第一章

母さんとの日常

 朝食は小さなパン──というかスコーンみたいなものにお茶。

 子どもにはお茶に羊の乳を混ぜたものを出すことがある。

 俺は断然、羊の乳を入れた茶が好きだ。

 まだ子どもだからね。

 俺とリルムが並んで焼き上がったばかりのスコーンを食べる。

 口に含むと硬いし噛み砕いてもボソボソするこのスコーンをミルクティーで流し込む。


「おにいたん、おいちいね」


 リルムは何故かこの塩辛いスコーン好きらしい。

 俺も嫌いではないけれど、この塩と小麦、ミルクで作られているスコーンは重曹やベーキングパウダーが使われていない所為で膨らんでないし硬いし、それに美味しくない。

 それでも母の味なのだから子どもにとっては美味しく感じるのは当然か。

 かくいう俺もマズいけど嫌いではない。


「今日も美味しいね」


 兄妹でニコニコしてスコーンを食べていると母さんが目を細めて俺とリルムを見ていた。

 朝食を食べ終えたらリルムは俺の隣から離れて、母さんの傍らにトテトテと歩いて、


「マッマ、だっこ」

「後片付けをしてからね」


 リルムは俺にも懐いているけど、それ以上に母さんにべったりとひっついていることが多い甘えん坊さんだ。

 すぐに抱っこを求めるのも普段と変わらない。

 食べ終わった食器を桶に貯めた水で母さんが洗うと俺に皿を手渡し、それを拭いてから家の中に持っていく。

 それが俺のお手伝いだ。

 洗い物が終わると、母さんが俺をギュッと抱き寄せて頬にキスをする。


「お手伝い、いつもありがとうね」


 母さんはそう言ってから、リルムを抱っこして家に入る。

 それからの時間は割と手持ち無沙汰になるわけだけど、俺は母さんから字の読み書きを教わっている。

 この町では割と上位の冒険者だったらしい母さんは冒険者になりたての頃に字の読み書きでとても苦労したらしい。

 そんな苦労をしなくても済むようにと俺が二才になった頃から、毎朝、簡単な字の読み書きを教えてくれていた。

 若干、じゃれたりふざけたりしながらだけど、母さんのおかげで俺は字の読み書きを楽しく覚えられている。

 俺はもうすぐ四歳になるという子どもだし、リルムだって夏に二歳になった。そんな幼児がふたり。真面目にお勉強というわけにはいかないだろう。


「母さん、これって──」


 俺は母さんが書いた字を見て「こういうことで良いんだよね?」と確認をしたり「これは前に教わったけど、この字は同じ意味じゃないの?」と訊いたり……、何故か教わったもの──だけじゃないけど、俺はモノの覚えが良いのか割といろんなことがすぐに身についている。

 それは字についてもそうで、母さんが教えてくれたことはもうほぼ覚えた。


「そう。喋る時は組み合わせで意味が変わるけど、字にすると同じに見えてわかりにくいよね。私、こういうのが苦手でさー」


 と言ったやりとりが最近は増えていた。

 リルムなんかは食べ物の名前を読んだりと、俺がリルムと同じ年くらいにやってたことをそのまま教えている。


「それにしたって、クウガは字の覚えが早いわー。悪いと思ってもついリルムと比べちゃうのよねー」

「おにいたん、しゅごいの?」

「字に関してはそうね。私よりも覚えが早いかな──。リルムだって凄いんだよ? リルムもお利口さん」


 母さんはリルムを頭を抱き寄せて頬に頬を重ねてリルムを褒めた。いつもそうだけど、どっちかだけを褒めるということを母さんはしない。

 俺は綺麗な母さんに可愛らしいリルムが頬を寄せ合っている姿を見て心が和んだ。

 人間は一日に十分、おっぱいを眺めていると寿命が伸びると言われていたけれど、俺にとって母さんとリルムは一日十分見ているだけで平穏が訪れるし、どれだけだって生きていられる気持ちになれる。

 ちなみに、母さんにおっぱいの話は禁句だ。家族で出掛けている時に父さんが道行く女性の胸を見るととても機嫌が悪くなる。

 ちっぱいをとても気にしているんだろう。

 でも、可愛いは正義。母さんとリルムは本当に可愛いのだ。


 母さんが洗濯したり、その合間に字の読み書きを見てくれるなどして昼になり──。

 平民の食事はだいたい、粗悪品の小麦を水と塩を入れて捏ねて焼いて、野菜や肉類と一緒に食べる。それに汁物を添えて。

 食事事情はそれほど良くはない。

 それでも、限られた食材で美味しく作ってくれる母さんには本当に感謝してる。


 お昼を食べたら俺は外に遊びに行く。

 平民街の廃屋の庭──俗に言う空き地に子どもたちが集まる。


「お、クウガが来た」

「こっちこっち!」


 男の子二人に呼ばれた。

 カイルとキウロという名の二人の少年。

 同じ平民で年が近いことから特に仲の良いいわゆる幼馴染だ。


「二人とも早ーい」

「ご飯食べてすぐに来たよ」

「ボクも!」


 三人で三角を作って地べたに尻をつけて座って話す。


「なー、知ってる?」


 カイルが切り出す。


「なーに?」

「ゆうしゃが来るってパパが言ってた」

「ゆうしゃ? なにゆうしゃって?」

「お前知らねーの? ゆうしゃってのはめちゃんこ強くてかっこいいんだ! んで、魔族をやっつけるんだってよ」


 興奮気味でまくし立てるカイルとキウロのやり取りを俺は見てた。

 俺の両親は俺やリルムの前では勇者とか魔族の話をしない。

 時々、父さんと母さんの会話に勇者とか魔族という単語が出てくるのは聞いているけど、深い話は避けていた。


「クウガ、知ってる?」

「知らないよ」

「クウガも知らないのか。まー、いいや。じゃあ、今日はゆうしゃごっこしようぜ」


 カイルが棒切れを手にとって、俺たちはチャンバラ合戦を始める。

 いつものことだけど、今日は勇者ごっこだ。いつもは騎士ナイトになりきって棒と板を剣と盾に見立てて戦うごっこ遊びをする。


「やぁッ! クウガ、逃げるな! 当たれッ!」

「えー、痛いからヤだ」

「ダメだよー。だってクウガ、魔王でしょ。ボクは剣士。カイルは勇者だよ!」

「それでも、痛いのはヤ」


 ビュンビュンと棒切れが俺を目掛けて振り回される。

 俺はそれを目で追って当たらないように身を翻す。

 これが騎士ごっこなら俺は王国の兵士でカイルとキウロは帝国騎士。そう、俺はいつもやられ役なのだ。


 昼ご飯の後から夕暮れになるまで、空き地で俺たちは遊ぶ。

 空がオレンジ色になり始めると、迎えが来る。


「キウロー」


 最初はいつもキウロ。続いて俺の母さん。


「クウガ、帰るよー」

「「はーい」」


 俺とキウロが揃って返事をして、親の元に行く。

 キウロのお母さんは一人で迎えに来て、俺の母さんはリルムを抱えてのお迎え。

 で、カイルの親が来るのを待ってから解散というのがいつもの運び。


「ねえ、ママ。ゆうしゃってなに? カイルがゆうしゃがくるって言ってたんだ」

「ごめんね。ママ、勇者のこと何も知らないの」


 キウロのお母さんは本当に勇者に対しての興味がなく全く知らない様子だった。

 彼の父親は農場の手伝いをしていて勇者に関わることが無いんだろう。だから家でそういった会話をすることがないんじゃないか。

 勇者の話を持ちこんだカイルは父親が馬小屋の手伝いをしている。


「マッマ、ゆうちゃってなに?」


 キウロが訊いているのを見ていたリルムが母さんに訊いた。

 俺は敢えて訊かずにいたというのに。


「リルム、ごめんね。ママもわからないの」


 こっちはガチで知ってそうな言い方だった。

 けど、俺は気にしない。今、俺たちが知らなくても良いことなんだろうとそう思ったからだ。

 それから母親同士で何か喋り始めて、子どもたちは暇を持て余し始めると、カイルのお母さんが空き地に来た。


「カイル、帰るわよー」

「ママー」


 カイルは俺とキウロをそっちのけでカイルのお母さんのところに駆けていった。

 彼はとてもママっ子である。


「こら、カイル。さよならの挨拶は!」


 と、怒られてる!


「キウロ、クウガ。また明日! バイバイ」


 カイルは手を振って空き地から去った。

 彼はいつも一番最初に母親と帰る。


「じゃあ、また明日」

「うん。また明日」


 カイルに続いて俺とキウロはそれぞれ家路につく。


「今日は何をして遊んだの?」


 道すがら母さんが訊いてきた。


「今日は勇者ごっこしたよ。僕は魔王役!」

「クウガが魔王! さぞ強い魔王だったのね」

「痛いから当たらないように頑張って逃げたよ」

「それは賢い戦い方ね。私はそれで良いと思うよ」


 母さんはいつも優しく頭を撫でてくれる。

 間違ったことをしても、悪いことをしても、怒られたときも、必ず最後に優しく頭を撫でてくれる。

 物心がついて、前世の記憶が蘇っても、クウガはクウガだ。

 俺はこの両親の子に生まれて良かった。

 いつもそう思っていた。

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