82 誰が為の命

颯人side


「真幸?眠ったのか」

 

「寝かせてあげてください。芦屋さんは休息が必要です。颯人様にはお茶をお持ちしますよ」

 

「あぁ、頼む」


 

 伏見が席を立ち、この世で一番愛おしい命と二人きりになる。

満ち足りた幸せにため息が落つ。

このような心地になれるのは、相手が真幸であるからだ。

 

 しばらく閨に篭りきりだったため、日光浴をさせようと縁側にやって来た。

 

 クサノオウが咲き、老木の桜が散り際の美しさを誇るそこは、小さな箱庭。

紫竹のに囲まれて、正面が四角くくり抜かれている。縁側から庭を眺めると、海が絵画の様に配される粋な仕掛けだ。

 庭石が置かれ、手水鉢が苔むす様も気品に溢れている。この庭を作った人間はさぞかし名のある者だろう。



 

 波音と、風のたわむ音、空に雲が流れる様……そして緩やかに流れる時間。

真幸の心の中も美しい風景だったが、ここも美しい。

 我が元々は海の神と知っていて選んだのだろうか。

 

 家のそこかしこに精霊が宿っているここが新しい家なのだ。真幸の匂いに満ちて切なく、あたたかい家はなぜか郷愁を覚える。

 


 真幸は蘆屋道満を鎮めて黄泉の国に送り、国護結界を成し、道満が残した全ての呪いを背負ってそれを潔め、現世に我の魂を引き戻した。

 恐ろしい苦難と共に偉業をなした英雄は、あどけない顔をして我の腕の中で眠っている。

 

 


 真幸は出会った時から腹の底に呪力を抱え、神力で包まれた奇妙な人間だった。清く甘い気配を持ちながら、様々なものを諦めて手放し、酒臭かった。


 前髪で目元を隠して鼻と口しか見えず、服は萎びて姿勢も悪く、それはそれはもさい姿だったのだ。道満にも、よく似ていた。

 

 男の割に華奢な体、細い骨格。所作振る舞いもなっておらず、どうしたものかと困惑した。

 目だけが鋭く光り、髪の間からのぞいていたのを覚えている。今思えば帰る家を持たぬ猫のようだった。


 

 

 なぜ、『恋をしてちゅーをする』などとれた言葉に惹かれたのか。抗いがたい何かが我を真幸にとどめ、契約まで成した。芭蕉の他に依代など持たぬと、そう思っていたのに。

 

 今では納得している。蘆屋道満の呪いが始まりだったとしても、この想いを育てたのは我と、真幸であると。

 芭蕉の魂に惹かれたとしても、恋に落ちたのは真幸であるからだと。


 

 真幸は命そのものが美しいのだ。それが表に顕れた今は全てが清く美しい。

 微笑みは白檀のように芳しく、差し伸べる手は陽だまりのように心地よく、優しい瞳は……今は昏く染まっている。

 

 しかし、その色を自分がもたらしたのだと思うと愛おしくてたまらない。月の兄は時たまこう言った暗い考えを持つ方だが、我もそうであったとは。なんとも言えぬ心持ちだ。


 

 

 裏公務員となり、初任務で訪れた八幡の藪知らずでは正直驚いた。

 

 ただ人ならば神隠しの神のような者に触れるはずもなく、怯えるだろうと思っていたのに。

 漆黒に窪んだ瞳、そこから流される血膿、頭からは虫が湧き……それを一切気にすることなく、迷わず手を触れ、微笑み、声をかけて。

 

 雨で濡らした髪を上げた瞬間とき、胸中に雷が落ちた。

困ったような表情の優しい顔つき。まつげに縁取られた物憂げな眼差しは柔らかく美しかった。



 

 その後、興が湧いて真幸の過去に潜り、命の履歴を見て胸が痛んだ。

それを抱えたままで他に優しくあろうとする尊い命だと知り、毎日の仕事や生活をともにするうち愛おしさが次々と湧き出でた。

 

 真幸が花だと気付いてしまったのだ。蕾のままでも雫が溢れそうなほどみずみずしく、触れてはならぬほどに清い花だと。

 

 共に生活するうちに所作振る舞いの乱雑さに気付いてすぐに直し、少ない言葉を与えれば自ら調べ、学び、身につけて、少しずつ花弁を広げ、いつの間にか大輪の花となって行った。

虫が寄ってきてしまうのは考えものだ。神避けはしている筈だが、為せた試しがない。


 


 初めての任務で組んだ鬼一はばっちかったが、真幸と出会い改心してからは二柱の神を宿しまでした。

鈴村も、伏見も、星野も、在清も驚くほどの成長を遂げている。

 自分を諦めていた真幸は、周りの者が持つ種を芽吹かせ、導き、真幸と同じく花咲いた人間が侍っている。

 

 皆が夢中になるのも仕様のないことだ。心の奥底から掬い上げられては嫌う事など出来まい。 

 兄上達まで狂わせるとは思わなかったが。まるで傾国の美姫のようだ。


 


 青い光に怯え、自分の過去に怯え、傷に触れられまいと必死で身を丸くしていた真幸は……その内実に誰も彼もを掬い上げてしまう胆力や哲学、愛を宿している。

 

 その身に刻んだ傷の数だけ悲しみを知り、痛みを知り、相手の傷にすぐに気づきそれを癒す術を持つ。


 

 今はまだ伴侶と許されずに居るが……今までも、この先もこれ以上の想いを抱ける相手は持てるまいと確信していた。

我はこの歳になって、ようやく愛を知ったのだ。真幸に触れるまでは本物ではなかったと思い知った。

 

 初めて病に伏した、あの日に。


 受肉した体に魂が馴染まず、人間の風邪とやらに罹った。

真幸はその時、我を母のように看てくれた。


 ━━━━━━


 

 

「凍えるようだ。体が震える」

 

「風邪のウイルスを倒すために、体が熱を上げようとしてるんだ。筋肉が収縮するから寒く感じるんだよ。吐き気は?頭痛は?喉とか鼻はおかしくないか?」


 

 任務から直帰して我を寝床に寝かせ、両手に山と荷物を抱えて戻ってきた真幸。悪夢を抑え始めてまだ数日、寝不足の解消は満足にできていない。

それに加え、真幸の顔は今日の任務の疲れを抱えたままだ。


 


「全ておかしく感じるな。真幸、そなたは疲れている。ういるすとやらは感染うつるのだろう?

寝ていれば治るのだ、我を気にせず身体を清めて休むが良い。もう一つ部屋があっただろう」


 真幸は枕元に湿気の出る謎の箱を置き、布団の中に湯婆とうばを差し入れる。

桶に氷水を入れて布を浸し、水が入った柔らかい器を山ほど並べ出した。


 


「大丈夫、俺が具合が悪くなってたのは小さい頃だけだよ。施設でも看病ばっかりしてたから慣れてる。小さい頃にたくさん病気したから、ウイルス感染しにくいみたいなんだ。気にせず看病されてくれ」

 

「小さき者の面倒を、見ていたのだな」 

「うん。颯人は風邪引くの初めてか?」

 

「このようなものは初めて経験する。心許ないような気がしてくる」

 

「具合が悪いとそうなるんだよ。寒いならまだ冷やしちゃダメだな。俺も布団に入るよ」

「む?うむ……寝るのか?」

 

「ううん、颯人をあっためる。熱が上がれば震えも止まるし、だるさもマシになるから。俺がそばに居たら寂しくないだろ?」


「む、む。幼子のようにされている……」


 


 いつもとは逆に真幸の腕に包まれ、頭を抱えて抱きしめられた。

耳に心音が響き、心地よい暖かさに目蓋が勝手に閉じていく。


「辛い時くらい子供になって良いんだよ。休めばちゃんと治るから。ゆっくりおやすみ、颯人」

 

「うむ……」



 

 目を閉じ、そして開くと額の上に冷たい手拭いが乗せられている。しばし眠っていたようだ。

 体が熱を発している。これがういるすと戦をしていると言うことだな。

枕の横に座って目を閉じ、真幸がうつらうつらしていた。


「真幸、横にならぬのか?」

 

 声が掠れ、喉が痛みを伝えてくる。

鼻が詰まって上手く息ができぬ……風邪とは厄介なものだ。

 

「ん、目が覚めたか?今熱測ってるからな。吐き気はないか?」

「あぁ……」



 

 腋の下から音がし、真幸がそこに挟んだ棒を取り上げて見つめる。

箪笥にそれを置いて、柔らかい器の蓋を開けた。


「吸い飲みがないから……どうやって飲ませよう?うーん。」

「喉が渇いたな、それをくれ」

 

「持てる?あぁ、力が入らんか」


 

 首を起こして手を伸ばすも、柔らかい器を取り落としそうになり、慌てて真幸が持ち直す。

手のひらが赤く、力が入らぬ。熱が相当上がっているようだ。

 

 

「颯人、よく聞いて。これからやることは看病だ。いいな?」

「???」

 

「本来弱ってる体にやるべきじゃないけど、体に水分が必要なんだ」

 

「何やらわからぬが、わかった」


 

 水を口に含み、少し飲み込んだ後に真幸が唇を重ねてきた。

驚いたのも束の間、水がそこからもたらされ渇いた喉を潤してくれる。


「ん……まだ飲める?」

「飲む」

「食い気味だな」


 穏やかなままの顔で何度も口移しで水を飲ませてくれて、口を紙で拭われた。

意図せぬ口吸いが頭に霞をもたらし、思考がまとまらず、真幸の顔ばかりを見てしまう。

 


 

「鼻詰まってるっぽいね」

 

「そうだな、息ができぬ。腹に力が入らず鼻がかめぬのだ」

「そっか、じゃあここに頭のせて」


 真幸の膝の上に頭を下ろすと、膝によって首が持ち上げられ、鼻を片方塞がれる。

  

はにをしていふのは?何をしているのだ?

「んふ、おもしろ。口閉じて」


 紙を箱から数枚引出し、それを手に持って今度は鼻に口をつけてくる。 

 真幸に鼻が吸われ、片方の穴に息が通る。反対側にも口をつけて同じようにしてくれる。

それを吐き出し、紙で包んで捨てて、我の鼻を新しい紙で拭いた。


「………」

「ごめんな、こんな事されて嫌だろうけど。鼻をかむ力がない赤ちゃんはこうするんだよ」

 

「いやでは、ない……」


 

 すっきりした鼻を思わず触り、呆然としてしまう。

まるで……母のようだ。幼子の鼻を吸って出してやるのは知っていた。我とて子を成したことはある。

 実際にこれをやった事はない。

大の男相手に嫌な顔ひとつせず、ここまで抵抗なくやれるものなのか?



 

「颯人、神様はおトイレってしないの?」

「そうだな、出る者もいるが我は出ぬ」

 

「へぇ……排泄があればそれも熱を下げてくれるんだけどなぁ。汗を出すしかないか。おいで、颯人」


 布団に入ってきた真幸が頭を抱えてくる。切ない気持ちが込み上げて、小さな胸に縋りついた。

思えば、生まれてこの方子供だったことはなく親に甘えた事はない。

 

 真幸とて、そうだったろうに。



 

「大丈夫だよ、辛いのはもう少しだけだ。一人にはしないからな」 

「っ……」

「ん、どした?どっか痛いか?」

 


 胸が、苦しいのだ。張り裂けそうな痛みが広がり、真幸が愛おしくて仕方ない。

 幼い真幸は一人でこれを耐えていた。満足に食事も貰えず、腹を空かせて腐ったものを食べ、厠にこもりきりになり……体が枯れて死にかけていたではないか。

 

 熱を出した時に薬もなく、誰も傍にいなかった。薄い布団の上で『痛いよ、寂しいよ、熱いよ』と小さい声で泣いていた。

 

 そのお前が、このように手厚く看病するのは自分と同じ思いをさせない為だ。歯を食いしばり、衝撃に耐える。


 

「弱ってるんだな……。目を瞑ればすぐに寝れるから。

明日は野菜たっぷりのうどんでも食べよう。最近手抜きのご飯ばっかりだったし、風邪を引いたのは俺のせいだ。ごめんなぁ、辛い思いさせて」


 


 辛くなどない。真幸の苦しみに比べれば、大した事ではないのに。

其方のせいではないと言いたいのに口が開かない。


 目を瞑り、開くたび真幸は顔を覗き込み、甲斐甲斐しく世話をしてくれる。

優しい言葉をくれて微笑み、頰を撫で、頭を撫でて苦しさを吸い取ってくれた。



 


「朝か……」


 もう一度目を開くと、疲れ切った真幸が窓から差し込む朝日の中で眠っていた。体の重さが消え、心地よい微睡に幸せな心地になる。

 

 ふと、背中に回った手のひらがとんとんと音を立てて動いているのに気付いた。

 

 真幸は、眠っているはずだ。意識がないはずだ。それなのに、我の苦しみを癒してやろうと……手を動かしている。


 堪えきれない涙が溢れ、滂沱と頬に伝っていく。真幸の瞼が開き、夜通し看病したせいで充血した目が緩やかに垂れた。

 


 


「少しは、楽になった?泣いてるけどどこか痛いのか?」

「どこも、痛くはない」

 

「ん、まだ朝早いからもう少し寝てて良いよ。ちゃんと休まないとな」

「……わかった」

 


 細い腕に包まれ、心の中が満ち満ちてくる。自分の奥底に隠された小さな扉が開き、充足されてゆく何かが……全てを染めて誰も入ったことのない場所にあたたかさをくれる。

 

 これが愛だ、と命が叫ぶ。

 

 小さな手のひらに背中を叩かれ、止まらない涙を枕に押し付けた。


 ━━━━━━



 


「ん、ん……」

 

 真幸が僅かに瞳を開けて、あの頃とは変わってしまった昏い色の瞳で視線を寄越す。

瞼を開ければ我を探し、そばにいると確信すれば安堵して眠りにつくのだ。

 

 あの時、確かに自分は死んだと、愛する人の生きる糧になれたのだと、そう思っていた。

 しかし、結果として我は真幸にとやらを植え付けてしまった。


 


「はやと」

「真幸のそばに居る。どこにも行かぬ」

「うん……」


 舌足らずの言の葉で名を呼ばれ、応える。瞳を閉じた真幸が微笑み、微睡む。


 


「まだまだ、颯人様を失ったことを忘れられそうにありませんね、芦屋さんは」


 戻ってきた伏見の苦笑いと共に、ぬるめの茶を受け取って口にする。

喉が渇いていると知って、温度を変えて茶を淹れる伏見は優秀だ。

 此奴は思っていたよりも懐が深く、そして愛情深い。

そうだ、真幸の次に我との付き合いが長いのは伏見だったな。


 


「そのようだ。我は罪深い。真幸の瞳から光を奪い、苦しみを与え、不安を植え付けてしまった」

 

「そうですねぇ。罰として芦屋さんを幸せにしてあげてくださいね。颯人様にしかできませんから」


「言われなくともそうする。……伏見、お前は本当に神になどなりたいのか?真幸のためにそう言うて、無理をしているのではないか」


 伏見が庭に植えられたクサノオウの小さな花を眺め、細い目をさらに細めて笑う。

 

 


「僕は、芦屋さんに出会えて何もかもが変わりました。無理をするのは当然です。

 恩人であり、師であり、友である芦屋さんを手放したくないのですから。颯人様と同じものを見て、肩を並べて歩く反対側の席は僕のものです」

 

「ふん……仕方ない。其方は本当に認めるしかあるまいな。真幸をよく輔てくれた。真幸自身が膝を折った時、再び立ち上がらせたのは伏見だ」


 驚いた顔の伏見が頰を赤く染めて破顔する。嬉しそうな顔をしおって。

たが、本当のことだ。

 我を失って堕ちた真幸の神鎮めをしたのは伏見だった。伏見が求める事で、真幸は再び光を見つめている。


 



「颯人様に褒められるとは、僕も一人前ですか?」

 

「ふん。半人前は脱したが、まだまだだ。……これからも真幸を支えてやってくれ。我からも、頼む」


 

「はい!お任せください。しばらくはお休みしていただきますから、颯人様は芦屋さんを監視してくださいね。この人は目を離すとすぐ面倒ごとに頭を突っ込むんです。

一度決めれば自分の全てを賭してしまうんですから。今後は、芦屋さんの優しさを誰も彼もに与えやしません」


「それはとてもよい。際限なく使われてしまうのは我とて不満だ。えりーとちーむも傍付きとして認めざるを得まいな」



 

「そうして頂けると助かりますよ。足の怪我を魚彦殿に治して頂こうとしたのですが、魂の負荷による傷のためうまく治せません。却ってその方がいいかとは思いますけど」

 

「そうだな、我としても役得だ。勝手に動けぬのも安心材料ではある」


 お互い声を殺してくつくつと笑う。

お転婆な真幸を御するのは苦労するのだ。心も体も休めねばならぬし、時をかければよいだろう。


 


「へーい、そこの仲良し男子達。お買い物行ってきますけどー。なんか欲しいものあります?あっ!真幸さん寝てるー」


 在清が八咫烏の姿で現れた。首に金の飾り紐を巻き、真幸の肩に乗って顔を擦り付けている。



「小娘……その紐は真幸と揃いではないか」

 

「これはご先祖様の紐です。真幸さんの紐とお揃いなのは、彼が道満の子孫であるからですよ!2人は恋人でしたから!

 千年以上前からわたしは真幸さんとご縁があるんですよ、颯人様より前からです。江戸時代からのひよっこは黙っててもらえます?」


「くっ。ぬうぅ……」

 

 

「小指の縁紐えにしひもがお揃いだし、お互い勾玉交わしてるんですからヤキモチ妬かないでください。タマの小さい男ですねー!

 伏見さん、真幸さんはお夕飯何が食べれますかね?」


「発言が怖いんですが。アリスさんはカラスになると口が悪いですね。先ほど累さんと悪魔の卵かけご飯の話をしていましたよ」

 

「な、なんですかそれは!?悪魔!?」



 

 口の悪い小娘は嘴を開いてパクパクしている。……あれか、我が真幸に初めて貰った膳の事だな。


「天かすとめんつゆを入れた卵のいいだ。初めて我が食べた、真幸の膳だ」

 

「へー、ふーん、そーですか。じゃ私も食べたいからそれにしましょう。

 野菜も欲しいので豚汁でも作りますかね。痛み止めとか湿布も買ってきます」


「お願いします。あぁ、倉橋たちにお見舞いに来たいなら来てもいいと告げてください。大村さんを送り迎えしている鬼一を向かわせます」



 

「イヤですよ。自分で転移できるようになったらでいいでしょう。数日後には真幸さんの眷属が戻ってきますし。ただでさえくっつけないのに取り分が減るのは我慢なりません。じゃ、行ってきますねー」


 羽音を立てて、在清が飛んでいく。

 厄介な小娘が増えた。今は累が常に胸元にいると言うのに、本当に虫のつきやすい花で困る。



 

「うちの女性達は強い人しかいなくてちょっと困りますね。魚彦殿が戻られるなら僕も仕事をしなければ。颯人様はゆっくりしていてください」

 

「あぁ。伏見、其方の働きがあって、我はこうして生きられるのだ。心から感謝している」

「は、あ……ハイ……はい!!」



 瞬いた伏見が両頬を叩き、眉毛を凛々しく吊り上げて、走り去って行く。

 

 珍妙な集まりの傍付き達。いや、近衛になるのだろうか?

真幸のそばに侍る者をこれ以上増やしたくはないが、与えられなかった家族を求め、傍付き達を得て安らいでいるのだ。

致し方あるまい。多少は我慢しよう。

 


 

「んん……ぁ……あれ、俺寝てた?」

 

「目が覚めたか。うたた寝していたのだ。其方がやるべきは休む事。いくらでも寝るとよい」


 目を覚ました真幸が、瞼を開いて体を起こす。長い髪を肩に乗せて、我の胸元に耳を当てる。

心の臓が動く音を聞き、ホッとしたように息をつく。

 我は、生きている。其方のために生きていくのだ。いつしか確認せずとも安心できるように、今はただ思うがままにさせてやりたい。

 



「うーん、こんなダラダラしていいのかなぁ。みんな働いてるのに」

 

「よい。そなたはわーかーほりっくと言うやつだ。真幸が休めば周りが安らぐ。

 我とて、其方と共に過ごす時が愛おしい。このような時間が永遠とわに続けば、と思ってしまう程にな」


「て、照れるだろ。臭いセリフ禁止。頭が茹だっちゃうよ」

 

「いくらでも茹だって仕舞え。我がいつまでも抱き抱えて其方を甘やかしたい」 

「むぅ、むうぅ……」



 真幸の細い肩を支え、顔の輪郭をなぞる。自身の胸から溢れてくる熱は、とめどなく流れて体を巡って行く。

愛おし過ぎて、言葉が何も出てこない。真幸が自分の腕の中にいる事が全てを満たして行く。



 

 指先で唇に触れると、真幸が熱のこもった目で見上げてくる。……これは据え膳か?


「だ、ダメ」

 

 顔も耳も赤くした真幸の頬に触れ、互いの額をつける。そのようにせずとも許しがなければ触れぬ。

 

 唇を両手で隠した真幸の指先に、我が唇で触れる。戸惑いながらも目を伏せてお互いの頬に熱が生まれた。

 


 我の方こそ茹だりそうだ。

瞳を閉じ、手のひら越しの触れ合いに、心底幸せだと感じてしまう自分に笑った。

  


 

 

 

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