第8話
実際はガノングルフ辺境伯は結婚にまったく前向きではないということも知らずにマグリットが持ってきたのは数冊のレシピ本と愛用の料理道具だけ。
なんせガノングルフ辺境伯までは遠い道のりとなる。
マグリットは二日かけて辺境の地へと向かうのだ。
とにかくコルセットが辛く苦しいため持ってきたナイフですぐにきつく縛ってある紐を切ってしまう。
休憩を挟みつつ仲良くなった御者と二日間の旅を楽しんでいた。
旅路は順調で風が暖かくて気持ちいい。
御者が「天気が崩れると思ったのですが、運がよかったですね」と言った。
マグリットが空を見上げると雲一つない青空が広がっている。
そんな時、マグリットのお腹がグゥと鳴る。
持たされたお金は宿に泊まる分だけだった。
最後だというのに随分とケチくさい。
貰えただけありがたいと思うべきだろうか。
しかしマグリットは前向きだった。
(工夫して、この旅を最高のものにしましょう!)
安い宿を選んで知らない街で食材を購入して御者に手料理を振る舞った。
御者の故郷の料理について聞きつつレシピをメモする。
美味しい料理を食べながら楽しく辺境の地へと向かった。
この世界には見たことのない食材がたくさんあるようだ。
御者はネファーシャル子爵家の令嬢が手料理を行い、慣れた様子で馬の世話をしていることに驚いていた。
御者はガノングルフ辺境伯のものではなく王家から手配された人のようだ。
その話を聞いてマグリットがアデルではないと言えばネファーシャル子爵家も終わりだなと頭によぎるが、次第に潮の香りが鼻腔を掠めるのと同時にどうでもよくなってしまう。
(海の匂いがするわ!やっと、やっと生魚が手に入るのね……!)
王都は内陸部にあり、保存もできないため生魚はない。
出回っていたとしても干したカピカピな魚で、塩っ辛くて食べれたものではない。
できれば焼き魚や刺身を食べたいと思うのは日本人としての記憶があるからだろう。
ガノングルフ領は海の近くということでマグリットは期待していた。
馬車が到着して固くなった体を伸ばす。
仲良くなった御者に大きく手を振りながら別れた。
(ここがガノングルフ辺境伯邸……?)
マグリットの想像とはまったく違う古びた屋敷は柱や窓枠、扉も錆びていて窓は汚れている。
周りを葉や蔦で覆われており、人が住んでいるのか不思議に思える。
(すごいわ……これがガノングルフ邸。お化け屋敷みたいね)
マグリットは大きな荷物を持ちながら足を進めていく。
大きな扉の前に立ち、控えめに戸を叩く。
すると扉が開いて目の前に立っている人物を見上げていた。
「……余計なことを」
目元を覆うオリーブベージュの髪と口元には無精髭。
チラリと見えたエメラルドグリーンの瞳から敵意すら感じる。
どうやらまったく歓迎されていないようだ。
ただならぬ圧力を感じていたが挨拶は大切だと思い、マグリットは怯えを見せることなく男性に軽く頭を下げて口を開く。
「はじめまして、マグリットと申します」
「…………マグリット?」
「はい。マグリットです」
この雰囲気にマグリットは早々に自分の名前を明かす。
最初からマグリットは自分がアデルではないと明かすつもりでいた。
ネファーシャル子爵家について気遣う余裕はない。
それに子爵たちもこうなることはわかっていてマグリットを行かせたはずだ。
(いや、わかってないか……)
心の中で突っ込みを入れていた。
あれだけ雑に扱っておいて、マグリットがネファーシャル子爵たちを気遣うと思っているのだろうか。
もしそうだとしたらおめでたすぎて笑ってしまう。
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