第114話 無償の善意


 使用したのはハンカチだった。

 私の手から、エヴァに渡されたハンカチ。

 それ一つで探せるのなら、お母さんの私物が残っていた公爵はすぐにその呪いを使わせて探せたはずだ。

 例え求婚者対策でお母さんが屋敷にいる偽装を続けていても、なんとでも言い訳して使えただろう。


「それは…ケビンのおかげね」

「え、ケビンじいさん?」


 田舎町の呪い師。私の師匠であり祖父のようだったケビンが関わっているのか。


「死にかけて錯乱していた私が訴えたのよ。追っ手に見つかればこの子は殺されてしまうって。ケビンは事情を知らなかったけど、妊婦を安心させるために目くらましの呪いをかけてくれたの」

「え、そうだったの」

「他の人たちも私達を隠してくれて…本当にあの町の人たちには感謝してもしきれないわ。おかげで私はあの人に見つかることなくアンタを出産して、ここまで育てられた」

「成る程…失踪当時に捜索が上手くできなかったのは、確かにそのおかげだろうね」


 納得したようにスタンが頷き、よくわかっていない私に説明するよう言葉を続けた。


「目くらましの呪いは重ねがけして強くなる呪いだ。きっとそのケビン氏は何度も何度もあなた方親子を守るため、呪いを重ねたことでしょう。公爵家の力が及ばぬほど重ね掛けされたなら、並大抵の魔女では見つけ出せない。呪いは効果が小さくても、重ねれば重ねるごとに強固になる」

「ケビンじいさん…そんな何回も呪いをかけて大丈夫なの? じいさん年だったのに」

「まったく影響がないとは言えないけれど、目くらましは効果の小さい呪いだ。繰り返したところで精神に悪影響はないはずだよ」

「そ、そう」


 よかった。

 事情を知らないのに守ってくれた。妊婦が罪人の可能性だってあったろうに、それでも生まれてくる命を優先してくれた。

 それからも、幼いメイジーと若い母親を守る選択をしてくれた呪い師。

 そんな彼からの言いつけを破って飛び出したわけだが、彼の善意に守られていたのだ。


「…でも、今更見つかったのはなんで?」

「それが、わからないの。今のあの人ちょっと私が逃げたことで真面じゃないから、会話が成り立たないところがあって…」

「危険人物じゃない」


 そんなところにお母さんを残していけるか。

 今ならモーリスあたりがお母さんを担いで逃げられるはずよ、バリケードが突破される前に逃げましょう。

 公爵のトラウマを刺激するな? 煩い私はお母さんの方が大事だ。

 しかしスタンが顎に指先を這わせながら呟いた。


「単純に目くらましの効果が切れた…わけではないだろうね。その呪い師は健在のようだから、常に重ねがけされていただろうし。田舎町に直接人は来ただろうけれど、目くらましの呪いで見え方も違ったはずだ」


 …ケビンに頭が上がらないわ…。

 今度お礼と謝罪しなくちゃなのね…。

 というか、17年重ねがけしていた目くらましってもう存在が跡形もなくない? 絶対見つけられないじゃない。

 …だけど見つかった。


「それだけ優秀な魔女と、公爵がやりとりをしたということだ。それなりの対価で」


 美しい指先が、スタンの唇を這う。

 その唇が、歪む。


「なるほどねぇ…」


 …なんか、ぞっとしたわ。

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