第8話「閉じられた眼(Les yeux clos)」

「閉じられた眼(Les yeux clos)」その1

 海藤健輝かいとうけんきが玄関の戸を開けると、そこに立っているのは携帯端末に表示された通知の通り時山爾子ときやまにこだった。


 彼女とのファーストコンタクトはいわゆる「人助け」だったのをよく覚えている。手伝いの御返しにと貰った彼女の作品は額に入れて飾ってあるが、今はそういうわけにもいかない。


 たてつづけに間借人LODGERの接触者に数えられる人物との接触、脅威という単語のほうが先に脳裏に浮かぶ。


 つい先日の彌生武子の一件のように過激な展開が事がないとも限らないが、そんな気配は感じられない。ならば、あの物理攻撃も大変見事な小原尚美のように「異環境展開型デペイズマン」の能力を展開するような様子もない。彼女が何らかの能力を有していることは確かだが、これまでと違って丸っきり敵意を感じられない。


 「どうしたの? 海藤君…」

 「ああ、ごめん。何か用? また作品の手伝いとか…」


 時山の一言で海藤は我に返った。


 しかし彼女には、そうやって見ることもない態度でありながら、しっかり観察しているような雰囲気を感じてしまう。

 自分でもだいぶボンヤリした返答だと思ったが、そんな様子が時山には面白かったのかクスっと笑った。やはり、普段の彼女にしか見えない。


 「あれ、河上君から聞いてない? 文化祭の準備、今日から各寮のメンバーで始めるって」

 「え!? 文化祭って… あのアニメとかマンガとかに出てくる?」

 「な、なんかすごく帰国子女らしい反応…」

 

 日本の文化祭といえば、各学年の学級で多種多様な模擬店を出すとか、そんな祭りの喧騒の中で青春のど真ん中を歩くような二人がくっついたり、陰キャラナードがバンドの演奏とか自主製作映画で日の目を見るハレの日、要するにティーンにとっての一大イベントというやつだ。


 それに、当日よりも前日の準備が盛り上がるというあの奇妙な法則で知られる祭典だ。


 「そういえば、文化祭前日が終わらないって映画、見たことあるなぁ…」

 「えっ、あの映画知ってるんだ!? 結構、古い映画なのに」

 「詳しくはないけど、そういうの好きだから…」

 「でも、あんな風になったら大変よ。うちの学校のは、特別忙しいから…」

 「忙しい?」

 「うちのは学校だけじゃなくて、学園都市の先端設備の紹介に招聘企業の展示準備もあるから忙しいの」

 「えーと… ソレを僕の置き土産に、河上君は流浪の旅に出た… そんな感じ?」

 「そう、そんな感じ。アレは制度や規則を破ることに関しては達人… 油断しちゃだめ」

 「なんとなく、わかってはいたんだけど… ほんとその通りだね」


 思い返せば確かに「寮長が授業及び私用にて不在の場合、自治活動に関連する作業は副寮長が代行する」と規則にあった。


 この準備と言うのがかなり広範かつ複雑というのであれば、あの自由意志の権化ともいうべき河上義衛かわかみよしえにとっては、極めて耐え難いものだろう。

 別段、海藤は河上に大して「おのれ」という気持ちはないのだが、どうにもこれから一日彼女と行動を共にすることになったことだけは不安材料だった。


 時山に攻撃の意図は無くとも、この機を狙って間借人LODGERの接触者が仕掛けてくる可能性は十分にある。仮に戦闘に巻き込まれでもすれば、己の正体を暴露するだけではなく、彼女も危険に晒すことになる。


 彼女の身を案じながら、この海上学園都市のあちこちを移動するのはかなりの困難を伴う。


 「おまけに、この行動範囲…」


 移動にはこの学園都市に在籍する企業専用の海上学園都市内連絡線路チューブまで利用するのは伊達ではなかった。時山は学校、各種企業の紹介映像イメージビデオの作成依頼を受けており、更には開閉会式の製作委員会の一人に名を連ねている。


 「彼女、本当に表現者アーティストなんだなぁ…」


 必要なは自分の足で探すのだから、取材というよりは行軍とか探検に似たハードさがあった。創作には産みの苦労が付き物とは言うが、まさかここまで体力を消耗させるものとは思いもよらなかった。


 それにしても、流石は時山のセンスだった。臨時助手として自分が彼女の指示で、スナップの一枚でも撮影してみるとどこか何か違う。言い尽くせない何か、言語や数字に置換できないものが画像に存在する。


 日常に連続する無数の映像ヴィジョンの中に、未完成になっている芸術の破片フラグメンツがそこに凝縮されている。これを自分の目で探し出せることは感嘆しかない。以前、時山が言ったように本物は彼女の中にしか存在しない、それを取り出せる道具は自分自身だ。今や当然となった個人用にチューンされた自動生成人工知能も、彼女の流儀では活用する術を持たなかった。


 「同じものを見ていても、時山さんにはまるっきり違うように見えるんだろうなぁ…」

 「確かにそうかも… でも、随分前と違ってるの」

 

 彼女の言葉に、やはりと海藤は思った。能力と認知しているということは、他の間借人LODGERたちとの接触があったものと判断できた。彼女もまた、仄かに光る双子グリマー・ツインズに接触しているのだろうか。


 「前と違っている?」

 「そう、もっと見えるようになったっていえばいいのかな… 色彩、解像度…何て言えば伝わるかな」

 「なるほどね。心境の変化が作風に変化を与えたとか、そういういうやつかな?」


 海藤の言い方がまずかったのか、時山は言葉を続けるのに躊躇っているように見えた。それで彼女が繋いだ言葉は、全ての答えだった。


 「こんな言い方するのは不躾だけど…それは、もう海藤君は知っていることじゃない?」

 「参ったな。時山さんの言う通り、かも…」


 今度はこちらが固まる番になった。はてさて、自分の境遇を話すべきか。それとも、例の「仄かに光る双子グリマー・ツインズ」の仔細を話すか。だが、その前に確かめておきたいことがある。


 「どうして、僕に話そうと思ったの?」

 「それも…何て言うのかな。話しても大丈夫だって、そう


 時山の眼に、何が見えたのかは確かめるすべがない。だが、彼女が自分にに信頼を見出したのならそれに応じようと思った。


 光の男マン・レイと呼ばれていること、その能力の一切を告白しようと決意するのだった。

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