第22話 離反

 昨日出掛けたばかりのハズなのに、久しぶりに帰って来たような気がする我が家。

 そしてその庭にデンッと構えている、見覚えのある大きなクマ。


 そうだあのクマは、昨日自分の愚痴を聞いてくれた良いクマではないか。


「あ、クマだ。でも、何であんなところにいるんだろう?」

「危険だな。よし、すぐに片付けてやる」

「え、ちょっと待ってよ! あれは良いクマなんだから! 余計な事しないで!」

「はあ!? 余計だと……っ!?」

(と言うか、良いクマ、とは……?)


 そう思ったカガミであったが、それは敢えて口には出さないでおく事にした。


「良いクマですか。それでしたらキュア、そのクマさんに害はないのですね?」

「はい、もちろんです!」


 そう確認するスノウに頷くと、キュアはスタスタとクマに近付いて行った。


「こんにちは、クマ。ねぇ、どうしてここに……」

「ガアアアアアアアッ!」

「きゃあああああああッ!?」


 しかしクマに話し掛けた瞬間、クマが突然体を大きく体を揺らしながら、大声で威嚇して来る。


 それに驚いて一歩後退れば、シャサールが慌ててキュアとクマとの間に飛び込んで来た。


「何が大丈夫だ! どう見ても危険じゃないか!」

「ちょっと何してるのよ! そのクマには恩があるって言ったじゃない!」

「はあああ? アホか、お前は!」


 危険だと判断したシャサールが、弓矢をクマに向けようとするが、それをキュアが掴んで阻止する。


 どう見たって危害を加えようとしているクマに、シャサールが怒鳴り声を上げながらキュアを説得しようとするが、それよりも早く、クマが二人に向かって大きく手を振り上げて来た。


「ガアアアアアアアッ!」

「キュア! シャサール!」

「ちっ!」


 悲鳴にも似たスノウの声に小さく舌を打つと、シャサールはキュアの体を押し倒し、その身を守るようにして彼女に覆い被さる。


 その鋭い爪に斬り裂かれ、きっとすぐに激痛に襲われるだろう。

 もしそれが原因で死んだら、キュアに取り憑き、一生独身を貫かせ、あの世で自分と結婚させてやる。


 ある意味恐ろしい事を決意しながら、シャサールはギュッと目を瞑る。


 その直後、聞こえて来たのはスノウとクマの悲痛の声。


 しかし覚悟していた激痛には襲われず、シャサールは恐る恐る目を開く。


 見上げれば、クマの腕に突き刺さる見覚えのある矢。


 これは……。


「キュア! シャサール! ご無事ですか!」

「危険です、姫! 離れてッ!」


 慌てて二人に駆け寄ろうとするスノウを、カガミが慌てて自身の背後へと庇う。

 クマも危険だが、それよりもクマに撃たれた矢だ。

 その持ち主がスノウを狙っている可能性もある。

 その者……おそらくは暗殺者から、スノウを守らなければ……!


「クマっ! 大丈夫!?」

「あ! おい!」


 その見覚えのある矢に呆然としているシャサールの隙を突き、キュアが彼を押し退け、クマへと飛び付く。


 そして矢を引き抜き投げ捨てると、クマの腕の傷に手を翳した。


(私の治癒魔法でどこまで治せるか……)


 呪文を唱えれば、うっすい光がクマの傷を包み込む。


 多少癒す事は出来るが、それでも完璧に治す事は出来ないだろう。

 何とか血を止めるところまで出来れば良いのだが。


「これは……」


 怪我を負い、大人しくなったクマを確認してから、シャサールはクマの腕に刺さっていた矢を拾い上げる。


 見間違えるハズもない。


 この矢は溺愛する妹、アルシェの物ではないだろうか。


「アルシェ?」

「え?」


 何とか血は止まり、これ以上は魔法を掛けても意味がないだろうと判断したキュアが顔を上げた瞬間、シャサールから聞こえて来たその名にキュアは訝しげに眉を顰める。


 そんなキュアが見ている事を知ってか知らずか、シャサールは拾い上げた矢を見つめながら更に言葉を落とした。


「これは、アルシェの矢……?」

「な……っ!」


 その言葉に、キュアはハッと目を見開く。


 アルシェと言えば、ヤミィヒールを殺し、その罪をスノウに被せ、最終的には世界を乗っ取ろうとしているもう一人の転生者ではないか。


 その転生者の矢が、クマに刺さっていた。


 何で?


 それは、その矢でここにいるスノウを、亡き者にしようとしたからではないだろうか。


「あの女……っ!」


 そう直感したキュアは、近くに落ちていた大きめの岩を両手で高々と持ち上げる。


 そして矢が飛んで来ただろう方向にある叢に向かって、それを思いっ切り投げ込もうとした。


「よくもスノウ姫を! 死にさらせぇぇっ!」

「ま、待て! 何をするつもりなんだ!?」


 しかしそんなキュアを、シャサールが慌てて取り押さえる。


 何をするつもりなんだも何も、おそらくキュアは、矢を放っただろうアルシェに向かってこの岩を投げ付けるつもりなのだ。


 冗談じゃない。

 そんな事をされたら、アルシェが死んでしまうじゃないか!


「何って決まっているでしょ! スノウ姫を殺そうとしたあんたの妹に天誅を下すのよッ!」

「止めろ! そんな事をしたらアルシェが死んでしまう! そうでなくとも、アルシェの可愛い顔に傷が付く!」

「何言っているのよ! 先に手を出したのはあっちでしょ! やらなきゃスノウ姫がやられるのよッ!」

「いや、どちらかと言えば今の矢は、お前を狙って飛んで来たような……」


 と、そこでシャサールはハッとする。


 今の矢は、キュアを狙って飛んで来た?

 ならばアルシェは、キュアを殺そうとしていた?

 え、何で……?


 しかし、シャサールが感じた疑問に眉を顰めた時だった。


「その女から離れて、お兄様っ!」

「え……?」


 よく知った少女の悲鳴にも似た声が聞こえ、彼は思わずその動きを止めた。


「その女の言う事を信じては駄目! 目を覚まして! シャサールお兄様ッ!」

「な……っ!?」


 よく知った少女……妹であるアルシェの悲鳴に顔を上げたシャサールは、そこに見えた光景に驚愕に目を見開いた。


 叢から飛び出して来た妹が、今にも泣き出しそうな目で自分を見つめていたからではない。


 その彼女の近くにいた黄色のエルフが、叢に隠れながらその弓矢を真っ直ぐにキュアへと向けているのが見えたからである。


「危ない!」


 自分が矢を構え、その矢でエルフを撃ち抜くより早く、エルフの矢はキュアを貫くだろう。

 そう直感したシャサールは、キュアを安全圏に突き飛ばし、自分自身もその場から飛び避けた。


「っ!」


 その直後、エルフの放った矢が勢いよくその場を通り過ぎて行く。


 何故か敵意を見せる、妹と黄色のエルフ。


 エルフを頼る事は出来ないと判断したシャサールは、咄嗟にカガミに向かって声を張り上げた。


「カガミ! 姫を連れてどこか遠くへ逃げろ!」

「え?」

「早くしねぇと殺す!」

「っ!」


 何が起きているのかは分からないが、とにかくスノウを連れて逃げなくてはならない。


 そう判断したカガミは、スノウの手を掴むと、勢いよくその場から駆け出した。


「逃がさない!」

「ダーク!?」


 しかしその直後、どこからか現れたダークが、逃げて行く二人を勢いよく追い掛ける。


 何が起きているのかは分からないが、信頼していたエルフ達が、何故か敵になっている事だけは分かる。


 おそらくダークはスノウに危害を加えるつもりなのだろう。

 それはいけない。

 何とか阻止しなければ!


「止めろ!」

「っ!」


 近くにあった岩を再び拾い上げ、アルシェではなくダークへと投げ付ける。


 的確に投げられた岩を避けるべく、ダークが後ろへと飛び避ければ、キュアは彼に思いっきり殴り掛かった。


「させるか!」

「っ!」


 しかし、これまたどこからか現れたか分からないミズが二人の間に割って入り、キュアの拳を片手で受け止める。


 そうしてから、防御の体勢を取っていた背後のダークへと、声を掛けた。


「ダーク、行け! 姫を逃がすな!」

「ミズ! ありがとう!」


 そう言葉を交わしてから、ダークは再びスノウとカガミの後を追いかけて行く。


 もちろんそれを阻止しようとしたキュアであったが、ミズが邪魔で思うように後が追えない。


 何故か自分の邪魔をするミズに小さく舌を打つと、キュアは拳を繰り出しながらミズに声を荒げた。


「どういうつもりよ! スノウ姫に何する気!?」

「姫は魔女と手を組んでんだ! 放っておくわけにはいかない!」

「はあ? 魔女? 何言ってんの? 魔女なんてもう死んでんじゃない! わけ分かんない事言わないでよ!」

「わけ分かんない事言ってんのはお前だろ! 良いからお前も大人しくしてろ!」


 キュアの拳を受け流せば、今度はミズがキュアの脇に蹴りを入れる。


 しかしキュアがそう大人しく攻撃を受けるわけもなく、二人は互いに格闘術の攻防を繰り広げている。


 そんな二人を見ていたシャサールであったが、再度、彼の視界に黄色のエルフが弓矢を構えている光景が映った。


「ちっ!」


 おそらく黄色のエルフはキュアの兄貴だろうが、だからと言って、このままキュアに矢を放たせるわけにはいかない。


 シャサールもまた弓矢を構えると、それを真っ直ぐに黄色のエルフへと向けた。


「お兄様っ!」

「っ!」


 しかしアルシェに思いっきり抱き着かれる事によって、それは阻まれる。


 いくら何でも大切な妹を突き飛ばすわけにもいかず、シャサールは困惑の目をアルシェへと向けた。


「すまない、アルシェ、放してくれ!」

「お兄様! お願いです! 正気に戻って下さい!」

「何を言っているんだ! とにかく放してくれ! キュアが……っ!」

「駄目です! お兄様! お願い、いつものお兄様に戻って!」

「アルシェ……っ!」


 アルシェが何を言っているのかは分からないが、震えながら抱き着いて来るアルシェを力づくで引き剥がす事は出来ない。


 仕方なくシャサールは、アルシェに抱き着かれたまま声を張り上げた。


「キュア! 後ろだ! 気を付けろ!」

「!」


 シャサールの声に反応し、キュアがその場から離れれば、ミズもまたそれに気付いてその場から飛び避ける。


 その直後、矢がその場を駆け抜けて行った。


「おま……っ、何してるんだよ! あぶねぇだろ!」

「大丈夫だ。アルシェの矢は悪しき者しか貫かない。万が一お前に刺さっても問題はない」

「そうかもしれねぇけど、気分的に怖いわ!」

「それよりもその矢を返してくれ。浄化の矢がなくなった」

「はあ? 何してんだよ?」

「お前が中々キュアを取り押さえられないのが悪いんだろ」

「うっせ」

(……?)


 ガサッと音を立てて叢から姿を現したライと、何だかよく分からない言葉を交わすミズにキュアは首を傾げる。


 状況は一向にわからない……が、頼りにしていたエルフ達が敵に回っている事だけは確かだ。


 この状況では、残りのファイ、アース、ウィング、ヒカリも敵となっているのだろう。

 このままここにいるのは分が悪い。

 他の四人もわらわらと集まって来たら、さすがに自分達に勝ち目はない。


 ここは一旦、この場から離れるのが得策だろう。


「この……っ!」

「うがっ!?」

「アルシェッ!」


 ライの放った矢にミズが気を取られている隙に、キュアはアルシェに飛び掛かり、思いっきり彼女を殴り飛ばす。


 アルシェが呻き声を上げながら吹っ飛び、シャサールが悲鳴を上げるが構っている暇はない。


 キュアはシャサールの腕を掴むと、そのまま彼を連れてその場から走り去って行った。


「アルシェ!」


 二人が立ち去った後、どこからか現れたファイとアースが、地面に叩き付けられたアルシェに駆け付ける。


 すると鼻血を流したアルシェが、殴られた頬を押さえながらよろよろと体を起き上がらせた。


「あ、あのクソボケ女っ、よくもこの私の可愛い顔に傷を……っ、絶対に許さない! 這い蹲らせて、肋骨を踏み潰してやる……っ」

「ア、 アルシェちゃん……?」

「……じゃなくて、だ、大丈夫、少し叩かれただけだから……」

「大丈夫じゃないよ、鼻血出てるし!」

「酷いよ、キュア! アルシェにこんな事するなんて!」

「違うわ、アース。悪いのはキュアさんじゃない、誘惑の魔女よ。それよりどうしよう、私がしっかりしていなかったからお兄様が……っ!」


 キュアに連れて行かれた兄の身を案じているのだろう。

 アルシェは激痛により溢れ出た涙を零しながら、血の滴る鼻を押さえて「ううっ」と泣き声を上げる。


 すると向こう側にいたミズとライもまた、足早にこちらへと駆け寄って来た。


「すまない、アルシェ、オレ達がキュアを仕留められなかったばかりにこんな事になってしまって……」

「くそっ、キュアのヤツ! アルシェの兄貴をどうしようってんだ!」

「とにかく後の事はダークに任せて、ボク達は家に戻ろうよ。キュアやお兄さんの事も気になるけど、まずはアルシェの手当をしなくっちゃ」

「ありがとう、アース」


 アースに支えられながら、アルシェはよろよろと家の中へと入って行く。


 その後に続いて家へと戻って行くライとミズであったが、最後に家に入ろうとしたファイが、ふと首を傾げた。


「あれ?」


 ファイが首を傾げた原因は、いつの間にか見当たらなくなっていたクマであった。


 さっきまでそこには、ライの放った浄化の矢に貫かれたクマが蹲っていたハズなのに。

 それなのに今は、そのクマが見当たらない。


 あのクマ、どこに行った?

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