看病・交・電話

少し背筋が伸びて目を開き、思わず下唇を噛んでしまった。

以前、俺が淹れた無味無臭のコーヒーにBが興味を示してくれた時のような感覚が、蘇った。

しかし今回の感覚はそれよりもずっと強く、全身に生温かい衝撃を与えてゾクゾクと伝わった。


「わ、わかった」


俺のせいでこうなっているのはわかっているが、まさかこんなダイレクトに心から頼ってもらえるなんて。契約書にも書いてない、口約束をしたわけでもないBの率直な願いを、叶えたいと思ってしまった。


「やっぱり見下されてるのうざいからどっかいって」


前からうざいだのきもいだのは言われ飽きてるので、この発言も、子犬が威嚇してくるように可愛く見えてくる。


「じゃあ、Bの屋掃除してていい?」


「うん」


立ちあがろうとしたが、さっきの熱い感覚をもう一度味わいたいと思い、Bの額に手を添える。さっきの感触と同じ、まだ熱い。


額に当てた手のひらをBが剥がして、目元に移した。Bの苦しそうにしていた口元が少し緩む。離れようとすると弱々しい手で俺の手が離れないように抑えてきた。


「だめ」


と、か弱い声で言われてしまって、また全身に虫が這う。でも気持ちがいい。とりあえずここで少し、落ち着くしかない。


Bの部屋の周りを確認する。そういえば、漫画と雑誌が山積みになっているところは手をつけていない。今はBがいるし「山積みになってるとこ、片付けてもいいかな」とBに確認しようとすると、Bは手に力が無くなっており、口元が完全に緩んで、すーすーと寝息をかいていた。頼まれていないが、手を離し、ブランケットをそっとかけた。


俺は漫画と雑誌のところに向かって整理を始めた。


よく見ると、Bのあまり興味のなさそうな、結婚だの、車、競馬、あとは多分少女漫画みたいな雑誌がたくさん積まれている。ほとんどに砂が入っていたり、その辺で拾ってきたかと思うようなものばっかりだった。


まとめて縛ってを繰り返していると、さっきまでとは異なる、独特な汚れ方をした本が目に入った。奥からカビが生えていて、色褪せた漫画から淡い深緑が点々と見え始めた。

具合が悪くなりそうな酸っぱい匂いで匂いで鼻が折れそうだ。

雑誌をまとめていくと、不気味な木箱が現れた。鍵はなく、網目状になっていて一枚一枚は薄っぺらい木の皮のようなものなのに、頑丈そうだった。中を開けると、手のひらサイズの黒光りしていて角張ったものが見えた。

とって見てみると、二つの同じ形の物が重なっていた。

分けてみると、それらは軸で繋がっていた。

開くと、光を放ち始めた。十八時四十分と横文字で書かれていて、ボタンらしきものも光だした。俺の知っている文字と数字が刻まれていた。恐る恐る真ん中にあるボタンを押すと、


▶︎れんらくさき

 せってい


と横字で縦にに並んでいる。『れんらくさき』を見ると、


『ダグラス・メイデュー』


という名前が目に留まった。

いっぱい名前があるけど唯一知ってる名前だ。

急いで、ポッケの中に入れておいた名刺の名前を確認した。

やっぱり。同じ名前だ。Bはこの人を知っているのか。でも、木箱の中に、しかも雑誌を山積みにして隠していた。何のために。

▶︎でんわ

 メール

これもしかして、昔のスマートフォンなのか。Bの寝息が急に大きくなった気がして、咄嗟にポッケに隠した。


急いで、でも静かに木箱も元の状態に戻して、縛っていた雑誌や漫画を解いて隠すように元の山積みの状態に戻した。

Bはまだ、起きそうになかった。

足音を立てないようにBの部屋を出て、こっそり玄関を開け外に出る。

Bに隠し事を始めたからか、寒さが心臓にまで深く刺さるようだった。

貧血になりそうだ。

ブルっと体を振るわせ、名前を押して、『でんわ』と書いてあるところを震えながら押した。

緊張する。

音楽が鳴り始め、少しして止まった。微かに声が聞こえてきたので、唾を飲み。ひっそりと耳に当ててみた。


『おい、おいB。こちらから連絡すると言っただろ』


この声、やっぱりそうだ。俺の救世主。体が緊張に蝕まれそうだ。


「ち、違うんです。俺、Bじゃないんです。」


『誰だ。殺し屋のBが殺されちまったか?』


殺し屋?Bが殺し屋?Bの


(私のことはせんさくするな)


という声が聞こえた気がした。


「殺してなんかない!」


と構わず反射で話してしまった。


『ははん、きみかねシモ』


「シモ?俺はゼブラだ。」


『ほおそうか。いい名前をつけてもらったなシモ。お前らしい名前だ。』


謎が謎を呼ぶ。ハッと、俺は伝えたいことがあるのを思い出した。


「あ、あの、コインランドリーでは助けてもらって、ありがとうございました。」


一間の沈黙が訪れる。強く、風が吹いた。


『きみか、きみなのか。はっはっは。やっぱりそうだったか、面白いこともあるもんだ。』


一瞬驚いたような声をしていたが、急に声色を変えて、まるでいいニュースをもらったかのように彼は続けた。


『最初に見たときにそうじゃないかと思ってね、いやよかった。私の会社に来たまえ。いやあ、きみにはね、最高の環境を用意するように言われているんだよ。最高の食べ物に、最高の酒、それに』


俺が求めていない言葉がどんどん出てくる。最高の食べ物はちょっと気になるけど。

でも、Bから離れるわけには行かない。


「俺が言いたかったのはそれだけなんで」


『よし、私の名刺の裏に、会社の住所があるはずだ、そこに向かって』


「文字があまりわからないんだ」


『そうか、ではこちらで車を手配しよう。Bのことも教えてやる』


私の言葉を半分無視して彼は続けた。Bのことも気になるけれど、(私のことはせんさくするな)と言われているし、知っても何も変わらないだろう。


「大丈夫です。」


『Bが、きみを殺すために拾ったとしても?』


一瞬、黙ってしまった。その瞬間に、Bがカフェでニヤリと笑った表情を思い出した。


「じゃあなぜすぐに殺さない。いつだって俺のことを殺せたはずだ」


『騙されているんだよ。きみはBのことをなにも知らないんだろ。殺す命令が来るのを待っているんだ』


俺を殺そうとした荒いナイフを持ったあいつの顔を思い出す。あいつを追い出して、俺のことを助けてくれた救世主が、あいつと、同じことを言っている。


『もしきみがこれ以上知りたくないというのなら、私は忙しいからここで切らせてもらうよ』


「待って、わかった、わかった。明日の午後四時、今日会ったコインランドリーだ。」


『あいわかった。丁重にお迎えするよ』


プープープー


電話が切れた。


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