LODGER

Trevor Holdsworth

第1話「光の男(Man Ray)」

「光の男(Man Ray)」その1

 十年の長い歳月と日付変更線を超えると、巨大な人工の大地が広がっていた。


 「ぼくら人間について、大地が万巻の書より多くを教える。理由は…あれ、どうしてだっけ?」


 そこで海藤健輝かいとうけんきは古い物語の一節を思い浮かべながら、次世代型海上学園都市「扶桑」に降り立つのであった。 

 多くの教訓を与えるこの大地、確か「東京新区統合校:編入案内」に記載されていた情報では、全長七七〇〇メートル、幅一五〇〇メートルに喫水二五〇メートル、この途方もない数字は超巨大人工浮島ギガフロートの名に偽りなしといったところだ。

 二〇四〇年代に災害対策拠点として東京湾に建造が進められ、二〇五〇年代には東京の新区として認定、ここに新たな生活圏の開発が更に加速し本土からの入居者も増加した。同時に少子化加速に伴う首都圏および近郊の教育機関統廃合による「東京新区統合校」が制定されたことにより、現在は次世代型海上学園都市として運用されている。

 この海上学園都市はまさしく大地であり人々にとって新たに帰るべき場所、故郷になっている。そんな風に考えると、この大地にも温かさを感じる。


 「新しいのに懐かしい…」


 何か気の利いたことを言えば、さしずめ「懐かしい未来」とでも言うのだろうか。来日前、現在の日本についてメタバース上にリアルタイムで更新されるVRを通して知っていたが、驚きを隠せなかった。

 そのVRと言う未来の景色を創ったのはここに進出している世界各国の企業や研究機関であり、二つの人工の世界に命を吹き込んだといっていい。


 「凄い、空が割れてる…」


 空を眺めると確かに割れている。ここでは全天候型ドームにより天候は管理されており、換気作業とメンテナンスの為に一部解放してた。この大地の四季は自然発生するものというより人為的に操作管理されるものに変貌している。

 かつて本土で見られた「日本的」と呼ばれた四季が温暖化によって失われて久しいが、これを再現できる性能を誇っていることを考えれば自然の生態系も再現可能であることは容易に想像できた。


 加えて通信、電気、水道を含む生活インフラ設備は階層式による省スペース化による効率的集約を実現しており、環境に配慮した生活様式を支えている。特に通信設備に関しては、自分の父も携わっていただけに特に親しみがある。通信は人をつなぐものというが、海藤にとってはまさにその通りだった。


 遂に人口が一億人を割り首都圏のみならず自治体の都市機能も大転換を急務としている現代日本では、この学園都市で培った技術や蓄積は将来への「可能性」として大いに期待されている。この「可能性」の一つに、この東京新区に設けられた統合校で学ぶ生徒も含まれているというのは、やはり学校案内のゆえだろうか。


 「さて、その学校に行かなければいけないのだけど…」


 携帯端末の音声ガイダンスも3Dによる案内表示も一切間違いはなかったが、どうしても見慣れぬ場所のせいか足取りが鈍くなる。すると海藤はふと立ち止まった。

 

 「見覚えのあるのも、いるんだね」 


 自分の近くで、ひらひらとミナミアゲハが舞っているのに気付いた。これだけは過去にも現在にも、見覚えのある存在だった。この一羽がこの人工の大地が人々にとって新たな故郷であるように、動植物にも同じことであると物語っていた。


 季節柄自然の個体とは考えられない。おそらく人工的に持ち込んだものか、あるいは研究施設で育てたものか判らないが、この時期に見る揚羽蝶の黄色は、春の日差しを凝縮したような温かさを感じる。この黄色は一番好きだ。どうも、夏の個体はどうもゴッホが使う黄色のようで苦手なところがある。


 さて、ミナミアゲハの誘惑もそこそこに海藤は一つ思い出したことがある。


 学長の斯波禎一しばさだかずとのオフラインでの面会を予定しており、学生らしくを要求されているのだった。これが編入試験の一環でないことは、海藤もよくわかっている。


 「流石に学長相手の成果発表だもの、それなりのことをしないとね」


 斯波という男は、海藤の父が仕事を通して知り合った友人。幼いころに一度会ったきりで、ほとんど記憶には残っていなかったが、彼はよく自分の事を覚えていた。そう、。この学校に編入した理由は、そこにある。父と彼は友人であったかもしれないが、自分にとってはそれほど単純な関係ではなくなっている。


 それでも何か、課題となると「ヒントを」と考えるのは学生のセオリーだろうか。そんな風に考えていると、もうすでに校舎にまでたどり着いて、そのまま生体認証のゲートを通過していた。極めてシームレスなセキュリティ認証も、こうなると少しは足を止めてくれとも思う。指定された学長室の扉の前に立つと、いよいよこの先かと覚悟も決まって来る。


 「さぁて…?」


 海藤は課題の成果に相応しい何かを思いついたようだった。思い浮かんだのは、道すがら見かけたあのミナミアゲハの鮮やかな翅だった。やはり自然の生命はいつでも人間に新しい着想(アイデア)をもたらすものだ。これは、自分の父もよく言っていたことだ。


 思わぬ助言者のと着想の自信からか、海藤の足取りにもう迷いはないのだが、その足取りがまた止まった。


 「痛いッ!?」


 校門から各棟への移動時のように極めてシームレスに、絶好のタイミングで学長室の扉が開かれると思っていた。ところがここだけは特権を持つ入室者が承認する必要がある仕様になっており、海藤は勢いよく閉じたままの扉に激突した。


 専用認証を備えた扉の強度から向こうには聴こえていないだろうが、彼の接近を端末同期から確認した斯波から「開放後、入室されたし」とメッセージが入っていた。


 一方で、なかなかの勢いでぶつかった故の激痛を堪える海藤にはそれどころではなかった。

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