「読みやすい文章」と「稚拙な文章」は絶対に違うものだよ

「読みやすい文章ですね!」という感想を「稚拙」だと勝手に捉え、落ち込む人が文章を書く人間のなかには一定数いる。


ただ、読みやすさと稚拙さは違うと、10年近くライターをしている僕は断言する。


稚拙な文章は、実は超読みにくい。


ほな、ライター業界で「稚拙」と言われがちな文章の特徴を挙げていこう。小説やエッセイにおいても、結構通ずるところがあると思う。


・同じ語尾が連続で続く

・同じ単語が短距離で連続する

・単純な文法ミスがある

・文章がねじれている

・~なのだ

・一つの文章にメッセージが入りすぎている(文章が長すぎる)

・短文がひたすら連続する

・形容詞が多い


「なのだ」に関しては、小説にはあまり当てはまらないと思う。これはあくまでもライター業界で言われていることだ。子供っぽい語尾だというのが理由だ。


ただ、ほかの部分に関してはライター業界以外でも通ずるところがあるだろう。


「一つの文章にメッセージが入りすぎている」というのは、たとえばこんな感じだ。


「文章は、一つの文章にメッセージを複数入れると読みにくくなり、意味を理解しにくくなるため、なるべく一文にひとつのメッセージだけを入れるという慣例がライター業界にあり、これを一文一義と言う。」


人は文章を読むとき、句点によって意味を分けて理解するらしい。句点までをひとつの塊として処理する。ここに複数のメッセージがあると、脳が処理しきれなくなる。


そのため、一文にたくさんのメッセージがあると、意味を理解するのに時間がかかる。何度も読み返さなければならず、読みにくいし不親切だ。


文章というのは、結局のところ情報を伝える手段だ。一文にメッセージを盛り込みすぎるのは、情報が適切に伝わらないために稚拙な文章という評価になる。


ちなみに、さっきの文章を僕がWeb記事風にリライトするなら、こうなる。


「一文にメッセージを複数入れると、文章は読みにくくなります。意味を理解しにくくなるため、なるべく一文にひとつのメッセージだけを入れるのが望ましいです。これを一文一義と言います。」



一方で、読みやすい文章とは何か。


一般的には、以下のような文章だとされている。


・漢字、ひらがな、カタカナのバランスが良好

・改行バランスが適切

・難解な言葉が少ない

・不要な文章(情報)がない

・文法が正確

・イメージしやすい比喩表現

・シンプルな文体

・自然な会話

・長文と短文のバランスが良好

・etc...


漢字・ひらがな・カタカナのバランスと改行に関しては、「灰色」に見えるのが望ましいとされている。


漢字が多いと黒く見え、ひらがなばかりだと白く見える。それぞれの文字の画数などによる色の印象だろう。改行についても、全く無いと黒い文字の大きな塊になるため黒く見える。


これが灰色に見えるのが、最もバランスがよく読みやすいらしい。


さらに、長文と短文のバランスについては、テンポ感に関わる部分だ。長文ばかりではテンポが間延びして悪く、短文ばかりでもテンポが速すぎて悪い。


稚拙な文章と読みやすい文章の特徴をこうして羅列してみると、結構違うということがわかると思う。


実際、全然違うものだ。


稚拙な文章というのは、読みにくい文章だと言い換えられる。稚拙な文章の特徴をすべて網羅した文章を書いてみてほしい。めちゃくちゃ読みにくいから。正直、ひとつか二つあるだけで読みにくくなる。


読みやすい文章というのは、誰もが書けるわけではない。


他人の書いた文章をリライトする仕事がある。


リライト作業をしていて思うのは、ライターの仕事をしている人間のなかにも稚拙で読みにくい文章を書く人が大勢いるということだ。当たり前にねじれていたり文法がダメダメだったりする。


だから、「読みやすいです」という感想を貰うことがある人は、自信を持ってほしい。誇ってくれ。それは、意外と特殊な技能だ。



また、「難解さ」「比喩表現」が語彙力や文章力、表現力の証でもないと僕は思う。


小説という媒体だと特に、「平易な言葉をたくさん使う」ことを「語彙力がない」と勘違いして、難解な言葉で書く人が結構多い。


直接的な表現を避けて比喩表現を多く用いることについても、それが表現力があることだと思い込み、やたらと比喩表現ばかり使う人がいる。


だけど、違う。


もちろん「難解な言葉を扱える」というのは語彙力の証明になるだろう。


ただ、語彙力を見せつける文章がいい文章というわけではない。特に意味も無く難解な言葉ばかりを使うと、読みにくいよ。


多くの人は、そんな言葉知らないんだから。


比喩表現に関しても、多用するとかえってチープに見えることがある。


それに、直接的な表現を使うことが表現力がないということでは決してない。


適切な表現方法を選べるかどうかが、表現力の有無を分けるところだと僕は思う。


たとえば一人称視点でめちゃくちゃ比喩表現を使うと、その視点の主であるキャラクター自体が「回りくどい言い回しをするキャラ」になる。別にそういうキャラでもないのに比喩表現を多く使うのは、表現力があると言えるだろうか。


そういうキャラであることを演出するために比喩表現を多く使っている人こそ、表現力のある人なんじゃないか。


逆に、ストレートに物事を考えるタイプの人を表すのに平易な言葉や直接表現を意識的に用いている人も、表現力があると言える。


僕は、そう思うよ。


まあ、僕がそうできているかどうかはイマイチわからないんだけどね。


ただ、意識してはいる。


僕が投稿している長編『ロストエンブリオ』では、地の文に直接的な表現が多い。自身の感情に関しては特に。


主な視点の主であるノエルは、自分自身の感情に目を向けるということを意識して頑張っているキャラだ。それゆえに自身の感情にそれなりに敏感で、今自分が「悲しい」のか「怒っている」のかがわかる。


だから、地の文でも「悲しい」「怒りを感じた」と書く。


序盤に関してはそれを意識しはじめたところだから、比喩表現もちょこちょこ書いている。


三章以降は、かなり減ったと思う。


一方、最近投稿した短編『愛に手向ける藍の花』は同じ一人称視点小説でも、少し遠回しな表現にしている。


これは、主人公の愛ちゃんが自身の感情にそれほど頓着しないためだ。適切に特定できないため、直接的な「悲しい」「寂しい」という表現は少なくしているつもりだ。


とはいえ難解な言い回しをするキャラでもないから、暗喩的な表現も比較的軽めにするように意識した。



しかし、僕もまだまだ「できている」と胸を張って言えるわけじゃない。


「意識してるよ」

「できてたらいいな」


それくらいだ。


僕は偉そうなことを言えた人間じゃないけれど、10年近くライターをしている人間として、「稚拙と読みやすさは違う」ということはハッキリと書いておきたかった。


それで落ち込む人が、一人でも減ればいいと思う。


「読みやすい」と感想をした人は、素直にあなたの文章を褒めている。



それに対して勝手に落ち込んでしまっては、せっかく褒めてくれた人の気持ちが台無しだ。


ストイックに頑張るのはいいことだけれど、褒め言葉から勝手に課題を見つけて落ち込むのはやめたほうが、感想をした人も、自分自身も気分がいいと思うよ。

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