「黒い夜」(その6)

 相手が繰り出す大太刀の一振りは絶大だった。


 受け流そうとした伊織の得物、上総介兼繁の写しがいともたやすく両断されたではないか。


 無論、以前使用した真作の兼重であってもこの一撃に耐え得るかは分からない。伊織は受け流したつもりだったが、刀身が折れる程の威力。両腕がびりびりと痺れていた。通常の太刀よりも重量があるため、籠手や防御の厚い箇所で受けたとしても確実に骨を砕かれる。


 「止まれば、やられる!」


 宙を舞った刀身が地面につくのと同時に、伊織は折れた大刀を相手にめがけて投げつけた。これは大太刀で払われたが、すかさずここに突進する伊織の影があった。


 ここで、エリカは「さて」と次に繰り出すであろう小刀の一刀を予想したが、この到来した方向と速度がまるで違っていた。逆袈裟で自らの首を狙って来た。そう、伊織は逆手で、それも左手で小刀を抜き払ってきたのだ。


 これが右手であるなら伊織の速度が鈍るが、これならば突進した威力もそのまま小刀に乗る。しかし、相手はかなりの手練れ。伊織の攻勢はすんでのところで躱された。


 「あと半歩早ければ、首をやられた」


 これにはエリカも驚いた。大太刀の恐怖に圧されず、果敢に攻めて見せる気概は剣士としては十分。刃挽してあるように見えたが、あそこまで肉薄されれば突いても仕留められる。


 まったくもって称賛に値する勇気だ。


 「お見事、月岡伊織… 流石は鬼園部の盟友」


 相手が初めて発した言葉に伊織は驚いた。自分の名前も、そして鬼園部こと親友の園部八重まで知っている。言葉が東方語、東方連邦に扶桑之國の剣術を用いる人物があるのか。


 「私はエリカ・ロートシュテルン、足下に遺恨はないが… 我が剣にて美騎爾もろとも始末させてもらう。」


 エリカが名乗り終えると、なんと大太刀を鞘に収めた。唐突な行動に伊織は一瞬何をし始めたのか理解できなかったが、エリカはつかつかと自分に歩み寄ると、自らの腰間にたばさむ黒い蛭巻拵の太刀を伊織に差し出してきたではないか。


 「えっ…?」

 

 普段は何でも表に出す伊織だったが、流石にこの命のやり取りでそのようなことはなかった。それほどまでに異様な光景だった。こともあろうに敵は、自分に手助けをしてきた。


 「そんな小刀で|伐折羅《ばさら)兼光とでは勝負にならない。使うと良い… 暗闇兼光だ」


 暗闇兼光こと「永舟兼光ながふねかねみつ」という銘は、ばさらの時代に好まれた刀工である。当時から最上大業物の筆頭として著名であった。刀剣には疎い伊織でさえ、兼光であるとか永舟派の名前は知っている。


 作風は見事な肩落互の目に逆丁子、大切先で身幅広く、極めて堅牢。更にその鋭利さに至っては数々の伝説を生んでいる。籠手斬り、鉄砲斬り、成程その切れ味を示すものもあれば、鞘の上から触れただけで掌を傷つけたと呼ばれる「鞘無し兼光」や、滝の影に隠れた敵をその激流もろとも両断したという「滝割り兼光」と呼ばれる桁違いの作も存在している。


 このエリカが伊織に手渡した一振りは、その切れ味と刀身の強烈な出来栄えから「暗闇を斬った」と呼ばれた一振であった。扶桑之國では、長らくこの逸話だけが伝わり、いずれの人物に渡ったかは記録が消失している。


 エリカの挙動に警戒しつつ、差し出された暗闇兼光を手にする。


 相手も剣士としての作法に則り、再び間合いを取るまで手出しをする気配はなかった。いつ打ちかかっても良いと言わんばかりの、気遣いというよりは剣士の名誉を知る者の所作に思えた。


 「全然違う、上総介兼繁とは全然… 重さとかじゃなくて、何もかもが…」


 伊織がかつて用いた兼繁は旧政府の初期の作で名刀とは言え、すでに世は泰平に向かう気配の中を生きた一振りだ。それでいて兼光といえば帝室さえも二分するような混沌と戦乱、まさしく乱世の黎明を生き抜いた刀剣である。まさに士官候補生と従軍経験者のような歴然とした差は、無機質の刀剣であっても感じ取ることができる。環那の能力が発動していうることも手伝ってか、猶更そのような感触がビシビシと伝わって来た。


 「構えよ」


 エリカの一言に伊織がぱっと鞘を払うと刀身の輝きが闇夜に映えた。


 鍔元には倶利伽羅、切先にかけて樋が掻いてある。同じくエリカは背の鞘を左手で正面に回したと同時に、長大な刀身を一瞬にして引き抜いた。こちらの刀身にも同じ彫刻があったが、その長大さから威圧感も桁違いであった。  


 奇妙な斬り合いになった。同じ甲冑に同名の太刀、何れの主が正しいかを決めるかのような斬り合いを繰り広げた。エリカは西方諸国の大剣術を応用してその攻撃に拳打や蹴りを織り交ぜており、全く以て忙しない攻防を伊織は強いられる。


 重厚さで知られる西方諸国の甲冑を考えれば、相手の機動力を損なわせることは特に重要であり、これに格闘技術が特化することは必然であった。また、その重量を活かした打撃は必然として登場する。


 現に伊織が間合いを詰めても、腿への前蹴りで引き離されたり斬撃にみせかけたタックルをまともにうけたりと、決して近づけさせない。


 それでも致命傷となるような一撃は環那が見せる景色が回避を助けており、間合いを詰めることができている。この様子にエリカはが能力を発動させるに至ったとみることが出来た。

 

 「見えているのならば…見せてやろう」


 エリカは伊織の間合いにありながら呼吸を整えると八相の構えを取って、ぴたと動かなくなった。これを好機と飛び掛かる伊織ではなかったが、繰り出された一刀に驚かざるをえなかった。


 「嘘…見えているのに避けられない?」


 五行の構えから繰り出す一刀は、先ほどにくらべればそれこそ型稽古のような精密さがあったが、この実戦にあっては緩慢そのものだった。これまで繰り出す袈裟懸け、刺突、いずれも環那の能力によって軌道が見えている伊織であったが、躱せずに刀身や籠手でまともに受ける形となり、火花が散るたびにジリジリと追い詰められていく。


 余りに正確すぎる攻撃は、見えている故に身構えるごくわずかの油断と硬直を産む、これをエリカは逆手に取った。


 これで植え付けるのは恐怖、相手の調子が狂った時に必ず自分の勝利が開けるとエリカはよく知っているのだった。そして、横薙ぎの一太刀を不格好に受けた伊織はついに暗闇兼光を弾かれ、完全に無手となった。


 ここにエリカは伐折羅兼光を上段から振り下ろした。だが伊織はこの瞬間を待っていた。再びエリカが自分の間合いに留まることを待っていた。


 刀身同様に長大な鞘尻のあたりをつかんでエリカの体勢を崩し、そこから投げに転じたのだった。組み打ちは介者剣術や柔術の基本とはいえ、伊織がこうした技にも通暁していたのは少々意外だった。多少エリカも油断したため、強かに地面に打ち付けられることとなった。


 「でオハラ家の息女に勝ったというのは、どうやらこれが証拠のようだな…」


 そんなことを考えていると伊織がそのまま鞘で体を制しながら、倒れているエリカに馬乗りとなる。利き手を絡めとられ、眼前には暗闇兼光の見事な大切先が見える。


 伊織が熱い息を吐きながらエリカに問いかけた。


 「これで終わりにしましょう…」


 なんと甘美な言葉だろう。自分を完全に制圧したつもりでいるとエリカは苦笑するしかなかった。これで終わりにするというなら、暗闇兼光をとは余りに間抜けが過ぎる。その切先を喉か心臓に向けねば、このエリカ・ロートシュテルンは討ち取れない。その言葉は、先に切っ先で相手を引き裂いてからいう言葉だ。


 空いている左手で肘鉄を食らわせて伊織を引きはがすと、エリカは背の鞘を外して改めて腰に差して納刀した。 


 「終わりにするのはいずれかを、これで決めよう」

 

 エリカの言わんとしているこれとは抜刀術、居合による決着ということは即座に理解できた。伊織も腰元の暗闇兼光を差し、目釘にゆるみがないか確かめた。


 「絶対に焦らない。後の先を取る…」


 そして八重から教わったことを一つ一つ思い出す。先手を争うのではなく、脱力して視界を広く保ちながら後の先を求めること。こうしていると、じりじりと互いがすり足で近づいていく。


 遂にお互いの間合いが、互いにとって必勝の距離に至る。その距離は、伊織とエリカが互いの呼吸を肌で感じるほどになっている。ここで伊織は却って自分が焦っているとエリカの呼吸から判った。彼女の真紅の瞳に、自分が映っているのが判る。ひょっとしたら、あの瞳には自分の心音をも見透かされているのではないかとさえ思った。


 「この距離なら…! この距離ならできる… でも…」


 それでも、伊織は躊躇いを消すことはできない。


 まさしく、この黒い夜の闇を払うことが出来ないように、いつまでもまとわりついてくる。これから目の当たりにする決着の姿は、恐らくは親友の八重でさえ経験したことのない決着。


 相手の命を奪わなければ、間違いなく自分がそうなるということは、これまで剣を交えて十分に理解している。だが、一つ不可解なことがある。もはや大太刀が封じられたこの距離にあるというのに、相手には動揺の気配が微塵もない。


 「ここで…ここで決める!」


 次の一手は互いに同じであると、環那は例の景色を通して伊織に見せた。もう躊躇う必要はないと思った時に、伊織の身体は電光石火の反応を見せていた。胸の高鳴りが止み、静寂があった。これで決着がついたかに見えたが、伊織の暗闇兼光の刀身が半ば露になったところで、あの一撃で止まっているではないか。


 「届かない…!?」


 伊織が仕掛けた刹那、エリカは伐折羅(ばさら)兼光長い柄で伊織の左手を捕え動きを封じつつ、すかさず相手の胴へ鞘を突き出すように繰り出していた。これで伊織は体捌きの調子を狂わせられ、剣は完全に封じられてしまった。後の先を取った完全な攻防一体の完成、近距離で抜刀は困難に見えたエリカの兼光は暗中に白銀の軌道を見せたのであった。


 居合の達人は小太刀の間合いにまで接近されても、大太刀で仕留めることができるものである。動作そのものは、定寸の太刀よりもはるかに大きいものになるが、鞘中の勝利ともいうべき不利を有利に変えるという技術の奥伝と言っていい。


 これをエリカ・ロートシュテルンという異国の剣士は体得していたのだった。


 「ここまでだ。月岡伊織、鬼園部の盟友に相応しい技だった…」


 エリカは勝利した。


 四尺近い伐折羅兼光による渾身一撃は伊織の美騎爾、環那にも痕を残した。環那の縅と小札が切断あるいは破砕され、その下にある伊織の柔肌を裂いていた。


 鮮やかな血潮が滴るよりも早く、伊織の意識が遠のいていった。


 痛みがやがて奇妙な冷たさに変わり、全ての景色が黒へ還っていく。環那の能力で、あれほどまでに見えていた景色でさえ失われていくというのに、そんな中でもエリカの紅い瞳と銀の髪ははっきりと見えたが、それもやがて見えなくなった。


 そして全てが黒い夜に呑まれた時、全てが終わった。

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