第30話


「坊ちゃんに相応しい相手はマグリット様しかおりませんよ!」


「マグリット様さえよければ使用人などと言わずに、是非奥様にっ……」



マイケルの言葉を遮るようにイザックは大きく咳払いをして、二人をマグリットから引き離していく。



「いいえ、イザック様に相応しいのはマグリット様しかおりません!このチャンスを逃してはなりませんぞ!」


「これは運命の出会いですっ!坊ちゃんのあんな優しい表情をシシーははじめて見ましたわ」



同時に話す二人が何を言っているのかマグリットにはわからなかったが、イザックに向けて必死に何かを訴えかけていることだけはわかった。

呆然とするマグリットにイザックから声が掛かる。



「マグリット、嘘をついていて本当にすまなかった」


「いえ……」


「騙すような形になったこと、なんてお詫びすればいいかわからない。食材にも腐敗魔法を使う者が触れていた。不快だったろう?」



イザックの言葉にマグリットは首を傾げた。

イザックが皆から恐れられているガノングルフ辺境伯だとしても恐ろしいという思いも微塵もない。


(もしかしてイザックさんがわたしや食べ物に触れるたびに怯えているような感じがしたのは理由があったのね……!)


マグリットはイザックの不思議な行動の理由を一カ月経ってはじめて理解することになる。



「不快だなんてありえませんよ!」


「……!?」


「それに腐敗魔法を使うことと、イザックさんが触れることは別でしょう?」


「…………だが、噂が」


「噂は噂です。一カ月一緒に過ごしてイザックさんが優しい方だと知っていますし、わたしは体調も崩していなければ怪我もしていません」


「……!」


「食材を腐らせたりもしていないじゃないですか!なにも問題はありませんよ」



これはマグリットの本当の気持ちだった。

あれだけ恐れられているガノングルフ辺境伯だが噂が一人歩きしているだけだとすぐにわかる。

むしろマグリットの夢を叶えるチャンスを一カ月も伸ばしてしまい、どうして気づけなかったのかと悔しい気持ちばかりが込み上げてくる。


イザックは何故かはわからないが額に手を当てており表情が窺えない。

マグリットがイザックの言葉を待っていると彼は額から手を退ける。

すると笑みを浮かべながらこう言った。



「マグリット、ありがとう」


「……?はい」


「お詫びになんでもいうことを聞こう」



イザックの言葉にマグリットの肩がピクリと動く。



「な、なんでもですか!?」


「ああ、復讐には手は貸せないが……確か料理がなんとかと言っていたな」


「そうなんです!私、イザックさんと一緒にやりたいことがあって」



マグリットは興奮から再びイザックの手を掴む。



「わたしっ、わたしは……!」


「落ち着け、マグリット。それと……よだれが垂れているぞ」


「はい、申し訳ございませんっ!」



マグリットは慌ててよだれを持っていたハンカチで拭う。

やっと夢への第一歩が踏み出せるのだ。

今、マグリットの頭の中には日本食のことしかなかった。


(な、なにから頼もうかしら……!まずは味噌!?絶対に味噌よね!魚が近くにあるなら醤油も絶対に外せないわ)


マグリットはネファーシャル子爵邸から持参してきたメモやノートを高速で取りに行く。

いつか作れたらとレシピを書き残しておいてよかったとこれほど思ったことはない。

そして肩を揺らしながら三人の前に立ちノートを見せる。



「イザックさんにはある調味料を作るために協力してもらいたいのですっ!」


「……調味料?それと俺の魔法の力が何の関係があるんだ?」


「それにはイザックさんの魔法の力が必要なんです!この力があればわたしはっ」


「マグリット、少し落ち着いてくれ」


「つまりですね、わたしは……っ!とりあえず一緒に発酵してくれませんかっ!?」

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