第三章

第一皇女 一

 どれだけの時間が経ったのか──。

 大部屋に幽閉されたコレオ帝国第一皇女のミル・イル・コレットは青痣だらけで力が入らない身体で横たわり天井を見詰めていた。


「お母様……」


 小さく声を漏らすが、彼女の母親のノラ・イル・コレットは喉を潰されてぜえぜえと息を荒げて反応をするだけ。

 ミルは力を振り絞れば、微かに声を出せる。

 まだ、そこまでしか傷んでいなかった。


「メル……ニム……」


 妹たちの名を呼ぶが彼女たちも同様に声を出せずに居る。

 微かな呼吸の変化で呼びかけが耳に届いているのだとミルは安堵した。


──まだ、生きている。


 幽閉された皇族の女以外、誰も居ないはずのこの大部屋の扉が開くと一人分の足音が部屋に反響する。


──まだ、相手をするのか……。


 今度は誰が犯されるのか。誰に犯されるのか。

 そう思っていたがどうやら違うようで、近付いた足音の持ち主は低い声で彼女たちの安否を確認。


「大丈夫ですか?」


 声をかけたのは異世界人の男で名を時庭ときにわ大成たいせいという。

 異世界召喚時に【役者】という恩恵を授かったが戦闘職じゃないという理由で一時はこの大部屋に住み一年と立たず帝都に一室に移り住んだ。


「あ……う………」


 ミルは力を振り絞るが声を出せないでいると、毛布をかけられて時庭に抱えられて大部屋から出された。

 大部屋の扉前に荷車が運び込まれておりそこに横たわらせられた。


「あ………な……」


 ミルは何をしているのか聞きたいが声にならない。

 ただ、久し振りに吸う外気が肺に入ると少しだけ気分が良くなった。

 時庭は残るノラ、メル、ニムもそれぞれ毛布に包んで荷車に乗せる。


「これで全部」

「らじゃー」


 時庭が皇族の女性を運び出すと荷車を監視していた女性に報告。

 返事を返したのは同じ異世界人の女性。

 木曽谷きそたに未来みらいという名で【偽装者】という恩恵を授かっていた。

 彼女は最初の鑑定でこの恩恵を使い【村人】として認識させ時庭と同時期に帝城の外に移住している。

 男の声と女の声。私は何をされるのかと、ミルは疑問に思ったが、今更何をされても変わらないという諦めも心のどこかに持っていた。

 ミルたちは時庭と木曽谷の会話を耳にしながら自分がどこに連れて行かれるのか推測し続ける。


「この荷物は何だ?」


 スロープを下る度に衛兵に呼び止められて荷車に積んだ荷物──自分たちが検査される。


「生ゴミなんですよー」


 木曽谷は毎回そう答えた。

 かぶせてある毛布を剥がして衛兵に見せるが目が合っているというのに、衛兵は生ゴミだと認識して検閲を通る。

 木曽谷の恩恵で偽装しているため、たとえそれが人間でもゴミだと認識させられているのだ。


「くっさッ!! もう良いッ! 早く仕舞え」


 決まって衛兵は怒鳴る。


「これ、誤魔化すまでもなくマジで臭いもんなー」


 帝城の門を出ると木曽谷が言う。

 マジで臭いって……。木曽谷の声はしっかりとミルの耳に届いていた。


「アイツらこんなんでよくチ●●を勃たせられるよなー。マジでヤバいんじゃね?」

「アタシが男でもこれはムリだわ」

「もう耐えらんねーわ。俺んで良いんだろ?」

「時庭ん家、北門に近いじゃん? そこしかないに決まってる」

「だよなー。こんなにクサいとニオイが部屋に残りそう……」

「いーじゃん。どーせ出るんだからさー」

「とは言ってもさー。俺の持ち家だよ?」

「うっせーな。死にたいのかよ」

「へーへー。まったく……」


 そんなやり取りをミルは延々と聞いていたわけだが。


(私ってそんなに臭いのか?)


 感覚が麻痺していて彼女たちは自身がどんな臭いをさせているのか分かっていなかった。


 ミルたち四人の皇族の女性は時庭の家に運び込まれた。


「女性なのに俺が洗っちゃってすみませんね」


 時庭がそう言って彼女たちを風呂場に運び一人一人、木曽谷と二人で身体を綺麗に洗う。

 際どいところまで隅々まで洗われたわけだけど、それも今更という諦念で裸を見られても彼女たちは気にしないことにした。

 湯浴みを終えて下着や衣類を着せられると今度は四本の瓶を手に持った木曽谷が「ポーション」と言ってそのうち二本を時庭に手渡す。

 時庭は受け取ったポーションをミルとノラに飲ませ、木曽谷はメルとニムにポーションを飲ませた。


「あ……あの……」


 喉が潰れていないミルはようやっと声を出せるようになった。


「無理して喋らなくても良いですよ」


 時庭は畏まって喋る。

 ミルの母親のノラは顔色は良くなったものの喉が潰れているから声を出せずにいた。

 それでも必死に口を動かしていて何か言いたいのは伝わる。

 木曽谷が面倒を見るメルとニムも声を出せていない。

 そして四人とも立ち上がることができず手足に力が入らない状態のままだった。


「やっぱダメか」

「そりゃーね。欠損みたいなのは治らないからさー」

「だと、やっぱ白羽のところに行かないとダメか」

「予想はしてたけど、それしかないよね」


 二人の会話を目で追う四人の皇族。


「あ、あの……私たち……」


 ミルが声を振り絞る。


「あー、ムリしなくて良いから。アタシらは悪いようにしないしさ」


 ミルはまだうまく口と喉を動かせないため声が吃って言葉にできない。


「まあ、体調的にキツイかもしれないけど明日には出るんで休んでてください」


 そんな皇族を慮って時庭は木曽谷に続けて眠るように促した。


「アタシらも休も。明日は早いッ!」

「応ッ!」


 まだ外は日が照っているというのに時庭と木曽谷は本当に眠る。


 翌日──。

 ミルが目を開けると見慣れない光景で、しかも、ガタガタと揺られていることに気がついた。


「あー、起きた」


 木曽谷がミルが起きたことに気がついて声をかける。


「おはよー」

「おはようございます……」


 ミルは自分の声が昨日よりも楽に出ることに感動した。


「ああ、声が……」


 すると、目から滝のように涙が零れ落ちる。

 泣くつもりなんてなかったのに──と、必死に堪えるが我慢しようとすればするほど、涙の量が増えていった。

 その様子を木曽谷はニヤニヤしながら眺めてる。


「落ち着いたらお話しようか」


 優しいその言葉が更に涙腺を緩ませる。

 それから、しばらく──。

 涙が落ち着いたところでミルは訊いた。


「ここはどこでしょう?」

「馬車だよ。アタシらが作った幌付きの荷馬車。揺れないでしょ?」

「馬車……ですか……。どこに向かわれてるのでしょう?」

「とりま、北に向かってるよ。あんたらを治すにはアタシらじゃムリだからさ」

「……大丈夫なんです? 途中で検閲もありますから」

「あー、そういうのアタシらは大丈夫だから気にしないで」


 木曽谷の〝大丈夫〟の裏付けは直ぐに証明される。

 関所を越える際の検問で荷物の検査が入るのだが、


「目的地と荷物の用途と内容を確認する」

「僕たちはメルダに向かってます。荷物は商材でメルダに卸す予定のものです」


 兵士の聴取に時庭が答え、兵士が荷物の確認のため幌に入ると木曽谷が「こちらです。どうぞ」とミルたちにかぶせた毛布を剥がした。


「確かに──。商材であることを確認。通行を許可する」


 兵士の言葉にミルは唖然。

 毛布を剥がされて兵士と目が合っていたからだ。

 何ならここで横たわる母や妹たちの呼吸音もするだろうし、ミルの息遣いだって聞こえる距離まで近付いていた。

 なのに、兵士は彼女たちを〝商材〟だと言い切ったのだ。


「ね、大丈夫だったでしょ?」


 木曽谷は関所を通過してからミルに言う。


「何をされたんです?」

「それは内緒」


 ミルの疑問に対して木曽谷の当然の回答だった。

 その後、馬車は順調に進む。

 食事の世話もトイレの世話も、湯浴みも時庭と木曽谷は惜しみなく手間を掛けて面倒を見た。

 異性である時庭はラナとミルの面倒を見て、同性の木曽谷はメルとニムの世話をする。

 いちいち気を使っていたら木曽谷に全てを任せてしまうことになり、異性であっても、もう既に純潔ではないし、汚れた身だと心を決めて時庭の世話に与った。

 時庭が苦労したのは彼女たちが月経を迎えた時でその処理と世話は流石に木曽谷が担当する。


「みんなちゃんと生理が来て良かったねー」


 なんて木曽谷が言うと、ミルは「確かに安心はしました」と返した。


 馬車の旅が半月ほどになると、帝国軍とすれ違う。

 その帝国軍に同じ異世界人の城丸じょうまる将太しょうたが従軍していた。


「時庭じゃないか! 久し振り」

「お、城丸!」

「そんなボロボロの馬車でどこに行くんだ?」

「メルダで劇の興行をするんだよ」

「あー、お前、役者とか言う恩恵だったもんな」

「そう。それで各地を劇をして回ってるんだ」

「一人で?」

「そうだよ。劇は一人でもできるからさ」


 そんな感じで時庭と城丸が言葉を交わし、城丸は帝都に向かって帝国軍に合流。

 木曽谷の恩恵は馬車をも偽装する。


「あいつも役者だよなー」


 木曽谷は外から聞こえる会話に聞き耳を立てていた。

 時庭は嘘でもそれがあたかも本当のことのように相手に信じさせる説得力があった。

 それが【役者】という恩恵の効果である。


「だから、あいつの言葉はうかつに信用しちゃダメだからねー」


 木曽谷はケラケラ笑いながらミルに言う。


「そうなんですね」

「でもさ、あの役者って恩恵はエロいことにも効果があって──って、あんなことがあったし、あまりいい話じゃなかったね」

「いいえ。でも、こうして助けてくださったお方ですし……」


 悪意で人を騙す真似はしないんじゃないか、と、ミルは思った。

 それは木曽谷に対しても同じく信用に値する女性──では、あるが夜な夜な繰り広げられる時庭と木曽谷の行為については耳を塞ぎたい思いで居た堪れない。

 ミルは大規模召喚魔法で異世界人をこの世界に喚んだ本人で、幽閉されたあの日まで、異世界人を甘く見ていたところがあった。

 深く関わらないために距離を置き、彼らを知ろうとしなかったために、軋轢が生じたのかも知れないし、そもそも、異世界人を利用しようとした動機が適切でないために、彼らの反感を買ったのかも知れない。

 ともあれ、今、こうして軟禁されていた大部屋から救い出されてこれ以上、身体を穢される心配は無いのではないか──そう思い始めると、あの大部屋で自分たちに手を出した男は片手に数えるほどだったし、皇族の女を罵った女もごく少数だったことを振り返る。

 異世界人も帝城に蔓延る貴族と一緒で一枚岩ではないのか──。

 そう考えると次第に減っていった(元)男子生徒たちについても腑に落ちる。

 とはいえ、時庭にしてみれば、イキリちらした陽キャグループやオタクグループとは反りが合わず、異世界に転移したからと言って同朋として纏まれと言われても合わないものは合わないのだと同類のように扱われることを嫌っていたし、地球じゃないから──日本じゃないからと人の命や尊厳を軽視するのは違うと感じていた。

 そんな時庭と似た考えを持ったクラスメイトたちは早々に帝都から離れることを選んでいる。

 時庭も離脱したクラスメイトと同じくして帝都から離れても良かったのだが、幼い子どもがクラスメイトたちに陵辱されていることに心を傷め、木曽谷と相談した結果、ミルたちを連れ出そうということになったのだ。

 そんな事情なので、木曽谷は、


「まあ、感謝するなら時庭にしなよ」


 と、ミルに言う。

 時庭は特に十三歳なったばかりのニム・イル・コレット第三皇女のように子どもに手をかけることが許せなかっただけで、更に幼いドギ・イル・コレットを殺害したことを受け入れることはできなかった。

 時庭には弟と幼い妹がいて兄弟を大事にしていたから──という彼の背景もある。

 木曽谷としては時庭から話を持ちかけられた時点で協力しようと心に決めていたし、長いことセ●レとして付き合っている時庭には少なからずの情があった。

 だから時庭から相談を受けたときに、帝都から出るには良いタイミングだし時庭が一緒なら良いか──ということで協力。

 そうして今、時庭が手綱を握る荷馬車に皇女たちを乗せて北を目指しているわけだ。


「やっと、見えてきたわ」


 御者席から時庭が木曽谷に伝えた。

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