もう1つの東西冷戦-妙子の結婚-<非常時>=<常時>の下での出発

阿月礼

第1話 曇天


 昭和35年のその日、夏も過ぎた初秋、まだ、一定の残暑が感じられる東京は、曇天であった。

 相変わらず、


 <非常時>=<常時>


の<大東亜戦争戦勝国・日本>であった。

 しかし、一般市民の生活は、相変わらず苦しい。配給食糧も滞りがちであり、多くの家庭では、闇食糧で不足分をしのいでいた。それが日々の生活風景である。

 あるいは、闇食糧のほうが、質が良く、量が多いこともある。このような事実を踏まえれば、

 <闇食糧>

は、本当に、

<闇>

という言葉で表現して良いのだろうか?

 <社会>

という、まさに日々の各<個人>の生活、換言すれば、闇食糧、闇物資という

 <本音>

こそ、まさに、配給食糧という

 <建前>

をしのぐ、

 <表>

の存在と化し、<配給>という国家の体制-それこそ、本来の<表>の存在であった-が、人々の生活を鑑みた時、それこそ、<闇>と化した感があった。

 それこそ、

 <闇>

と化していった存在でありながら、

 <表>

といった、国家権力に関連する<制度>は、このご時世において、それこそ、

 <建前>

という言葉が似合う存在になっていた。また、半ば、<建前>ということばによってしか、立ち位置がなくなりつつあるのかもしれない。

 しかし、藤倉家にとって、ある文字通りの

 <表>

 すなわち、あるスタートというべき-<スタート>という言葉は、既に<敵性語>として、社会から抹消されていたが-事実があった。

 藤倉妙子が近所の村田家の長男・幸長と結婚したのである。

 主婦にして、妙子の母である静江は思った。

 「あの子にとっても、新しい出発ね」

 無論、妙子にとっては、新し出発である。しかし、静江は、心中で、

 「あの子にとっても」

と、含みのあると思われる言葉を呟いた。静江の娘・妙子の結婚は、他の誰に

 「とっても」

新しいスタートとなり得るのだろうか。

 無論、結婚は慶事である。妙子は自身が好きになった男性と結婚した。また、幸長も妙子を好きになってくれたようであり、その意味では、当事者2人にとっては、慶事であったといえる。まさに、

 <新しいスタート>

といえるようである。

 2人の結婚は、


 ・村田家-藤倉家


にとっても、無論、新しいスタートである。その中には、静江も含まれるのである。

 静江は改めて、心中にて、呟いた。

 「新しい出発か」

 すでに、大東亜戦争に勝利した所謂<戦後・日本>において、

 <建前>

においては、何の変化もなかった。昭和17年の実質的戦勝以降、


・皇国日本の正当性


・大東亜共栄圏の正当性


が、新聞、ラジオ等のマスコミによって、言われ続けていた。配給制度の下での生活も変化がなかった。

 しかし、ソ連の対日侵攻によって、国土の北半分に

 <日本人民共和国>

が成立したことは、まさに、予想だにしない大きな衝撃であった。静江は、雄一、妙子を連れて、西日本へ逃亡することも考えた。しかし、柏崎(新潟県中央部)-いわき(福島県)を結ぶ線を一応の境界線として、ソ連軍、並びに日本人民共和国が関東へ侵攻してくることはなかった。

 西日本にこれといった親戚もなく、逃亡によって生活を立て直す見通しが立てられなかった静江にとっては-難しいことはわからないものの-とりあえず、日々の生活という逃れようのない

 <表>

を何とか維持できたということであった。

 しかし、大日本帝国が

 <戦勝国>

から、

 <敗戦国>

へと、転落しつつあることは、<本音>レベルでの大きな変化であった。そうであるからこそ、マスコミは先のような報道、というよりも

 <宣伝>

によって、<建前>という<表>を維持しようと、努力しているのであろう。

あるいは、<表>として、色々と変化するのは、自然環境、つまりは、

 <天気>

であろうか。昨日までは晴れていたのに、今日は曇りである。自然環境は、人間の手では

動かすことはできないであろう。

 それでも、昭和17年前後までは、兵器の大増産等で、各工場から汚水、煤煙がたれ流

され、操業音がうるさく響く等、自然環境が、所謂

 <公害>

という形で、人工的に変化させられていた。

 しかし、昭和35年の今日では、

 <大東亜共栄圏>

を抑える現地軍による占領維持の為、占領地での獲得物資等は、現地軍優先であり、国内

 <社会>

は、休止状態である。

 静江は、妙子が村田家に移ったために主をなくした妙子の部屋のほうに目をやりつつ、

やはり、心中にて呟いた。

 「これから、どうなるのかしら?」








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