ワンオペ店主、クレーマーをやっつける。

猫野 ジム

第1話 クレーマーをやっつけろ

 ある真夏日。店主の若い男が一人で切り盛りするラーメン店は今日も大盛況だ。それでもさすがに午後三時にもなると客足は途絶える。

 そこへ一人の男が店内へ入ってきた。だが店主は顔をしかめている。


「いらっしゃいませ」


 店主はそう挨拶をすると、その男に注文を聞いた。どうやら客のようだ。


 店主はこの客の男に見覚えがあった。始めは普通の客だと思っていたが、全くもってそんなことはなかった。店主は昨日までの男とのやり取りを思い出していた。

 男が初めて来店した二週間前、その日も真夏日だった——



——「お待たせいたしました、味噌ラーメンです」

「味噌? 俺が注文したのは豚骨ラーメンだ」

「え? 失礼いたしました」


 店主はもう一度注文メモを確認したが、確かに味噌ラーメンと記入していた。

 それに今は午後三時。客が少ない時間帯なのでメモが無くても覚えられる。


「俺は豚骨ラーメンが食いたかったんだ。どうしてくれるんだ!」

「申し訳ございません、すぐに作り直します」

「何言ってんだ、このラーメンがもったいないだろうが! 俺が我慢して食ってやることにするから当然、無料タダだろうな」


 作り直すにしても無料にするにしても店主にとっては損失だが、客商売ではままある事だと店主は今回だけ無料にすることにした。



 それから一週間後、その男は再び午後三時に現れた。


「味噌ラーメンをくれ」


「申し訳ございません、ちょうど湯が沸いた音と重なってしまってよく聞き取れませんでした。味噌ラーメンで合っておりますでしょうか?」


 湯など沸かしていなかったが以前のようなことがないように、店主はワザと男に注文を手間取らせて注文のやり取りを印象づけようとした。


「チッ、味噌ラーメンだと言ってるだろ!」


 その言葉を受け店主は味噌ラーメンを作り始めた。その間にも他の客からの注文が入ったり、合間で他の注文品の下ごしらえをしたり、店主はせわしなく動いている。


 そして味噌ラーメンが出来上がり、男の前へ差し出す。


「お待たせいたしました、味噌ラーメンです」

「遅い! 食う時間が無くなっちまうだろうが!」


 店の前には『全ての作業を店主一人で行っているため出来上がりまでお時間をいただきます。予めご了承ください』と目立つ位置に貼り紙がある。


「麺を茹でる合間などで別の作業をしておりますので、出来上がりまでの時間には影響ございません」


 店主はそう説明したが、男は聞く耳を持っていないようだった。


「俺はこれから用事があるんだ。一応食ってやるが、時間を犠牲にしたんだから金は払えん」


 男の主張にもはや正当性というものは無い。

こんな主張を認めるわけにはいかないが、他の客も居る。もし男が暴れたりすれば、他の客に危害が及ぶかも知れない。店主は安全をお金で買うつもりで男のラーメンを無料にすることにした。



 それからさらに一週間後の今日、今その男は店主の目の前に居る。男が注文すると店主はすぐにラーメン作りに取りかかった。

 今は他の客は居ない。なので完全に男が注文した品にだけ集中している。


 店主が男の前にラーメンを置くと、男は黙々と麺をすすり始めた。やがて男はラーメンを食べ終えると店主に告げた。


「おい、どんぶりの中を見てみろ」


 店主がどんぶりの中を見ると、スープまで飲み干されたどんぶりの底に数センチの一本の髪の毛がへばり付いていた。

 飲食店である以上こういった問題とは切り離せないので、当然店主は対策をしている。


「どうしてくれるんだ、髪の毛入りラーメンを全部食っちまったじゃねえか」


「申し訳ございません。しかしお客様、私はこのように汗の落下防止のためにバンダナを巻いて、さらにその上からキャップを被っております。真夏日でも長袖を着用してこまめに粘着ローラーをかけておりますし衛生手袋も使っております」


「そんなこと知るかよ。実際に髪の毛が入ってるだろ。こんなもんに金が払えるか!」


 スープまで完食した後に髪の毛が見つかるなんて不自然だが、男は今回も無料にさせようとしているのだろう。食べる前に指摘すれば作り直しになる可能性があり、そうなれば料金を支払わなければならない。

 だが食べた後なら無料にするしかない。男はそう考えているのだろう。



「こんな不衛生で不誠実な店が大人気だなんて、他の客が気の毒だ。この店は営業する資格が無い。俺は世直しのためにこの動画をアップする」


 もはや男の主張は滅茶苦茶だが、動画を撮影しているのは本当のようだ。

 悪意のある編集をされてしまえば一方的に店主が悪いように誘導されるだろう。

 この男なら本当にやりかねない。もしも動画が炎上すれば最悪廃業なんてことになるかもしれない。こんな男のせいで人生が狂う可能性だってあるのだ。


 店主は動揺している様子だったが、やがて落ち着きを取り戻しゆっくりとキャップとバンダナを取った。そして男が店主の方を向いたことを確認した後、男に告げた。店主は綺麗な坊主頭だった。


「この髪型は一分刈りといって長さ約3ミリです。どんぶりの底にある髪の毛はどう見ても数センチはありますね。お客様はこの髪の毛がなぜ私のものだとお考えになったのでしょうか?」


 その言葉を聞いた男は店主から目をそらした。それを見た店主はさらに畳み掛ける。


「そういえばこの髪の毛の長さ、お客様の髪の長さと同じようですね。それに店内には防犯カメラがあります。髪の毛が入る瞬間が映っているといいですね」


「お、おう……」


 男はそれだけ言うと、この店で一番高いメニューであるジャンボ味噌ラーメンの料金1500円をカウンターに置いてそそくさと店をあとにした。


 その日以降、男が来店することは無くなった。


 これは髪の毛一本で危機一髪な思いをした、とあるラーメン店主の話。

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