暗殺者

永嶋良一

第1話 小説『暗殺者』

 「諸君にお願いしたいのは、小説の中の主人公、つまり作中の人物を殺すことです」


 長官は何でもないことのように言った。ここは、AI庁の中にある豪華な長官室だ。長官の前には俺を含めて3人の人間がいた。俺と女と年配の男だ。女は30代前半で、俺と同じくらいの年だ。年輩の男は40代と思われた。男も女も俺の知らない人物だ。俺たちはそれぞれ別々にAI庁から極秘の依頼を受けて、今日、長官室に集まったのだ。


 俺は首をひねった。作中の人物を殺すだって・・


 長官が窓の外を見た。窓の外には500階を超える超高層ビルが所狭しと立ち並んでいる。それらの間を、50年ほど前に解禁になった『個人用飛行ビークル』が飛び交っていた。大都市のいつもの光景だ。


 長官が窓の外から俺たちに視線を移した。顔に疲労の色が浮かんでいる。もう何日も寝ていないのだろう。長官が続けた。


 「諸君もご存じの通り、AIの進歩はすさまじく、小説の中の登場人物が、まるで生きている人間であるかの如く活動するようになりました。当初、そのことは我々人類の手助けになると考えられていたのですが、ここにきて大きな弊害が現れたのです」


 そこまで言うと、長官は大きな執務机の上にあるスイッチの一つを押した。壁にスクリーンが現れて、その上に一人の男のイラストが浮かび上がった。中年のどこにでもいる男の姿だった。


 「この人物は、小説『暗殺者』の主人公『明瀬あきせこう』です。小説『暗殺者』は、昨年の『世界小説大会』で銅賞を獲得しました。この小説の中で、明瀬功は一匹狼の殺し屋で、さまざまな変装をして、世界の要人を次々に殺害していきます。そして、最後は行方をくらませて小説が終わるのです。しかし、今年に入って・・これは公表していないので、極秘に取り扱っていただきたいのですが・・AIのバーチャル世界の中で明瀬が復活し、我が国の一般市民を無作為に殺害し始めたのです。殺害といってもバーチャル世界の話なのですが・・。しかし、それによって、生きている人物がコンピューターでは死んでいることになってしまい・・AIが辻妻を合わせるために、現実世界のその人物を抹殺し出したのです」


 長官はここで息をついた。そして、俺たちを見ると、内緒話をするように続けた。


 「このため、これも公表していませんが、今、我が国は大混乱に陥っているのです。そこで、諸君にお願いしたいのは、小説『暗殺者』のバーチャルな世界に侵入し、主人公の明瀬功を殺害してほしいのです。・・・ここまでのところで何か質問はありますか?」


 年輩の男が口を開いた。


 「その小説を書き換えればいいじゃないか」


 長官が男を見た。


 「それは何度もやっているのです。でも、AIが書き換えを許さないのです。AI庁の専門家たちは、残る手段は『AIのバーチャル世界の中で明瀬功を殺害し、AI自体に明瀬が死んだことを認識させる』しかないと結論を出したのです」


 「でも、どうやって、AIのバーチャル世界に入り込むの?」


 今度は女が聞いた。長官が軽く咳払いをした。


 「それは・・これも極秘でお願いしたいのですが・・AI庁が開発した、ある装置を使います。この装置は、小説『暗殺者』と連動していて、諸君を小説のバーチャル世界に送り込むことが出来ます」


 「危険はあるのかい?」


 今度は俺が質問した。長官が大きくうなずきながら、俺の顔を見た。


 「そこなのです、問題は。AIはバーチャル世界に入り込んだ諸君を異端者と判断して、きっと明瀬功を使って殺そうとするはずです。で、バーチャル世界で諸君が殺された場合、さっきも言ったように、AIが辻妻を合わせるために現実世界の諸君を抹殺します。つまり、この任務は現実世界の殺し合いと何ら変わらないのです」


 「そんな!」


 女が驚いた声を上げた。長官が苦しそうに言った。


 「そこで、現実世界で諸君に集まってもらったのです。バーチャル世界であっても、この任務は極めて危険なものなのです」


 誰も何も言わなかった。


 長官が決定を下すように言った。


 「事態は緊急を要します。時間がありません。諸君は直ちにバーチャル世界に行ってください。・・あっ、言い忘れましたが、小説の舞台は2024年の日本、東京です。つまり過去なので、諸君には催眠学習で当時の知識や武器、それに小説の内容を学んでもらいます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る