第19話 それぞれの痛み

 鹿野の説明では、工場があるのは群馬の山の方にある町の外れ、だそうだ。

 土地勘のないユリカは、群馬は全体的に山じゃなかろうか――と思いつつ、関越自動車道を北に進む車の中から、半端に田舎な景色を眺めている。


「んじゃあ、クロちゃん。次のパーキングエリアでもって、休憩アーン食事アーンちょっとした撮影、ってことなんで。よろしくー、はーい」


 先行する軽ワゴンのクロに電話をかけ、葛西が次の行動を指示している。

 眠そうな顔のアイダが大きく欠伸あくびをし、通話を終えた葛西に訊く。


「メシ食うなら、サービスエリアの方がよくない?」

「SAだと人が多くて、カメラ回す時に面倒だろ。いくら平日の昼でも、それなりの人出はあるし。下手すっと、群馬の総人口の三割くらいいる」

「いや監督、群馬ナメすぎだって。どんな辺境だと思ってんの」


 二人の下らない会話が続いている内に、車は一番左のレーンへと移動。

 パーキングエリアまで一キロ、と表示された緑の看板が背後に流れていった。

 駐車場に到着すると、おっさん三人はぞろぞろ休憩所の方へと向かう。

 ユリカは、車を降りて背筋を伸ばしているドラに、ねぎらいの声をかける。


「ドラさん、運転お疲れ」

「そっちこそ、移動中まで仕事で大変だな」


 鹿野ら三人の姿はもう見えないので、ユリカとドラはゆっくりと後を追う。


「ドラさん的には、正直言ってどう? 鹿野さんと葛西監督のスタンスは」

「真面目なドキュメンタリーなら大問題だけど……こういう撮影ならギリギリでアリ、かな」


 予想と違うドラからの答えに、ユリカは眉根を寄せて肩を落とす。


「アリなのかぁ」

「個人的には、好きになれないけど。葛西さんも、何してんだかな……初監督作の『埼玉風葬さいたまふうそう』と、次の『死人つかいの祭り』は良かったのに」


 そういえば、『じゃすか』以外の葛西監督作品を一本も観ていない。

 義理として観ておくべきかな、と思いつつユリカはフニャフニャした声で言う。 


「いやぁ~、食べていくのは大変だねぇ~」

「それはそうだが、お前はもうちょっと仕事を選べ」

「はいはい……そういえば、小松さんはまだ行方不明?」


 何気なくユリカが問うと、ドラは真面目な顔になって応じる。


「ああ。発作的なバックレだったら、もう出てきてもいい頃なんだが……どこにも連絡ないし、家に戻ってきた様子はないし、貯金を下ろしてもない。本格的な蒸発だ」


 一度しか顔を合わせていないユリカには、小松の人となりはわからない。

 しかしドラの口ぶりからすれば、唐突に消えそうな人物でないことはわかる。


「三週間、か……流石に心配になってくる長さかも。警察には?」

「多分、家族が通報してるだろ……早く帰って来てほしいわ、人騒がせすぎる」


 苦笑に紛れさせてはいるが、ドラの態度には見過ごせない湿度がある。

 似たような立場の小松の失踪は、ドラにはまた違う意味を持つのかもしれない。

 そんな想像をしてしまうユリカだが、わざわざ確かめることはせずに流しておく。

 休憩所の前まで来ると、こちらを探していたらしい和久井が駆け寄ってきた。


「あ、スイマセン。十分か十五分の休憩入れて、それから食事と撮影が同時進行、だそうです、ハイ。じゃあそういうアレで、スイマセン」


 あわただしくそれだけ告げると、和久井はまたどこかにバタバタと走り去る。

 揺れるアフロの後姿を見送りながら、ふとユリカは考えてしまう。

 彼が監督の立場になって、映画を撮れる日がいつか来るのだろうか――

 しかし、すぐに薄暗い結論に辿り着きかけたので、途中で考えるのを止めた。


 トイレと自販機コーナーくらいしかないパーキングエリアもあるが、ここは土産みやげ物屋とフードコートがあり、それなりの規模で営業しているようだ。

 とはいえ客は少ないので、撮影に向いていそうだとの葛西の読みは当たっている。

 簡単な打ち合わせの中で、ここから先の収録の流れが説明された。


 和気藹々わきあいあいとした休憩時間の風景を撮っていると、常盤が「さっき車の中で検索していたら見つけた」と言って、これから行く工場の肝試きもだめし動画を見せられる。

 それを見て一堂ドン引きのタイミングで、追い討ちをかけるように鹿野が解説を入れる――という構成らしい。


 とりあえず食事を終えてから撮影を開始しよう、という段取りになった。

 何か名物らしいものを、とメニュー表を眺めたユリカだが、ピンと来るものが見当たらない。

 仕方なく山菜そばを購入してテーブルに座ると、対面に山菜うどんにしたらしいクロが腰掛けたので、七味の瓶を上下させながら切り出す。


「例の工場、まだ写真でしか見てないんですよね。クロさんはどうです?」

「僕も、現地に行くのは今日が初めてです」


 クロは辛いのが苦手なのか、ユリカが七味の瓶を差し出すと、左手を小さく振って拒絶のポーズを返してくる。


「肝試し動画、っていうのは小松さんが撮ってきたってやつ、ですか」

「工場の噂を知った素人が撮ってきた、って設定でネットに上げてあります。まだ反応は薄いですけど、これが発売される頃には有名になってるかも知れません」

「やっぱりちょっと、フェイク具合がエグいですね」


 まだ割り切れていないユリカの言葉に、クロは苦笑する。


「鹿野さんの仕事では、それは避けられませんから。僕はあの動画をもう観ましたけど、それなりにいい出来でしたよ」

「いい出来、ですか」


 今度はユリカが苦い表情で返す。

 フェイク動画で観客を騙すことへの罪悪感とか、そういう次元は遠い昔に通り過ぎてしまっているようだ。


「ええ……葛西さんの技法をシッカリと受け継いでますね、コマさんは。いずれ僕が単独でこういうビデオを作る時には、監督を任せてもいい」

「だったらまず、小松さんには無事に帰ってきてもらわないと」

「そうですね……一体、どうしたんでしょうか」


 クロの声色は心配そうだったが、二秒後にはうどんをすする音に入れ替わる。

 ユリカたちが丼を空にする頃には、他のメンバーも大部分が食事を終えていた。

 トッピングが山盛りで、ライスとルーの量もイカレているスペシャルカレーを頼め、と命じられていた和久井だけがまだ食べ終わらず、命じた張本人である葛西に怒られている。


「何かあって逃げたり消えるとしたら、小松さんより和久井さんって気が」

「あー、んー、でもなぁ」


 食器を返却口に戻したユリカが、葛西に肩をパンチされながらカレーを食っている和久井を見て言うと、隣のクロではなく通りがかった常盤が微妙な表情で話に混ざってくる。


「和久井さん、特別な恩義があったりするんですか、監督に」

「んー、そういうのはない。ないんだが……あんた、プウをどう思う?」

「いえ、別に何とも」


 ユリカが素直に即答すると、常盤は頭を掻いて言い直す。


「男としての興味のあるなしじゃなくて、人としてっつうか社会人として」

「……とりあえず、今の仕事は向いてないような」

「やっぱ、そう思うよな。向いてないし、能力もない。そもそも、何するにしてもプウのスペックが低すぎるってのもあるんだが、とにかくこの仕事じゃ使えない」

「はぁ、まぁ」


 そんなのをどうして雇ってる、と訊き返す代わりにユリカは雑な相槌あいづちを打つ。


「だけど、あいつのやりたい仕事は映像関連なんだよ。プウは基本的に役立たずなんで、どこでもすぐクビになるんだけど、鹿野と葛西はプウのポンコツ加減を面白がって、自作の中で色々とやらせる。その結果が現状だ」


 ユリカにも、何となく理解できてしまった。

 ダメだから誰からもかえりみられない人生を送ってきた和久井は、ここでもダメだからピエロ役をやらされているのだが、それは彼が初めて得た注目と評価なのだろう。

 考えている内に泥だらけのとがった石を幾つも飲み込んだ気分になったユリカは、食事を軽く済ませたのに胃が重たくなるのを感じた。

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