ヒカリの音を奏でて

咲翔

第1話


 図書室は、ひどく空いていた。

 

 外は雨なのに……それにしては人が少なすぎると首をひねっていた僕だったが、その疑問はすぐに解決した。今が、放課後だからだ。


 みんなは部活をしているに、違いない。そういえば、いつもここに来るのは昼休みだったから、放課後の図書室に入るのは初めてかもしれないな。


 ……なんて一人思いながら、本棚のあいだを縫って歩く。


 雨粒がグラウンドを静かに叩く音がする。それと同時にトランペットの音もした。


 ドーレミファソラシドー、


 ドーシラソファミレドー。


 正確な音出し。一分の狂いもない、鮮やかな色が見えるような、金管楽器の音色。誰か、先輩が吹いているんだろうな。


 ドーレミファソラシドー、


 ドーシラソファミレドー。


 そんな明るい音とは裏腹に、僕の心には後ろめたさが広がる。暗く、黒いその感情に、僕は逃げ出しくなる。「また失敗するから。また演奏を止めるから。僕なんかいない方がいい」なんて。部活を休む理由を勝手につけている僕は、今、どうしようもなく情けない人間だ。


 別に本が大好きというわけではない。人並みには読むけれど、作家の名前も数人しかわからない。でも、部活をサボるとしたら、行き先は図書室しか思いつかなかった。たぶん、吹奏楽部がやっている音楽室から、一番遠い位置にあるからだ。それとも、高い本棚が、情けない僕の小さな体を、隠してくれるとでも思ったのかもしれない。


 ごめんなさい、みんな。


 心の中で謝りながら、本棚のもっともっと奥へと進む。うちの中学の図書室は、蔵書数市内ナンバーワンを誇るらしい。昔誰かから聞いたな、と思いながら、校庭側の窓へと辿り着いた。雨が一直線に落ちてきて、茶色い地面を黒に塗りつぶしていた。


 しばらくそのまま、ぼーっとしていた。雨を見るでもなく、空を見るでもなく。アルミの窓枠で切り取られた一つの絵を見ているような感覚。その動く絵は、酷くつまらなかった。ザー、ザー、ザー。雨粒がサッカーゴールを、ホームベースを、濡らしていく。トラックの白線はもう消えた。遠くの方では、工場の煙が雨に負けじと上がっている。


 全部が灰色。


 まるで僕の心みたい、なんて巫山戯てみて。一人笑う。


 そのときだった。叩きつけるような雨が、ふとやんだのだ。やんだというよりかは、小雨に変わったと言ったほうが正しいかもしれない。その細い雨粒を、追いかけるうちに、灰色だった空が――


 光り始めた。


 雲の隙間から、定規で引いたみたいにきれいな、白い線が差してきた。


 眩しい。


 薄いグレーとまばゆい白が目に映る。何本も、天から降り注ぐ光線。それらが、優しいスポットライトみたいに、街を包み込んでいる。



 「きれい…………」



 僕の声。知らず知らずのうちに、漏れていた。ただその光景を表す言葉を、模索していたら、それしか思い浮かんでこなかったのだ。




 「きれいね…………」



 「え?」



 知らない「音」がした。


 いや。本当は声だったんだけど、僕はそれをどうしても「音」と形容したかった。だってその声は、とても美しかったから。


 僕はその音の主を見た。


 彼女も同時に、こちらを見た。


 目が、合う。


 その三つ編みがかわいらしい、丸眼鏡の少女は、しっかり僕の目を捉えて。


 そしてふわりと笑ったんだ。


 「きみ、名前はなんて言うの?」

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