37 天上に届く巫女舞 京都編 その9

真幸side

 

「はぁ、はぁ……一の峰到着!」

「そのように息を切らして。我が抱いてやると言ったのに」

「訓練なのだから手出しするでない。颯人は時たま無為に甘くなるのはなんなのじゃ」

「それなー」


 

 現時刻 4:50。いつもよりもゆっくり起きて、いつもの日課で散歩と発声練習まで終わったところ。

 今日は山頂から祝詞をやってみるんだ。

 新しく身につけた術も使ってみたんだが、これはいいなぁ……。


 

速歩はやあしの術も問題ないな」

「うん。暉人あきととふるり、ククノチさんのおかげだ」

 

 頭の中でククノチさんが『ほっほっ』と笑ってる。五行の全属性が揃った事で理解できた術だしな。


 

 

 速歩の術は馬の走り方をもとにした陰陽師の術。馬は四足歩行、人間は二足歩行だがイメージの問題だ。

 足が四本生えたイメージで、三本を浮かせて一本を下ろす。

その後三本下ろして地面を蹴り上げ、一本を上げる。だんだん早くしていくと、全部の足が浮く瞬間が生まれてくる。

 

 上に跳ね上がらず走り続けるのがこれまた難しい。

 ただのイメージだが、ここに霊力が加わるととんでもない速さで走れるようになるんだ。まさに摩訶不思議アドベンチャー。

 

 四本足のイメージなんて最初は意味わからんかったけど、ククノチさんが来てから本当に四本足が生えたみたいに具体的なイメージができるようになった。

 大地を蹴る瞬間にふるりの力を借りて、速さは暉人あきとの力を借りてる。稲妻のパワーと速さが基礎だからな。


 単純計算して半分の時間消費で一の峰まで稲荷山を駆け上がってきてるし、もうちょいやったら完全習得できそうだ。

 陰陽師には脚を使う術が多い。これはみんなが契約してくれてありがたいと思うしかない収穫だった。



 

 夏の始まりの空が朝焼けに染まっていく。

 薄桃色からオレンジ…黄色…綺麗な色だ。今日もいい天気になりそうだな。


「伏見が到着するまで時がかかる。先に祝詞を始めよう」

「はい」


 いつも通り日昇の方角へ深く頭を下げ、柏手を打つ。

 鼻から息を吸い込み、口から吐く。

いいな。山頂の澄み切った空気の中で夜明けとともに神様に挨拶できるのは、とっても気持ちいい。

 


「ひふみ祝詞、大祓祝詞、今日は是清これきよに習った稲荷祝詞いなりのりと稲荷大神秘文いなりだいじんひもん稲荷五社大明神祓いなりごしゃだいみょうじんはらえといこう」

 

「ゔっ、覚えきれてないかも」

 

「何度間違えてもよかろう。いくらでもやり直すがいい。巫女舞は午後からだ。ここへ来たからには覚えたほうが得策だと思うが」

「はい。おっしゃる通りです!」


 くっそぉ……颯人のあの顔!

 俺の師匠は厳しい!望む所だ!!!




 いつもの通り、ひふみ祝詞からゆっくり始める。

 完全に覚えた祝詞は言霊の載せ方をより重たく、霊力の消費を増やす。

身の内の五行を備えてくれた勾玉をしっかり意識のうちに落とす。

 

 伏見さんが言った『ネクストステージ』に行くにはやり方を変えなければならない。転職したらリセットされるんだし、早くレベルを上げないとな。


 毎朝やっていた練習で最後まで持つようになった霊力が、あっという間に尽きる。


 

 

 まずは、右手を握りしめた。

 ククノチさんの勾玉に触れて木の気配を体に巡らせて行く。

 まだ出会ったばかりのククノチさんや暉人あきと、ふるりの力を借りるのは慣れていない。

 

 なかなか体に巡っていかない神力に、尽きかけた霊力が体を傾がせる。

魚彦が右手を握ってそれを支え、汗びっしょりの手を撫でてくれた。


 

 木属性と親和性の高い、水属性の魚彦のおかげで木々の清涼な香りが鼻を抜け、体を包み込む。ククノチさんの神力で身体が復活してしてきた。


 大祓祝詞を終えて、次は左手……ふるりの勾玉に触れる。土の属性を木の属性のククノチさんが引っ張って、難なく神力が巡ってくる。雨上がりの匂い、泥団子を作っていたときの匂いがする。懐かしいな。



 

──掛巻も恐きかけまくもかしこき 稲荷大神の大前にいなりのおおがみのおおまえに

 恐み恐みも白くかしこみかしこみもうさく

 

 朝に夕に 勤み務る家の産業をあしたにゆうべに いそしみつとむるいえのなりわいを

 緩事無く怠事無くゆるぶことなくおこたることなく

 弥奨めに奨め賜ひいやすすめにすすめたまい 

 弥助に助け賜ひていやたすけにたすけたまいて─……



 

 途中で声が途切れる。音にならなくなった祝詞を口から発し続けて行く。

 是清さんが本殿で祝詞を唱えてるみたいだ。他の人と同時に唱えると、こう言う現象が起きる。

音として聞こえなくても祝詞の効果はなくならないから、是清さんの祝詞に合わせて言霊を乗せた。

 綺麗な言の葉……人の生業を思うそれを丁寧に発音する。


 次は足を踏み締めて……頼むよ、暉人あきと。身のうちにいる彼から『応』と力強い応えが返ってくる。


 

 ──夫神は唯一にして御形なしそれかみはゆいいつにしてみかたなし

 虚にして霊有きょにしてれいあり 天地開闢て此方あめつちひらけてこのかた

 国常立尊を拝し奉ればくにとこたちのみことをはいしたてまつれば

 天に次玉てんにつくたま 地に次玉ちにつくたま 

 人に次玉ひとにやどるたま  

 豊受の神の流れをとようけのかみのながれを──



 

 あぁーー!ぶっ倒れそうーーー!!!

 稲荷大神に霊力を引っ張られて、目眩がしてくる。大社の中だからなのか、大地に触れた足からものすごい勢いで根こそぎ力を吸い取られてる。

 クラクラする額を抑えて魚彦の勾玉に触れると、颯人の勾玉も呼応して腹の中で熱が生まれた。


 魚彦と颯人の神力に混じってぐるぐる五柱の命が体を巡っていく。

 指先から溢れ零れ落ちる力。もったいないような気がするな……もうちょい言霊に乗せよう。


 


──高天原に神留坐すたかまがはらにかむづまります


 お、音が戻ってきた。稲荷五社大明神祓はしないんだな、是清さん。


 

 皇親神漏岐神漏册の命すめらがむつかむろぎかみろみのみことを以てをもちて

 豊葦原の瑞穂の國とよあしはらのみずほのくに 

 五穀の種津物の神霊いつくさのたなつもののみたま

 飯成五社大明神へいなりごしゃだいみょうじんへ 鎮坐すしずまります

 稲蒼魂命うかのみたまのみこと

 大巳貴命おおなむちのみこと

 太田命おおたのみこと

 大宮姫命おおみやひめのみこと

 保食命うけもちのみこと

 五柱の大恩神いつはしらのおおおんみかみ 

 天より五穀の元祖としてあめよりいつくさのみおやとして

 普く種を降し 千代萬代あまねくたねをくだし ちよよろづまで

 秋の垂穂あきのたりほ 八握に莫々やつかにしない──


 黄金の稲穂が風に揺れ、キラキラ光り輝く情景が目に映る。

秋風の中、稲穂が豊かに実ってしなり、人のためのかてとして命を刈り取られる。

 お米を育てた農家さんは刈り取った時に零れた落穂まで丁寧に拾い上げ、俺たちはそれを大切にいただく。


 

 

 人が暮らし、日々生活していく様を神様たちはずっとずっと昔から見つめ続けていた。


 目を細めて微笑む、俺に勾玉をくれた神様たちの顔。

今更気づいたけど、狐さんの糸目は微笑みなんだな。

 優しさをもって人の世を見つめてきた神様達に、この国は護られてきたんだ。祝詞が終えて深々と頭を下げる。


  

 俺は、ちゃんと国護結界を復活させたい。

 神様が見つめ続けた全てを守れるように。俺の大切な人たちが生きていくここを、元通り平和にしてみせるから……見守っていてください。


 


「よろしい。では日光浴だ」

「あれっ!?一発合格……わわ……」


 初めての一発合格だー!喜ぶ暇もなく全身の力が抜けて、颯人に抱き抱えられる。

日が昇り始めて、その光が空も大地も白く染めていく。


 

「こう、倒れ込まぬなら一人前だな」

「はぁー。道のりはまだ遠いって事かぁ」

 

「これだけできれば十分じゃよ。稲穂を渡る風の匂いがしておろう。今日の参拝客は、願い事が全て届いてしまいそうじゃ」

「わはは、そりゃ良かったよ……」


 つぶやいて、額に浮かんだ冷や汗を拭う。はー、ギリギリだった。


 


「芦屋さん……まさか毎朝このような訓練をされてるんですか」

 

「お?伏見さん来てたのか。ごめんな先に始めて。日々の研鑽は積み重ねていかないと意味がないからねぇ」


 顔色の悪い伏見さんが颯人に抱えられた俺の横に腰掛ける。祝詞に当てられちゃったかな。

 伏見さんと一緒に日が上るのを眺めた。回復しなきゃならない程じゃないか。大丈夫そうだ。


 

 

「日昇の光は全ての始まり、汚れのない物ですから私も毎朝修練はしています。しかし、霊力が尽きるまでとは」

 

「おん。そうだよ。霊力が尽きないと神力補充できないでしょ?勾玉の使い方もマスターしないとな。

 颯人も魚彦も気心が知れてるけど、茨城組とククノチさんはまだまだだし。

伏見さんみたいに飲み会でも催して飲みニケーションすべき?」


  

「神様はお酒が大好きですよ。飲み会はやめたほうが無難です。今朝の父は水の禊でげんなりしていました」

 

「伏見さんが言うならやめとこ。潰されそうで怖い」

 

「神様との飲み会なんて、あなたが来てからしかやった試しはありませんけどねぇ」 

「なんだよ。もう」


 二人で笑いあって、俺の顔にも伏見さんの顔にも陽の光が降り注ぐ。

 細い目が開いて、その光を瞳にたたえて。黄金色こがねいろに染まるその瞳がとても綺麗だ。



 

「鬼一や鈴村が僅かな同行で変わった理由が分かりました。

 あなたのそれを真似しようとは思えませんが…心は自分自身にも落とし込める」

 

「おん……何か役に立ててるならいいけど。魚彦は真似すんなって言ってたよ」

 

「出来やしませんよ。我々の霊力では一つ二つがいいところです。昨日習ったばかりの祝詞など言霊になるはずがない」

 

「え?言葉に霊力を乗せればいいだけだよ?伏見さんなら難しくはないだろ」

 

「そう、出来ればいいですが。私もとんだみそっかすだと自覚しました。

 言葉の理解をしていても心にそれを落とし込み、正しい意味を祈りとして自分の心から発するのは難しい物です」


「伏見さんはみそっかすじゃない。ただ、コツを知らないだけだ。鬼一さんも、妃菜も、星野さんもそうだと思う。わかってるんだろ?全てが全て、今がスタートラインだよ」


 伏見さんがこちらに振り向き、深く深くうなづく。



 

「今晩、芦屋さんのお時間を僕にください。お話があります」

「おう。待ちかねてました」


 ふ、と微笑んだ伏見さん。

 ようやく全ての真実がわかる。

そして、ゴールラインもこれで見えるだろう。


 

 

「その前に巫女舞の練習がありますからね。お忘れ無く」

「うっ……」

 

「ちゃんと衣装も用意してますよ。うちの巫女舞は浪速神楽なにわかぐらです。動作も複雑で、くるくる回ったりひらひら踊ります。足捌きが難しいんです」

「う、う……」


 伏見さんの意地悪な笑いに、颯人が笑い声を被せてくる。


 

「大変楽しみだ。我はずっとそれが見たかった」

「ワシもちょっと楽しみじゃ」


「くそぅ。言っとくけど俺はそっち方面本気で苦手だからな!みっともないところ見てガッカリするぞ多分」

「「それはない」」


 二柱にキッパリと言い切られて、俺は頭を抱える。なんでそう言い切るんだ。本当に頭が痛い。


 

 ため息をひとつ落とし、天高く登っていく太陽をひたすら眺めるしかなくなった。


 ━━━━━━





 

 

「はい、そこでくるっと回って……ちゃうちゃう、左足を下げな。右足下げたら逆回りになってまうよ」


「うぐ……すいません」


 

 現時刻 14:00。大社の下拝殿の中に俺たちはいる。ここは、神楽を舞う舞台としても役割があるんだな、うん。


 白い上衣、長くて赤い袴の舞衣装を着て神様達と真子さん、伏見さん、そして観光客の皆さんに見守られながら巫女舞の指導をしてもらってます。


 

 

「あっ、間違えたのかな」

「新人さんなのかもね。かわいい」

「顔真っ赤にしてる……ふふ」


 くっ!!どーして!どーして下拝殿でやるの!?衆目が気になって集中できません!!!

 伏見さんは太鼓を抱え、真子さんは扇を手にして目の前に佇んでいる。

 

 稲荷大神達も勢揃いで見に来てるし、狐の数が物凄いんだけど。みんな集合してるのか?

  神様達も中に居たらダメだと言われて、一人残らず顕現してるんだけど……着物姿でみんな揃い踏みだからさ。

参拝に来たお客さん達が目に止めて、みんな集まってくる。

 くそぅ。客寄せパンダやめろください。



 

「巫女舞と言うものは、衆人の中で舞うのが普通やからね。気にしたらあかんよ」

「ぐぬぬ……ハイ」


 気にするなと言うのは無理です!今の俺は多分、女子に見えているだろう事も気になってるんだっ!

 舞衣装の上衣は銀糸の刺繍が入って派手々はではで煌びやかだし、自分には残念ながら男らしい筋肉もないからさぞ違和感がない事だろう。しかも、頭にはロングヘアのカツラまで被ってるんだもん。


  

 腕の毛を剃ろうとした真子さんが「なんで生えてないのん!?まさか足も!?はっ、もしや」と言っていたが……。

 

 はい。俺は顔の下以外は毛が生えてません。ツルッツルなんで。

髭も生えないからククノチさんや暉人あきとが羨ましい。勇ましい髭生やしてみたい。


 それでも俺は男なの!そう決めたんだからそうなの!!ふんす!



 

「足に気取られれば体が遅れる、体の動きに気取られれば足がもつれる、両方うまくいけばリズムが乱れる。さて、どこからやったらええやろねぇ」

「すいません……」

 


 俺のトンチンカンな動きに真子さんが首を傾げて眉を下げる。

完全に困ってますね、これは。


 

「はああぁ!これはGL!!百合ップル!師匠と弟子!SとM!!次はお姉様物で決定ですよ!尊い!素晴らしい!」


 アメノウズメノミコトは相変わらずデッサンしてる。今のところ役に立ててるのは彼女にだけみたいだ。

 何言ってるのかは相変わらずわかんないけど。



 

「ちょっとその、武器の変遷やってみてくれる?」

「え、人前で大丈夫ですか?」

「一般人には見えへんよ。変遷のラグも問題かなと思て」

「ほうほう」


 手に持った緋扇は鈴尾がついて前よりもゴージャスになってる。

くすんだ金色に縁取られた鏡に戻してリセットし、舞の演目に使う順番に変化させる。

 最初は神楽鈴だ。一本の棒に沢山ついた金色の鈴に変える。芽キャベツみたいな見た目だよな、これ。そのあとは檜扇、鈴矛の後にまた檜扇。

 


「ふーむ、スピードは問題ないねんな。イメージも間違ってないんよなぁ……とするとあれや、音に乗るんが苦手やな」

「ドキッ!!」

「芦屋さん、音ゲーできんやろ」

「はい!無理です!!」


 

 思いっきり答えてしまった。

そう、歌はそんなに苦手じゃない。だから祝詞は行けるんだが、リズムに乗るのが大変苦手なんだ。

 スマホアプリの音ゲー、ゲーセンの叩くやつ、昔流行った足でパネルを踏むゲームも本気で無理。ダンスでレボリューションなんて絶対できない。


 


「うーん。清元きよはるのリズムは完璧やしなぁ。ノリでこう、行けへん?」

「出来たらやってます、すみません」

 

「そうよな……音に乗るコツは音が鳴るタイミングを覚えること、鳴る前に自分がやる動作を頭に浮かべて、鳴った瞬間に体を動かすことなんよ」

「な、なるほど??」

 

「まあええわ、もう体に覚え込ませるしかないやろ。ほな通しでやりましょか」

「うう、うう……ハイ」


 ニコニコ笑顔なのは颯人だけだ。みんな心配そうに眉を下げてて居た堪れないっ!



 

 巫女舞の流派である浪速神楽なにわかぐらは諸説あるものの、起源はここの大社からだと言われている。本家本元の長女である真子さんは、出張してまで各地に浪速神楽を伝えるエキスパート。

 その人にマンツーマンで習っているのにこの体たらく。申し訳ねぇでござる。

……なんて言っていられないか。



 

 神楽鈴に神器の形を変え、顔を隠して膝をつく。

伏見さんの太鼓の合図で立ち上がり、鈴を鳴らしながらくるりと回る。


 次は足を下げるぞ……左、右、腕を振る、右に下がって両手を振り上げてくるくる……。


 

「わわ!」

 

 袴の裾を踏んで、タタラを踏むがその先で足袋がつるんと滑って宙に浮く。

誰かが下敷きになってショックを吸収してくれた。

 ほっと息を吐くと同時に周囲から黄色い悲鳴が上がる。



 

「これはとてもよい。役得だ」

「颯人は昨日も一緒に寝ただろ」

「我が組み敷かれるのは初めての事だろう?よい気分だ」

 

「組み敷くとかじゃないでしょ……ありがとな」

「うむ」


 颯人が俺の下敷きになりながら、指の背でそっと頬を撫でる。くすぐったいよ。

 おい、生唾ごっくんしたの誰!?


 

 

「ねえさん、ちょっとええですか」

「ん?どっかで聞いた声だな。……あれ?妃菜?」

「はい、鈴村妃菜と申します。師匠せんせいの真子さんよね」

 

「あら、いらっしゃい。見てはったん?」

「はい。最初から見てました。上がってもいいです?」

「どうぞどうぞ〜♪」



 

 妃菜がいつの間にか俺のすっとこどっこい踊りを見ていたようだ。

 ……声かけてよっ!!!


「真子さん、24座です?」

「そうー。初心者向きかと思て」

「確かに舞の形が少ないのは初心者向きですけど、真幸には13座のほうがうてます」

「え?!そないな事あるのん?」

 


 びっくりした真子さんと、真剣な顔の妃菜。へー、よくわからんけどそうなのか?

 神楽は地方によって細分化されているものの、26座……座というのが舞の種類を数える単位なんだ。全部でいくつあるかは知らないけど、26座は基本的に同じらしい。

舞の種類も八百万ってか?寒気がするな。

 


 

「はい。真幸は物事を覚えるのは得意です。でも自分の意にそぐわないもんは浸透が遅い。祝詞も同じで文字の意味を理解してても、納得してへんと宣りの効果が下がるんです」

「はぁー、なるほど頑固者なんやな」


 うっ。わかられている。

 妃菜がニヤリ、と嗤った。


 

「真子さん、交代しましょ、私が教えます」

「あら、じゃあお手並み拝見と行きますわ。本家が教えた後でごめんなさいねぇ」

 

「いえ、私は真幸の事わかってますから。よく見といてくださいね、師匠せんせい


「ほわぁぁ!?女の戦い!キャットファイト!!」



 

 アメノウズメノミコトの言葉に、颯人と顔を見合わせてしまう。

 

(なんか二人とも怖くない?)

(真子も誑かしたのではないか?)

(身に覚えがない!!)

(どうせいつもの事だろう)

(どう言う意味だよっ!?)


 

「真幸、おはようさん」

「お、おはようございます」

「さっきまでのはぜーんぶ忘れてええよ。私が教える形だけ覚えてや」

「え、ええと、ええ……?」


 妃菜!!真子さんの顔見て!ピキピキってなってるよ!?なんで???

 そわそわヒヤヒヤしながら立ち上がると、颯人がそそくさとはけていく。

 

 ……くっ、俺も逃げたい。


 


 スーツ姿の妃菜が胸元から軍杯扇を取り出す。前は金色だったが、真っ黒に変わってる。て言うかそれ、魚彦の神器じゃ?

 

「一度神さんから下された武器は形を変えないんよ。せやから真幸は尋常やないの」

「なるほど?」

 

「少々無骨やけど我慢してや。見ながら真似して動いて。鈴だけでええ舞やから」

「ハイ」

 

「伏見さん、太鼓は要りませんので」

「かしこまりました」


 正座して本殿に向かい、2人揃って平伏する。



 

「ひふみ祝詞、一緒にうたうで」

「ん?でも……」

 

「言霊はのせんでええから、打ち消えんよ。巫女舞の場合は宣りと同じく三回ワンセット。最初が基本の音程、次は二オクターブ上、最後が三オクターブ下になるんや。十種神宝も繋げんでええ」

「ほーなるほど」

 

「それから、歌の方を動きに合わせるんや。真幸は耳がええから、音の始まりを考えると先に動いてまう。だからリズムがズレる。

 物の動きを感じられるセンスがあるんやし、リズム感がないんじゃなくてあんたが聡すぎるの」

 

「……??そうなのか?」

「うん。太鼓が叩かれる前に音が聞こえてるやろ」

 

「あ、そうなんだよ。それで音が二重になって戸惑う感じ。いつまでも揃わなくて毎回混乱してるんだ」

 

「せやろなぁ。体の動きは覚えてるんやし、環境が良ければすぐに舞えるやろ」


 ふ、と妃菜が悪い顔になる。

 ま、真子さん……真子さんの顔が怖い。


 


 二人して立ち上がり、妃菜に合わせてひふみ祝詞を謳い始めた。言霊を乗せないのは初めてだ。

心の扉を閉じて、ふわふわと動く妃菜を真似て体を動かす。

 

 真子さんの鋭い動きと違い、妃菜のは風にはためく布みたいな柔らかさ。ふわふわ、ゆらゆらと動く。

 


(真幸、心を閉じたらあかん。空っぽにするんよ)

 

 手首を捻りながら神楽鈴を打ち鳴らし、響き渡る鈴の音と祝詞が体の動きを追いかけるように重なる。すると、不思議と動きが揃ってきた。

 

 舞にも流れがあるんだな、動作一つ一つに意味があり、大地の力を掬い上げて空に戻していくような感覚に陥る。


  


(心を空っぽに……?無の境地的な?)

 

(そう。巫女舞は神降しの原型。心のうちに神を降ろし、神さんが巫女の体を動かすのが本来なんよ。でも、あんたがやったら何か来てしまうやろ。せやから空っぽにして言霊を乗せない)

(わかった。空っぽに、空っぽ……)


 心の中を空っぽにしなきゃいけないから神様達は顕現しろって事か。

無の境地って言うのは難しいよなぁ。

人は無意識に何かをずっと考えて動いてるから、ついつい何かを思い浮かべてしまう。


(何か考えてても、動きに集中すればええよ。あんたならできる)

(はい)



 

 俺と妃菜の謳が溶けて一つになっていく。響き渡るその声は、言霊をのせていないからあまり遠くには届かないはずだ。

 繰り返すうちに耳の奥に祝詞の音と言葉が沁みて、神楽鈴の響きが強く残る。


 

(足のつま先と踵は常に離したらあかん。歩幅はその先の動きを作る。自分の足の大きさだけで大地を踏み締める。人が歩けるのは自分の歩幅だけなんよ。欲張っても、無理してもあかん)

(はい)


 


 舞い続けていくと、動作を覚えた体が勝手に動き始めた。ふわふわ広がる袖の陰から妃菜が静かにはけていく。


(もう大丈夫やな、綺麗に舞えてるで)

(ホントか?妃菜のおかげだな、凄いよ)

(私やなくて飛鳥のお陰やからな。真実が見えるのはなかなか便利やよ)

 

(そうか。でも教えたのは妃菜だろ?すごいよ……本当にありがとう)

(うん)


 一人で……できるかな。ううん、大丈夫だ。もう体が勝手に動いてるしな。



 

 頭の中が真っ白だ。流れていく景色の中で妃菜の笑顔、颯人の渋い顔、伏見さんの遣いである狐たちがぴょんぴょんしてるのが見える。

 颯人はなんで渋い顔なんだ?


 あー、なんか気持ちいいなぁ。祝詞が空っぽなの勿体無い気がしてきた。

 ふとアメノウズメノミコトと目が合う。キラキラしてるな。

 

 あっ、期待されてる?そうだよね?

 よしよし。


 少しだけ、言霊に変えてひふみ祝詞を謳いだす。

稲荷山の頂上まで届いたそれが、俺の建てた社に到達してその声を天上にまで広げていく。

 

 はー、きもちいいなぁ〜。


 


『君が真幸くんか……なんて清淑な子なんだろう、とっても素敵だよ』


 突然耳元で誰かの声が聞こえる。

 透明で、冷たくて、まるで月の光のように綺麗な声。誰???


『うーん、これはまずいなぁ。風颯かぜはや、兄上が来てしまうよ』

「なっ!?」


 颯人が立ち上がり、くるくるしてる俺を抱き止める。神様たちが皆平伏して……どしたの?

 


「だめだ、もう来る。伏見!」

「は、はい!?」 

「神職用の結界に真幸を放り込め!我が何とか説得する」

 

「は?!いや、しかし……」

『早くしたほうがいいよ、もうそこまで来てる』

「はっ、はい!!」



 

 俺と妃菜、真子さんを掴んで伏見さんが手印を組み、結界の帷を下す。

目の前に紫のフィルターがかかって外の景色がぽやーんとぼやけた。


「完全に入れません!!」

「神力の余波がもうそこまで……仕方ない、我の背にいてくれ。布を被せて真幸を隠せ」

『僕もやるよ、弟君おとぎみ

「申し訳ありません、お願い致します」


 

 は、颯人!?敬語喋れたの!???

びっくりしながらぼやけた姿の颯人の後ろに隠れる。

 伏見さんと妃菜、真子さんが服をバサバサ被せて覆い被さってくる。伏見さんはずっと手を握ったままだ。

……おーう、なんも見えんのだが。


 

「真幸、何も見るな。口を開くな。問いかけに絶対に答えてはならぬ」

 


 颯人の切羽詰まった声を聞いて、なんとなく俺はまたやらかしたんだな、とやっと気づいた。



  


 

 

 



  

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