一縷の望み《短編フェス応募作》2

亜夷舞モコ/えず

一縷の望み

ある日のことでございます。彼の人が御座します極楽の、美しく清らかな蓮池の淵より一本の糸が垂れておりました。垂れ下がった糸は、蜘蛛の糸よりもか細くて儚い髪の毛を撚り合わせたような拙い糸でありました。糸の先は、地獄――ではなく、地獄のようにも思えるほどに冷え切った現世で、多くの者たちが餓鬼のように飢え、疲れ切っております。

 天より降りた糸の先には、一人の男に繋がっておりました。他の誰よりも辛そうな顔をして、目は血走り、濁りきっております。もう何日も着込んでは、饐えた臭いを放つ彼に周りの目は異常者を見るようでありました。そんな彼の手には、これもまたボロボロのリュックがありまして、その中に時折心配そうに手を入れてみては出し、入れてみては出すといった怪訝な動きを繰り返しております。

 彼の目の先に、幼稚園がありました。

 平日の昼過ぎ、にぎやかな子どもの声がしております。先生たちのきびきびとした声も。

 彼は幼稚園の様子をじっと眺め、カバンの中身の刃物に手をかけようとしたときのことでありました。

 でも、彼はそれを止めました。

 何かに後ろ髪をひかれたように、やめてしまったのでありました。本当に引かれたように。

 

 蓮池のほとりで、お釈迦様は笑いかけます。

 自らの手を真っ赤に染めてまで髪の毛の糸を強く引いた彼女に。残してしまった子の強行を止めた彼女に。その愛に、そっとほほ笑まれたのでありました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一縷の望み《短編フェス応募作》2 亜夷舞モコ/えず @ezu_yoryo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ