第7話 見えていたもの

 ドッと疲れを感じたユリカは、人混みから逃げるように店の隅へと移動した。

 壁の方を向いていても、鹿野かのを取り巻くファンたちに対し、ミクが変なマウントを取っている様子が伝わってくる。

 さっきの小松からの意味ありげな視線は、自分をミクの同類にカテゴライズして、鹿野の愛人候補と判断していたから、なのか。

 それに気付いて不快感を募らせていると、コロナの瓶を手にしたアイダが顔を見せた。


「お疲れさーん。ミクちゃんに絡まれてたみたいだけど、大丈夫だった?」

「わかってたんなら、フォローあってもよくないですか」

「いやぁ……メンドくさいじゃん、ああいうの」


 刺々とげとげしさを混ぜてユリカが言えば、アイダが目を逸らしながら答える。

 この「ああいうの」がミクの振る舞いを指しているのか、鹿野との関係を踏まえたものなのかはハッキリしないが、アイダも立場的に色々あるのかも、と考えて苦笑を返した。

 ユリカの態度をやわらいだのを見て、アイダはホッとした様子で話を続ける。


「ミクちゃんねぇ、元々メイド喫茶の人気店員で結成した地域密着型アイドルグループ、みたいなキワモノ出身だから、さ。ここまで伸し上がるのも一苦労だったと思うよ」

「アイダさんもトラブったりとか、あったんですか」

「んー、オレはホラ、芸風っていうか業態は近くても、お笑い枠だから」


 となると、ミクは「霊感アイドル」とか「美人すぎる怪談師」とか、そういうポジションを狙っているのだろうか。

 随分と狭いニッチ商売に思えてしまうが、それだけにライバルは少なそうだし、生存戦略としては正しいのかもしれない。

 にしても、必要以上に鹿野にベタベタしている、ミクの姿はあまりにあからさまだ。

 仕事仲間だとか師弟関係だとか、そういった距離感に収まらない独特の空気感。

 疑惑が濃厚になりすぎたので、小声でもって訊いてみる。


「あれはやっぱり、そういうことなんです?」

「だね」

「結婚してますよね、鹿野さん」

「……だね。子供は今年で高二だか、高三だか」


 だろうとは思っていたが、確定情報になってしまうと、改めて生臭さが鼻につく。

 ウンザリ感を隠せないユリカに、アイダは何故か言い訳がましい調子でべる。


「ミクちゃんもさ、別の子を追い出した場所に自分が居座ってるから、心が休まるヒマがないんだろな。まぁユリカさんも、ややこしい事情には深入りしないで、かといって険悪にもならないで、上手いこと付き合うのがいいよ。ミクちゃんとも……鹿野さんとも」

「努力は、してみます……一応。なるべく。できれば。できればいいな」

「徐々にしぼんでる! ていうか、ユリカさんはアレだよな。見た目をキャラが裏切ってくる感じがある」

「褒められてるのかけなされてるのか、どっちかな?」

「素直な感想を述べてみただけで、どっちでもない」


 笑って言いながら、アイダはコロナビールをクイッとあおった。

 仕事を離れると愛想が壊滅的になる芸人も多いが、アイダはそういうタイプではなく普段から明るくノリが軽い性格のようだ。

 ミクの話を続けると悪口だらけになりそうだ、と判断してユリカは話題を変える。


「アイダさんは、鹿野さんとの仕事は長いんですか」

「えぇと、もう三年……いや、そろそろ四年か。そんくらい前に、『じゃすか』の原型になった心霊スポット探検ネタのネット配信番組があってさ。それの企画が鹿野さんだったのが、縁の始まりっていうか運の尽きっていうか」

「その当時から、ああいう無茶をやらされてるんですか」


 ユリカが訊くとアイダは周辺に視線を巡らせ、人がいないのを確かめてから口を開く。


「あの頃は仕事も金もなくてギリギリだったから、オレ自身が率先して無茶をやってたんだけど……そんな無茶を今も引き続き求められるワケよ」


 明言は避けているが、どうやら現状への不満はくすぶっているようだ。

 それっぽいなぐさめやはげましでも言っておくべきだろうか――とユリカが迷っていると、どういう流れでか鹿野が大声で宣言するのが聞こえてきた。


「いや! 次のね、次の工場はヤバい。シリーズ最強とかそういうくくりじゃなしに、桁違いに、桁違いにヤバいんです。大袈裟おおげさでも何でもなくて、死人が出てもおかしくない」

「確かに、それも可能性としてあるっちゃあ、ある。俺らはロケハンで何度か行ってるけど、雰囲気っていうか場の空気? そういうのが、根っこの部分で違ってる感アリアリ」


 葛西かさいも鹿野の発言に乗っかり、次のロケ地の危険性をアピールし始めている。

 死人候補らしいユリカとアイダは、笑うに笑えず顔を見合わせるしかなかった。

 微妙な空気になったところで、ユリカはイベント中のやりとりについて思い出す。


「そういえば、アイダさん。あの、『カビン』の最中に注意してくれたのは」

「ああ、アレか。見えてたんでしょ、あの時。ユリカさんにも」

「気付いたらいなくなってましたけど……まさか」


 問い返すユリカに、アイダは髪をき回すようにしながら答える。


「あの黒いかたまり、よく見ると人の形してたんだわ。だから多分、そういうこと」

「……霊、なんですか」


 黒い塊、という表現に疑問を感じつつも訊くと、アイダは真顔で頷いた。


「鹿野さんが――あとクロも前に言ってたんだけど、どうも話をしてると寄ってくるらしいんだよ、幽霊とかって。ホラ、昔から百物語とかってのもあるし」

「確かに、そういう説は聞いた覚えが……それよりアイダさん、普通に霊感ある人だったんですか」

「前は全然なかったけど、この手の仕事をやってる内に、いつの間にか……まいっちゃうよな。こういうのって、労災下りないのかね」


 能力を肯定するアイダの口調は面倒臭そうだったが、そこはかとなく自慢げでもある。


「何か妙な気配があるな、って程度は私にもわかったんですけど」


 自分が見たのは黒い塊ではなく、厚化粧の女だった――

 とは言いづらかったので、ユリカは誤魔化し気味に話を続ける。


「ああいうのは、見ない方がいい。見れば、近くなる」

「それは、見られてると知ったら相手が近くに寄ってくる、とか?」

「ちょっと違うらしい。鹿野さんやクロが言うには、怪異との精神的な距離が近くなる、とかそんな感じなんだと」

「はぁ……精神的な」


 もっともらしいが不明瞭ふめいりょうな説明に、ユリカは首をかしげる。

 質問を重ねようとしたところで、情報源であるクロの姿を認めてアイダが呼ぶ。

「おぉい、クロちゃん! こっちこっち」

「何ですか、アイケンさん……あぁ、お疲れ様でした、ユリカさん」

「どうも。何だか忙しそうですね、霜月しもつきさん」

「えぇ、鹿野さんから紹介される初対面の人が多くて」

「そんなことよりクロちゃん。あの会場にさ、いたでしょ」


 アイダから単刀直入に訊かれ、クロの目がスッと細まる。


「見てしまいましたか。あまり良くない存在なので、なるべくなら関わり合いにならない方がいい、と思っていたのですが」

「え、そんなヤバいの? 何か、黒っぽい人型にしか見えなかったけど」

「ユリカさんにも、わかりましたか」

「……いえ、私は変な気配みたいなのを感じた、って程度で」


 水を向けられたユリカは、少し考えてから先程と同じ答えを返しておく。

 するとクロは、ちょっとわざとらしいくらいの勢いで、安堵あんどの溜息を吐いた。


「そうですか……それはむしろ良かった、と言えそうです。あそこにいたのは、偶然に寄って来たような存在じゃありませんから」


 クロには自分と同じく、厚化粧の女が見えていたのだろうか。

 そういえば、照明がほぼ落ちた状態なのに、あの女の顔はハッキリ見えていた――

 そんなことを思い出しつつ、ユリカはクロによる解説を待つ。


「会場に現れていたものは……青白い肌をした、全裸で坊主頭の老人の霊です」

「は?」


 クロから語られた予想外の人物描写に、ユリカは反射的に疑問の声を漏らしてしまう。

 怪訝けげんそうな視線を感じたので、不自然にならないよう誤魔化ごまかしておく。


「――ハダカ? 全裸だったんですか」

「ええ、裸で出現する霊というのは少々珍しいのですが、その状況は大変危険なんです。大抵の死者は、生前の常識や倫理や知性といった諸々を引き継いでいます。しかし、そうした『人間らしさ』を失った霊も中にはいます」


 裸であったり血塗れであったり、首や手足が欠損していたりと、異常な外見をつくろおうとしていない相手は、予測不能な行動をしてくるから要注意、らしい。

 そんな説明をするクロの語りは、突拍子とっぴょうしもないようで整合性が取れている。

 今日のイベントの客だったら、いかにも喜びそうな内容だ。

 しかしユリカとしては、どうしても据わりの悪さが否めない。

 自分の見たものとクロの語ったものに、どうしてここまで乖離かいりがあるのか。


 もし、自分が見たものが「人でない何か」なら、さっきのサインの最中に聴こえた声も――

 全てがこちらの錯覚と思えたなら、クロに霊感的なチカラがあることも信じられるし、自分にそれが戻ってきたことを否定もできるのだが。

 見たくもないものが見えてしまい、聞きたくない音が聞こえてしまう。

 かつての暗い日々を思い出したユリカは、無駄に盛り上がっている場の空気に、何とも言えない息苦しさを感じ始めた。

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