屋は、窓ガラスと障子で外から仕切られていて、月明かりが差し込んでいる。
ほのあかりの中で、床の間にかけられた梵字の掛け軸、そこかしこにおいてある小さな仏像達が見えた。
いかにもな雰囲気を醸し出しているな、お寺っぽい。
「すいませんね、こっちは電気を引いてないんですよ。蝋燭の灯りになります。ここに置いておきますが、数を増やしましょうか?」
「大丈夫だと思います。月も出てますし、よく見えますよ」
「我は夜目が効く。心配せずとも良い」
「では着替えたらさっきのキッチンへ来てください。お二方ともお腹の空き具合はいかがでしょう?」
「正直ぺこぺこです」
「我も腹が減った」
「はいはい、それならたくさんご飯を炊いておきましょうね」
「すみません、よろしくお願いします」
颯人と二人で頭を下げて、受け取った藍色の作務衣を広げる。
麻生地で出来ていて、手触りがサラサラしていかにも涼しそうだ。中に半袖を着込むんだな。
「颯人、下着の替えが一枚しかないんだが大丈夫かな。着替えも何も持って来てないんだよ」
「術での浄化すればよい。その程度なら造作もないだろう」
「そっか、じゃあ後で頼むよ。まずは着替えて晩御飯のお手伝いしようか」
「あぁ」
スーツを脱ぎつつ、なんだか変な事になってしまったな?と小首をかしげる。
旅行に来たみたいになってしまってるけどさ……大丈夫なのかな?うーん。
ジャケットをハンガーにかけ、いつもの癖でポケットに手を突っ込んだが手に触れたのは颯人がくれた神器だけだ。
……スマホがないから時間が全然わからん。とりあえずぺこぺこのお腹をどうにかしよう。
「颯人、できたか?」
「む、この紐をどこに結べば良いのかわからぬ」
「あー、はいはい。やってあげるからこっち来て」
「房主の口癖が移っているぞ」
「あはは。『はいはい』ってやつだろ?なんか、ほんわかするよな。あの人、好きだな」
「むぅ……」
作務衣の合わせを紐で繋ぎ、裾を整えて二人でお揃いの格好になった。
麻が空気を通してくれて、じめっとした感じの空気でも爽やかな着心地だ。
「すごい涼しい!作務衣っていいな。これは楽チンだ!毎日着たい!!」
「……」
「あの房主さんのもとで働いたら楽しそうだなぁ。……颯人?なんで眉間に皺よってんの?早く行こうぜー」
「…………応」
颯人の不満顔をスルーしつつ、鼻歌を歌いながらキッチンに戻る。
来た道しかわからんから、本堂の前を通るんだよな。軽くご挨拶しておこう。
サラサラした畳の感触と、イグサの爽やかな香りを楽しみながら仏壇の前に佇み、合掌して頭を下げる。
――いきなりお邪魔してすみません。今日からお世話になります。また明日、きちんとご挨拶させてください。
「よし……!立派な仏壇だね。お寺さんだと内陣、って言うのが正式名称だったかな」
「そうだ。信仰対象の仏像を祀る場所が内陣、参拝の場を
扉が閉じられているのだから朝に正式な挨拶をした方が良いだろう」
「わかった。颯人、お料理一緒に手伝うんだぞ?」
「わかっている。山菜にありつけるのなら仕方あるまい」
颯人がスタスタと歩き始めて、慌てて後を追う。本当に山菜が好きなんだな。
せっかくだから、蕨だけでも処理の仕方をきちんと教わっておこう。
地方に行ったらたまには買えるだろうし、常備菜にすれば喜ぶかもしれない。
よし、気合い入れてお手伝いするぞっ!
俺は一人頷いて、颯人と共にキッチンに向かった。
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