143 久しぶりの神降し

颯人side


「真神陰陽寮に神降しの場を移設したとか、聞いてないんですが」

 

「何か問題があるのか?我と其方の思い出の地なのだ。鈴村と飛鳥の思い出でもある。ある意味、在清アリスもだろう。保存されていてもおかしくはあるまいに」

 

「それは、そうだけど…。あの辺の復興が終わった時に無くなったから、ちょっと寂しい気もしてたけどさ。わざわざ移設する必要あったのかな」

 

「ある。我が直接清めた珍しい土地であるとともに、真幸が初めて神降しをした場所なのだ。丸ごと残すとは思わなんだが、こうして見ていると心が休まる。

 時折訪れ、共に過ごそう。今後はそのようなひと時を増やさねばならぬ。綾子にも言われただろう?」

 

「……う、うん。まぁ、そうだね……」

 

「ふ…何を思い出した?」

「うっさいな!颯人はお口にチャックして!!くそぉ……」

 

 

 苦い顔で呟く真幸は、久々に陰陽師然とした浄衣を身につけている。神職の方が正しいやも知れぬが。

事務所の仲間たちも晴れやかな笑顔で、杉風事務所のお仕着せである白黒の着物を身に纏っていた。我もまた、同じ衣を着ている。

 真幸の浄衣姿は意味もなく落ち着くのだ。伏見や鬼一は特にこの姿を好んでいる。勇ましい戦姿はこの装束が代名詞だからな……我は何を着ていても好ましいが。


 


 我々がやって来たのは、真神陰陽寮にある大きな御社殿ごしゃでんの一つ。四方に忌み竹を刺し、露出された大地が縄と紙垂しでによって区切られた神降しの場。これは、我が初めてこの世に降りた場所だった。

 

 元は千住大橋のすぐ近く、現在の隅田川の中洲だ。松尾芭蕉の旅が始まった矢立の始めの地である土地は、当時天変地異での崩壊があった。しかし、すでに完全復興が叶っている。

 

 そのため、神降しの場が無くなってしまう所を伏見の父君が土地ごとここへ移設したのだ。

 

 真幸はそれを知らず、今になって驚いている。真神陰陽寮に隣接した学校での卒業は、ここで神降ろしがなされるのだが……秘された存在の真幸が手伝う事はなかったからな。


 


 何千、何百と神が降りるたびに勾玉を守るヒトガミの元へ暇乞いをし、神々がここに降りたのだと思うと少々おかしな心持ちになる。

 

 皆真幸に勾玉を預けているのだからそうなるのが通例だが、人として神継が死ねばまた真幸の元に戻ってくるのだ。暇乞いが正しいが、基本の居場所が真幸だというのに微妙な心地になる。

 勾玉を預けた神々にとっては真幸が高天原なのだろうか……。

 

 この土地で神降しが成されているというのは、神継も、神々も……我の花と縁を結ぶことに同じなのやも知れぬな。



 

「真幸ー、四神結界展開完了やでー」

「ありがとう、妃菜。清音さんの禊は?」

 

「あぁ、あれな。うん、うん……」

「妃菜ちゃん、濁してもダメですよ。白石さんの結界が強すぎるのと、清音さんの守護神が強すぎて水の潔めができてませーん」


「……えぇ…どういう状況なの?」

「神水汲むやろ?頭からかけようとするやろ?ほしたらこう、傘があるみたいにビャーっと水が避けんねん」

 

「あれちょっと面白いですよね」

「んふ、確かにそやな」


「それならば真幸がきよめてやるしかなかろう」

「え、ちょっと『ビャーっと』なってるの見に行こうと思ったのに」

 

「あとにせよ。我は神降しをさっさと済ませて、そなたと想い出の場で語り合いたいのだ」


「そ、そう?颯人さんが仰るようでしたら、ハイ……」

 

 

(もうつきますよ)

(伏見さん聞いてたの?)

(はい、もちろんですとも)

(どこからですかとか突っ込まないぞ)

(フフフ……)


 タイミングよく伏見の念通話が届く。

 真子が神楽鈴かぐらすずを振りながら、清音を伴ってやって来た。

簡易的な祓いをしながら来たようだが、真子の霊力も清音に悉く弾かれている。



 

「くっ、もう、どうもならん。鈴の祓がポーズでしかない!!」

「真子さん、すみません」

「ええんやで!清音ちゃんのせいやないねん!!」

「ええと、ハイ……」


 巫女服姿でやって来て、清音と揃いの装束で真子が中央に導く。

……ふむ、懐かしいな、真幸の巫女服姿を思い出す。最近は着る事も無くなったが、あれは他と違って特別愛いのだ。



 

「本当に水で潔められてない!こんな事あるのか?!」

「我も初めて見た。清音は水が苦手か」

 

「ギクっ、はい、そうです……」 

「あぁ、そういう事なのだな」



 水が本人の害になると判断されたということだろう。風呂は入れるようだし、先日は沖縄で海に足を入れていた。


 冷えた真水に適用されると言うのは、過去に何かあったのだろうと察せられる。……溺れでもしたか?


 


「音の祓いで行こうかな。火はちょっと跳ね返って来そうだしね」

「自身で浄化が出来れば良いのだが、あの祝詞の具合では無理だろう」

 

「うっ、すみません……私が未熟なばっかりにぃ……」




 清音は、沖縄から帰投したのち我が家で預かっている。到着時に全員が家を空けていたため、潔めを行おうと祝詞を共に読み上げようとしたのだが。


「清音さん、カミカミだったもんね」

「あの噛み具合は流石に驚きを隠せなんだ。真幸の数百倍は酷かった」

 

「こら、颯人!そう言う言い方しないの!慣れない言葉だし仕方ないでしょ」 



 清音はため息を落とし、目を泳がせる。天性のおっちょこちょいと言うものだろうか。真幸の血が濃く現れているとは言え、本家よりも更に上とは……。




「いつまでもこうしていても仕方ありませんので、神力でねじ伏せてやってください。例の結界はまだしも、清音さんのためにやる禊を弾くなど……犬神殿は調教が必要かと思われます」

 

「伏見さん言い方乱暴だな……しゃーないか。んじゃ、始めよう!」



 真幸の柏手を合図に、全員が座する。真幸が直に神降しをするのは白石以降無かったことだ。背筋を正し、凛とした神気を纏って真幸が清音に触れた。



 

 ――ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆいつわぬ そをたはくめか

 

うおえにさりへて のますあせへほれけん──



  

 我らの全ての始まりであったひふみ祝詞は、真幸の独自解釈により歌の音調を響かせる。祝詞自体の言霊の響きや意味を鑑みて音を決め、謳いやすく改変されたものだ。


 低い一音から始まり、徐々にその音階を上げて天地の波動を吸い上げ、空気を震わせる。

 寂しげな音調だが、ほの温かい。三百余年の熟練で成された祝詞はもはや対象の潔めだけにはとどまらず、あたり一辺の空気を清浄化していく。

 

 ……沖縄での広域浄化はこれで良かったような気もするが、美しい歌声を聴けたのは福音だった故、黙っておこう。



 祝詞を聞く清音の瞳は輝きを増し、じっと真幸の言霊を聴いている。清音は多数の祝詞にも当てられなかった。


 誰のものを聞いてもそうと言うことは、仲間内の血が作用しているのだろう。もしくは、うちに秘めた神力か。



 

 

 ――「兵に|いどんで闘う者は皆陣をつらねて前に在り」

「臨めるつわもの、闘う者、皆陣やぶれて前に在り」──


 ひふみ祝詞が終わる間際に、清音から黒煙が立ち上る。南総里見八犬伝と言う江戸時代の戯作が元の新しい神は、真幸の神力に抵抗を示しているようだ。

 

 元の長編伝奇小説によると、犬神は闇御津羽クラミツハに近しい命である為、このような作用が起こる。起源がやや禍々しいのだ。


 それ故に九字を切り、道教の呪法を訳し『烈』を『裂』と訳した修験の法も唱えて、ほとんど調伏に等しい術の様相だ。


 黒い気配が平らになり、地面に圧力を以て潰されていく。……本当に力技だ。



 

──かけまくもかしこき 伊邪那岐大神いざなぎのおほかみ

 筑紫つくし日向ひむかの橘の 小戸をど阿波岐原あはぎはら

 

 御禊みそぎはらたまひし時に せる

 祓戸はらへど大神等おほかみたち

 もろもろ禍事まがごと・罪穢れ有らむをば


 祓へ給ひ清め給へとまをす事を聞しせと かしこかしこまをす──




 祓詞が終わり、天井に開けられた窓から一陣の光が清音を貫く。


「えっ、眩しっ!?目、目がぁ!?」

「んふっ」


 清音の奇怪な反応に真幸が思わず吹き出しそうになり、皆が顔を背ける……仕方あるまい。我も笑ってしまいそうだ。


 そして、予想外の事が起きている。まるで真幸が起こしてきた数々の出来事をなぞらえているようだ。


 


「いつまでそこに隠れてるつもりか、犬神いぬがみよ。まさか八種が一つに纏まってるとは思わなかったが」

 

「ほえ?」

「き、清音さん、右手の袖の下。めくって見て……」


 清音が真幸に言われた通り白衣の袖を捲ると、そこに黒い毛玉が現れる。

体を震わせて、丸く縮こまっているようだ。



 

「えっ、なんですかこの毛玉」

「……多分、毛玉じゃないと思うんだけど。ちょっと抵抗されたから念のため圧力かけたら、かけ過ぎたみたいで怯えてるね」

「えぇ??私の守護神さん、怯えちゃってるんですかぁ……」



 清音が毛玉をチョン、と突くとそれが跳ね上がり、耳が生えた。全体の毛皮は黒く足先と鼻周りが白い……犬だな。



 

「「ボーダーコリー!!」」


 清音も真幸も同じ声音で叫び、犬神に駆け寄る。……あぁ、そうだな、毛玉が好きなのだ、其方たちは。


 

「子犬ですかね!?か、可愛いっ!」

「日本犬じゃないのか?あぁー可愛いな、毛が柔らかい……あっ!お腹出した!」

 

「ガタガタ震えてますね……」

 

「ごめんて。よーしよしよし、虐めたりしないからそんな顔しないで。可愛いなー、もふもふだなー羨ましいなー」



「おほん。真幸、その辺にせよ」

 

「……はっ、しまった。……わんちゃ……犬神、今回君を降ろしたのは清音さんに依代を勤めてもらう為だけど……くっ、そんな目で見ないで!!」


「キュゥン……」


「あ、あとで、あとで撫でてあげるから。なっ、取り敢えず清音さんと契約してくれないか?かわいい……」

「……芦屋さんメロメロじゃないですか」

 

「だって可愛……ん゙ん。清音さん、話しかけて見て」

「は、はいっ!」



 

 犬神と向き合い、清音が正座で座る。


「初めまして、私は里見清音と申します」

 

「存じております。時代を経るうちに八犬は一つにまとまりました。仁・義・礼智・信・忠・孝・ていの徳目を保ち、あなたにお仕えいたします」

 

「うわ、口調がイメージに合わないですね。お仕えって、依代じゃなくてですか?」

「すみません、その依代とはどのような……?」



「そこからなのか!?颯人、説明したほうがいい?」

「否だ、先に契約を済ませよう。仕えると言うのなら同じ事だ。其方の神力を浴びた清音は新たに能力開花が起こる可能性がある」

「ん、わかった。じゃあ俺が仲介するから。よく聞いててね」


「「はい」」



 

 犬神は清音の膝に乗り、清音は抵抗なくそれを抱きしめている。真幸は羨ましそうな顔をしているが、神のしきたりを知らぬと言うことは事故の可能性があるな……。

 伏見に目線を送ると、頷き鬼一と共に立ち上がり、部屋を出た。



「これより依代の契約を行う。真名 里見清音の元へ降りた犬神は、これを依代と成し現世にその命を顕現する――よろしいか」

「わんっ!」

 

「くっ、かわい……里見清音はこれを受け、犬神の依代となることを請け負うか」

「はいっ!」


「では、その手を携え、犬神は契約の言葉を。一緒に唱えてくれ」

「わふ!」



  

「「真名 里見清音を主とし、犬神の神力を与える」」


 

 犬神があたり一体に差し込む日差しを吸収して、紅の輝きを舞わせる。間に合うと良いが。無事契約がなったとすれば、この後受肉が起こる。

 おそらく我と真幸のように正しい姿で顕現する形になるだろう……人型で。



 


「お待たせしました!!」

「くっ、間に合うか!?」

「へ?え?なに、なんですか!?」


 ポン!と大きな爆発音の後、白い煙が立ち込める。そこからぬうっと立ち上がった黒い影。耳つきの男か……なるほど。



「あっ!?アーーーそう言う……丸見えですねー!!」

「ちょっ!?ハレンチよ!前を隠しなさいっ!妃菜は見ちゃダメ!」

「ほわ、ほわわ、ご立派やな」



「………………わぁ」

「ご主人!!オレ犬神の八房やつふさ!よろしくな!!」

 

「すごく、ブラブラしてる」

「き、清音さん!目を瞑れ!見るな!!」


「あっ!オマエ鬼一だな!よろしくな!よろしくな!!」

 

 

「うおっ!?抱きつくな!!服、服を着ろ!!」

「服ってなんだ?布を付けなきゃならんのか?」

 

「当たり前だ!人型になってんだからっ……おい!立派なモノを当てるな!」

 

「ぶっ、鬼一の顔に……ぷくく……」

「伏見!?おま、服早く着せてくれ!!」

 

「はーいはい、八房やつふさ殿。人の世に出たら衣服を着るのですよ。その股間の立派なものを隠さねばなりません」

「あ、伏見だ!エッ?何で?」

 

「何でと言われましても……」

 



 清音は呆然としたまま、裸の八房やつふさの股間を凝視している。慌てた鬼一と伏見が服を着せようとしているが、抱きついた八房が鬼一を押し倒し……。あれは我でも嫌だ。



「颯人ぉ……笑い過ぎてお腹痛いよ……くっ」

「気持ちはわかる。我もおかしくてかなわぬ」

 

 震えながら手を伸ばしてきた真幸を抱えてやり、顔を抱えて隠してやった。服の中で笑いを堪えつつ、いつまでも顔を上げてこない。



「あかん!!だめや!!あっはっはっ!!!面白すぎる……っ!」

「妃菜ちゃ、ひぃーっ!!おかし……ひぃーっ!!」

 

「アリス、あなた引き笑いなの?ちょっと怖いわね」

「ひど……ひぃーっ!!」

 

「アリスもおかしい!あははは!!」



 

 神降しが神聖なもの、と言う常識はどこへやら。大騒ぎの神降ろしになってしまったな。


「んふっ……無事神降しは終えたし、これからだな、颯人」

「真幸、其方笑いが殺しきれていないではないか」

 

「だって……んふふ……」




 笑い過ぎて涙目の真幸を抱きしめ、新しい時が動き出したのを感じる。穏やかな日々は真幸を蝕んでいたが、この様な展開は……我の最愛の神を癒すやもしれぬ。



「……はぁ、俺の役回りじゃねぇだろ、これは」

「鬼一の気持ちは痛いほどわかります。あの人にも伝えてあげましょう」



 大騒ぎの会場の中で、我も知らずのうちに笑みを浮かべることとなった。白石は、きっと喜んでくれるだろう。伝えるのが楽しみだ。 

 

 

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