コインランドリー

 シルエットからでもイライラしているのがわかり、あまり近づきたくない。


 でも、俺には近づかなきゃいけない理由がある。


 肩に力を入れながら、ズズ、ズズと嫌がる脚を滑らせて少しずつ部屋の前まで行き、今にも鬼に変わりそうなBの声に恐る恐る耳を傾けた。


「ねえ盗った?殺すよ?」


 Bの殺すに直接的な意味は含まれていないとは言え、これ以上彼女に刺激を与えてはいけない。簡潔に、Bでも分かるように話さなければならない。閉まっている引き戸の前で、手を胸に当てて脆弱なメンタルに鼓舞をする。


「と、とってない」


 そういえば、Bにヤバい男が入ったことをまだ言ってない。


「えっと、実は夜中に、知らない男がきて」


 シルエットのせいで、いつもよりBがデカく見える。やはりもう鬼に変身してしまったのだろうか。


「つまり、電気をつけたまま鍵開けて寝ちゃったから、泥棒が入ってきて一直線に私のパンツが盗まれたってこと?」


 ちょっと違うが、おおむね正しい。


「そう」


「じゃあ全部お前が悪いじゃん」


 そう言いながら、シルエットが声と共にフェードアウトしてしまった。おそらく、不貞腐れて寝てしまったのだろう。


 こうなると彼女は聞く耳を持たなくなる。しかし今日は週に一度の洗濯の日だ。俺はコインランドリーに行くために服をまとめなきゃいけない。だってそうしないと怒られるから。


 二、三分引き戸の前でうだうだとめんどくさがった後、ようやく俺はノックした。荒っぽい音がBをまた怒らせるのではないかと心配になってしまう。


「入っていい?」


「入ってくんな下着泥棒」


 しかしこのままではBの着る服が一着もない。

「死ね、死ね」という怒りのこもった声が聞こえる。


「今日、洗濯の日なんだけど」


「ああもうご勝手に!いいよ!」


 部屋を開けると、Bはやはり布団の中にうずくまっていた。


 地雷を避けるように爪先立ちで歩きながら、部屋の隅にある大きなカゴを取って、恐る恐るBの服を詰めていく。その辺に落ちているものから、山になっていて汚いやつまで、とりあえずどんどん詰めていった。


 下着は特に丁寧に扱い、傷がつかないように洗濯ネットに入れて、慎重にジッパーを閉じた。


 確かに、セットアップなのに一つしかない。


「こっちだけ洗っちゃっていい?」


「キモい触んな」


 一瞬躊躇したが、Bの顔が隠れていることをいいことにパッと入れて、これでもかと散らかっている棚の上から、コインランドリー専用の小銭入れをとった。


「じゃあ行ってくるよ」


「帰ってくんな下着泥棒」


 反抗期のような反応をするBに別れを告げ、俺はカゴを持って玄関に向かった。

「そういや」

「何?」

「警察に行ったりしてないよな?」

 急になんの話だ。

「行ってないけど」

「なら良いの。冗談でもやめてね」

 なんで、なんで警察を呼んだらダメなんだ。理由を聞こうと一瞬口を開くが、表情筋は怯えて動こうとしなかった。

 とりあえず靴を履いて、俺もBみたいに手を振ろうと振り返ったが、Bはこちらを向いていなかったので、体を元に戻し、ドアノブを捻り身体でドアを押し込んだ。


 道路に出ると、夜中の出来事を一気に晴らすように日差しが差してきた。今日はいつもより少し暖かい。と思った途端、風がヒューヒューと高く鳴らして通り過ぎていった。やっぱり寒い。


 重く揺れる洗濯物で一緒に体も動いてしまい、バランスがとるために一度よいしょと持ち直す。手ぶらの方が好きだ。というか、俺は物を持つのが苦手なのかも知れない。


 赤信号で止まり、青信号で歩く。


 コインランドリーが見えると、もうひと踏ん張りと手から落ちそうになっていた洗濯物を再度持ち上げ、早くこの重たさに解放されたいと思いをエネルギーに現場まで向かっていった。ウィーン。


 コインランドリーの生温かさが、自動ドアの引力で俺の全身を舐め回す。次第に包まれていき、少しだけ呼吸がしづらいので湿度が高いということがわかる。


 洗濯と乾燥がどっちもできる一番大きな洗濯機に全部突っ込み、小銭を入れて洗濯機を閉めた。次第にぐあんぐあん音がと鳴り、五十分、と表示された。近くのコインランドリー側に向いているいつもの椅子に座って、俺はそれを見ながら待つ。


 ウィーン。


 出入り口を見ると、俺と同じようにカゴを持ったおばさんがせっせせっせとやってきた。

 一直線に動いている別の洗濯機に向かい、まじまじと見たあと、近くの椅子にぽすんと座った。

 よく見ると、カゴの中が空っぽだ。なるほど。待っている間に他のことをしに行ってもいいのか。といっても、俺は家に帰ったってやることがない。掃除をしてもどうせBに汚される。

 すると、座ったのにも関わらず俺を見つけてはすぐ立ち上がり近づいてきた。

 なんとなく、俺も立った。

 太っていて、背は小さいのにいろんなところがでかく、失礼だがたぬきのような体つきをしていた。髪の毛がふわふわしていて、紫色のぴちぴちの服を着ていて贅肉のラインが見えるおばさんだ。

 あっちから来ているのに、手招きをするようにこちらに手をぶんぶん振っていた。


「あらあ僕お手伝い?えらいわねえ、でも今日平日でしょ?学校は?お仕事されてないの?」


 と俺に手で扇ぎながら、答えにくい質問をしてきた。仕事中といえば、仕事中だ。でもおそらく、この人が言っているお仕事と自分がしているお仕事は違う。


 この人の言うお仕事はおそらく、スーツを着て、ビルの中に出たり入ったりすることを言っているのだろう。


「仕事は、女性のお世話ですかね」


 俺はとりあえずありのまま返した。おばさんは不思議そうな顔をしてから、心配しているのか相手のエピソードを楽しんでいるのかよくわからない顔でうんうんと頷いていた。


「あらあ。そうなのねえぇ、男の人も家事をする時代なのね。私の主人も少しくらい家事をしてくれたらいいんだけど、アハハハハハハ」


 勝手に自分のことを喋って、勝手に笑い出した。Bはこんなこと絶対にしない。いや、こっちが普通なのか?


「俺のところも色々大変ですよ」


「あらそう、頑張ってね」


 なんか、心のない頑張ってねを受け取った気がする。俺に興味あるんだかないんだか。おそらく、この人は俺の話には興味がなかったんだろう。強引に話して見るべきだっただろうか。住む場所が違うと、会話の仕方も違ってくるのか。同じ言語なのに不思議だ。


 ピーピー。


 音の鳴る方を見ると、おばさんの洗濯物が終わったらしく、服を一回カゴに全部入れて、その後に一枚ずつ部屋の中にあるテーブルに服を出し、丁寧に畳み始めた。なるほど、ここで畳んじゃうのもアリだな。終わったらすぐに入れて帰ってしまうので、相手が同じ状況で違うことをしているのを見て、おお。と少し感動した。畳み終えたのか、かごを重たそうに持って、ペコっとお辞儀した後、せっせっせと歩いて出ていった。ウィーン。


 おばさんを見送った後、少し体を持ち上げて自分の使っている洗濯機の残り時間を確認する。

 ウィーン。

 四十一分。まだまだだな。何もすることがないし、寝るか。と思い、後ろ歩きで体を椅子にドスっと預けた瞬間だった。


「やあ。」

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