第24話 戸惑いの心

 森の中で木陰に腰を下ろしたキュアは一人、深い溜め息を吐いていた。


 シャサールに冷たくあしらわれたところで、特に何とも思わなかったハズなのに。


 それなのにこんなに気に病んでいる自分が、逆にショックである。


(そりゃ、私も悪かったかもしれないけど……)


 大切な妹の顔面をぶん殴ったのだ。

 怒られても仕方のない事をした。

 だけど……。


(でもちゃんと謝ったじゃない! それなのに怒るってどんだけ心が狭いのよ!)


 それが本音ではあるが、それでも少しは反省をしながら、キュアは少し前に起こった出来事を思い出す。


 分が悪いと判断したキュアは、シャサールに縋り付くアルシェをぶん殴る事で引き剥がし、シャサールを連れてここまで逃げて来ていた。


 幸い、エルフ達が追い掛けて来る気配はなく、上手く逃げ切る事が出来たのだが、そこでまた別の問題が発生してしまったのだ。


 そう、その問題こそが、アルシェをぶん殴った事に対してシャサールが激怒した事である。


「何故アルシェを殴った? 殴る必要はなかっただろう?」


 その問いに、キュアは言葉を詰まらせた。


 確かにシャサールの言う通りであるからだ。


 アルシェを殴らずとも、ただ突き飛ばす事によって、シャサールからアルシェを引き剥がす事が出来たかもしれないし、そうでなくとも、シャサールの名を呼べば、彼は自らの意志で一緒に逃げてくれたかもしれない。


 他にも、シャサールを見捨てるという選択肢もあった。

 シャサールはアルシェの兄だ。見捨てて来たとしても、悪いようにはならなかっただろう。

 まあその代わり、あちら側に丸め込まれ、自分達の敵になった可能性は否めないのだけれど。


 だからあの時、キュアがアルシェを殴るという選択肢を取ったのは、咄嗟に出た行動がそれだったとしか言いようがないのである。


「ごめん、あのままあそこにいたら危ないと思って。それで何とかして逃げなくちゃと思ったら、アルシェを殴ってシャサールの腕を引っ張っていた。咄嗟の行動とは言え、軽率な事をしたとは思っている。本当にごめんなさい」

「……。で、何でお前の家族がお前を襲った? スノウ姫を匿ってくれるんじゃなかったのか?」

「それは私も分からない。何でこんな事になっているのか、心当たりすらないの」

「……フン、話にならないな」


 呆れたように鼻を鳴らしてから、シャサールはクルリと踵を返した。


「どこ行くの?」

「お前にはこれ以上付き合い切れない。アルシェのところに行く」

「ごめんって、言ったじゃない」

「その謝罪に何の意味がある? お前が暴力を振るった事で、アルシェは心にも体にも傷を受けたんだ。心配するのは当たり前だろう」

「……」

「別にお前の邪魔をしようとは思っていない。スノウ姫を逃がすも、無実を証明するも勝手にしろ」


 そう言い残すと、シャサールはその場からさっさと立ち去って行ってしまったのである。


「……」


 無言のまま、キュアは深い溜め息を吐く。


 本来であれば、早くスノウやカガミの後を追わなければならないと言うのに。

 ダークに追われていた二人を心配し、すぐに助けに向かわなければならないと言うのに。

 それなのに何故かそんな気になれない。

 体が重い。

 頭が重い。

 心が重い。


 それは、どうしてだろうか。


(手を伸ばせば、シャサールは立ち去らなかったんだろうか……?)


 そっと、右の掌を眺める。


 アルシェの下に向かうと言うシャサールの腕を掴み、悪かったと謝り、行かないでと願えば、シャサールはここに残ってくれたのだろうか。


(いや、残らない。だってシャサールはアルシェの事を溺愛しているんだもの。私がどんなに頼んだって、シャサールはアルシェを選ぶに決まっている)


 そもそも何故、こんな事を考えているのだろうか。

 だってシャサールがアルシェを選ぼうが、そんなのは別にどうでも良い事じゃないか。

 スノウを逃がす事には成功したのだ。後は彼女とレオンライトを会わせる。そうすればレオンライトはスノウの力となり、彼女の無実を証明してくれ、全てが解決される。

 そこにシャサールがいようがいまいが大差はない。

 ただ彼があ傍にいてくれたら安心する、頼りになる、それだけの違いだ。


 そう、それだけの違いなのに……、


(何で、こんなに心が重いんだろう……)


 眺めていた右掌をギュッと握り、そっと瞳を伏せる。


 シャサールを怒らせた。

 シャサールが自分を選んでくれなかった。

 シャサールがいなくなった。

 たったそれだけの事なのに。


 それだけでこんなに悲しくなる自分の感情が、よく分からない。


(駄目だ、しっかりしないと。私はスノウ姫の無実を証明して、レオンライト王子と幸せになってもらうために、八人目のエルフとして転生したんだから。こんなところでいつまでも落ち込んでいるわけにはいかない)


 そうだ、この際、エルフの仲間達が何故敵に回ってしまったのかも、シャサールがアルシェの下に戻ったのも、どうでも良い。

 重要なのは、スノウをレオンライトと会わせる事だ。

 こんなところで立ち止まっている場合じゃない。

 早く二人を追い掛けなくては!


 しかし、キュアがようやくそう決意した時だった。


「キュア! ここにいたか!」

「は?」


 何故か懐かしく感じる声が聞こえ、キュアはハッとして顔を上げる。


 視線の先にいたのは、緑のエルフこと、ウィングであった。


「待て! 違う! オレは敵じゃない! 味方だ、味方! それだけは間違えないでくれ!」

「は……?」


 エルフはみんな敵。

 そう思い込んでいたキュアは、問答無用でウィングに襲い掛かろうとしたが、それを察したウィングが、自分は敵じゃないと慌てて主張する。


 彼を疑いたいわけじゃない。

 しかし気を許したところで突然襲い掛かって来る可能性がないわけじゃない。

 本当に、彼は味方なのだろうか?


「本当に?」

「本当! 本当だって! その証拠にほら、オレの周り、他には誰もいないだろ?」

「……。分かった。じゃあ両手を上げて、私から七メートル離れて」

「全く信じてねぇな!」


 けれども、ここで敵だ味方だと言い争っている場合ではない。

 キュアに言われた通りに離れて両手を上げると、ウィングは彼女に声が届くように、若干大きめの声で用件を伝えた。


「ヒカリが捕まった!」

「は!? 何て!?」


 まさかの事態に、キュアは大声を上げると、驚愕に目を見開いた。


「捕まったって誰に!?」

「誰って、ファイ達にだよ! アイツらアルシェが来てからおかしくなってさ! それでヒカリを殺そうとしていたんだよ!」

「待って、意味が分かんない! 何でアルシェが来てファイ達がおかしくなると、ヒカリを殺そうとするの!?」

「そんなんオレだって分かんねぇよ! ただ、オレの知っている話をすると……」


 ウィングの話を纏めるとこうだ。


 今朝、カラスの新聞屋が持って来た新聞を見たウィングは、スノウを逃がした桃色のエルフがキュアだと覚り、この先の自分の行く末が不安になって気を失った。


 その後、自室で目を覚ましたウィングがキッチンへと向かうと、何やら騒がしい声が聞こえ、扉の隙間から中の様子をこっそりと窺う事にした彼は、聞こえて来た話に我が耳を疑った。


 何やらアルシェを問い詰めている様子のヒカリであったが、仲間であるハズのエルフ達は、全員が嘘泣きをしているアルシェを庇い、ヒカリを咎めていたのだ。


 しかも聞こえて来た話から察するに、アルシェの持つ浄化の矢で、キュアの胸を貫くか貫かないかで揉めているらしい。

 何でキュアに浄化の矢が必要なんだと疑問に思うウィングであったが、事態は予想にもしていなかった、最悪の方向へと向って行く。

 話の通じなくなったエルフ達を見限ったヒカリを押さえ付け、ライが浄化の矢とやらで射殺そうとしていたのだ。


 状況は上手く把握出来ないが、このままではヒカリは意味の分からない理由で殺されてしまう。


 そう直感したウィングは、慌ててキッチンへと飛び込んだ。


「待て、止めろ!」

「あ、ウィング!」

「良かった、気が付いたんだね」

「今、浄化の矢でヒカリに憑いている誘惑の魔女を祓うところなんだ。これが終わったら状況を説明するから、ちょっと待っててくれ」

(誘惑の魔女? 何だそれ?)


 それが何だかは分からないが、とにかく止めなければならない。

 しかし失敗すれば、自分もヒカリのように取り押さえられ、彼女の二の舞となってしまう。


 それはいけない。飛び込んだ意味がない。


 何とかして思い留まってもらわなくては……。


「は、話はちょっとだけ聞いていた。その、誘惑の魔女ってのは、キュアにも取り憑いているのか?」

「そうだよ」

「キュアちゃんに取り憑いて、スノウ姫と手を組み、アルシェちゃんのお兄さんを取り込んで世界を掌握しようとしているんだ」

「って事は、キュアに取り憑いている魔女も、祓うつもりなんだよな?」

「え? そうだけど……?」

「だっ、だったらさ、ヒカリにその浄化の矢とやらを使うのは、ちょっと勿体なくないか?」

「え?」

「何で?」

「浄化の矢って言うくらいだ、その数は少ないんだろ? 沢山あったら、有難みがないもんな?」

「え?」

「そうなのか、アルシェ?」

「え……? あー……そうね、沢山あったら有難みがないもの。当然、数は少ないわ」

「どれくらいあるんだ?」

「え? ……三本くらい?」

「だっ、だったら、それを今ヒカリに使ったら、二本以内でキュアを仕留めなきゃなんなくなる。アイツ、勘は鋭いし、無駄に良く動くし、岩を投げられるくらい力もあるし! 二本じゃ無理だって! 三本はないとな! 三本は! なっ? そう思うだろッ!?」

「まあ、確かに……」

「二本じゃ無理かも……」

「でも、それじゃあ、ヒカリに憑いている誘惑の魔女はどうするの?」

「ヒカリはどこかに閉じ込めておこうぜ。それで、キュアの魔女を祓った後に、残った矢で、ヒカリの魔女も祓ってやった方が効率的だ。な? そう思うだろ?」

「まあ、確かに……」

「ヒカリは閉じ込めておいて、キュアの後に浄化した方が良いかも……」

「な、アルシェ、お前もそれで良いだろ?」

「え? あー、まあ、私はあの女をころ……そうね、確かにキュアさんを優先するべきだと、私も思うわ」

「まあ、アルシェちゃんがそう言うのなら……」

「そうするか」


 と、何とかアルシェとエルフ達を説得出来た事により、ヒカリは殺される事なく、エルフの家のどこかに閉じ込められていると、ウィングは説明を終えた。


「……ってわけだからお前、何か誘惑の魔女に取り憑かれていて、それを祓うために浄化の矢で殺される事になってんぞ」

「ねぇ、それも解せないけど、あの女、私の事を殺すって言い掛けていなかった?」


 まあ、それはそれとして。

 なるほど。それで自分は執拗に矢で狙われていたのか。


「とにかく、オレはこの事をお前に伝えなきゃなんねぇと思って、アイツらがお前達を襲撃している隙に家から抜け出して来たんだ。それと、スノウ姫の事は心配しなくて良い。姫の方にはクマが向かっているハズだからな。何とかダークから逃がしてくれているだろう」

「え? クマって味方なの? 急に襲って来たから、私はてっきり嫌われたのかと思ったんだけど……」

「あれは襲ったんじゃなくって、お前達に危険を知らせていたんだよ。家に近付くな、危ないって」

「えっ、そうだったの!? クマ、マジ天使!」

「まあ、それはそれとして、だ」


 取り敢えずその話は置いておくとして。

 ウィングは、表情を固め直すと、改めて用件を口にした。


「オレはスノウ姫達を追い掛ける。クマも心配だしな。だからキュア、悪いけどお前は、ヒカリの救出に向かってくれないか?」

「ヒカリの救出に?」

「ああ。あの家のどこかに閉じ込められているハズなんだ。だから酷い事をされる前に、何とかして助け出してくれ」

「……何であんた一人で逃げて来たの?」


 一緒に逃げて来れば、その手間いらなかったのでは?


「えっ!? そ、それはオレにも色々都合があってだな……い、一緒に逃げられなかったんだよ!」


 そう言い訳をするウィングに、若干の焦りが見えるのが怪しいが……。


 しかしこの話が本当であれば、ヒカリを助けに向かわなければならない。

 スノウ達の方にはクマが行っているらしいし、ウィングも向かってくれると言うので、放っておいても大丈夫だろう。


(そうよ、ヒカリを助けに行くのよ。別に、ついでにシャサールの様子を見て来ようか、思っているわけじゃないんだから!)


 そう言い訳する事自体が、彼の事が頭から離れていない証拠なのだが、その事自体に気付いていないキュアは、分かったと首を縦に振った。


「分かった、ヒカリは私が助けて来る。ウィングはスノウ姫をお願いね」

「ああ、任せろ」

「姫に何かあったら、その自慢の緑髪、全部毟ってやる」

「何で毛ッ!?」


 咄嗟に頭を押さえるウィングはさておき。

 キュアはウィングの横を通りすぎ、そのままエルフの家に向かって、一目散に駆け抜けて行った。


「……悪いな、キュア」


 遠ざかって行く彼女の背中に向かって、ウィングはそう呟く。


 緑のエルフが敵なのか味方なのかは、まだ定かではない。

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